日廻り 原民喜
日廻り
「おれはもう不良少年になるんだ」「なれい勝手にぼい出すから」「あゝ死にた」「死にたいよ」「日光まで汽車賃をやるから身なげをせろ」
ふいと彼の頭は妙にいたみ出した。奥齒で氷をかみしめた時の痛の樣な痛が頭の一部に起つたと思ふとさつとほとばしつて動脈がづきづきと波音をたて出した。目がかすむ。時々ブラツシで頭の眞をすられる樣な氣持にもなる。
彼が門を出た時門の側に日廻が日の方に向いて淋しう咲いて居た。
彼の目は淚が浮んでた。その黃な花が小さく□つてキラキラ光つて淚の玉にうつつたのを目の玉に寫して見た。
[やぶちゃん注::前掲と同じく、原民喜がすぐ上の兄守夫と出した、二人だけの原稿閉綴じ兄弟同人誌、大正九(一九二〇)年九月号『ポギー』三号に所収。既に述べた通り、「草葉」は民喜のペン・ネームと思われる。この時、民喜、満十四歳、広島高等師範付属中学二年であった。
本篇は散文詩のようにも見えるが、一種の創作断片と捉えた方が無難な気はする。
底本は青土社版「原民喜全集 Ⅰ」の「拾遺集」に拠ったが、戦前の作品であるので、恣意的に漢字を正字化した。最終段落中の「□」は、底本全集の判読不能字で底本では右に『(一字不明)』と傍注して一字分の字空けを置くが、表記のように代えた。
標題「日廻り」は本文第三段落で判明するように、植物の花の向日葵(ひまわり)のことである。
第一段落の「なれい」「ぼい出す」はママ(「ならば」「追い出す」の広島弁と思われる。調べてみると広島弁では「投げ捨てる」を「ほーくる」と言い、「ぼい」とやや近似性が感じられる)。「日光まで汽車賃をやるから身なげをせろ」華厳の滝に投身自殺をしろの謂いである。北海道出身の旧制一高学生であった藤村操が遺書「巌頭之感」を自殺現場のミズナラの木肌に削って華厳の滝に投身自殺したのは、この十七年前、明治三六(一九〇三)年五月二十二日であった。以下、その遺書引いておく。活字起こしは実際の木肌に刻まれた画像から私が起こした。
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巌頭之感 悠々たる哉 天壤、 遼々たる哉 古今、 五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ、 萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。 始めて知る、 大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。
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藤村操については、私は私の――『東京朝日新聞』大正3(1914)年8月3日(月曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第百二回――で詳しく注してある(実際、藤村が漱石の英文学の講義を受けており、漱石が藤村の自死の前日に彼を「君の英文学の考え方は間違っている」と叱責していたことは、余り知られているとは思われない)ので未見の方は是非、どうぞ。以前にどこかで、現地の事故処理の公式記録の藤村の自殺理由の欄には、『哲學探究のため』と書かれていたという話を読んだ(なお、動機を失恋とする説もないではない)。
第二段落の「づきづき」の後半は底本では踊り字「〱」。「頭の眞」はママ。「眞」は「芯」の謂いであろう。
第四段落の「浮んでた」はママ。「キラキラ」の後半は底本では踊り字「〱」。]