「笈の小文」の旅シンクロニティ―― 一つ脱ひで後ろに負ひぬころもがへ 芭蕉
本日 2016年 4月30日
貞享5年 4月 1日
はグレゴリオ暦で
1688年 4月30日
更衣
一つ脱ひで後ろに負ひぬころもがへ
吉野出でて布子(ぬのこ)賣りたしころもがへ 萬菊
「笈の小文」。厳粛な(俳諧に於いても季詞の季の分岐となるべき指標たる)「衣更え」の行為を、汗かいたそれを、ざっと一枚脱ぎ去って背中に引っ掛けておしまい! またずんずんと「同行二人」で歩いてく、という漂泊者のロケーションが、実に健康な滑稽――「軽み」――のワン・ショットとして爽快である。無論、それを十全に汲み取った「萬菊」丸杜国が――「布子」(木綿の綿入れ)なんぞ、もう、いらね! 売りってえ!――と答えるのも、その芭蕉の「軽み」をよく判ってのもの――コール・アンド・レスポンス――なのである。しかし、馬鹿にしてはいけない。「新潮日本古典集成 芭蕉文集」の富山奏氏の注を見るがよい。この同月の『芭蕉の書簡(貞享(じょうきょう)五年四月二十五日付惣七(そうひち)』(伊賀の門人窪田意専)『宛によると、万菊は実際に布子を売ってその代金を孝女伊麻(いま)』(この後に訪れた奈良の竹の内(現在の奈良県北葛城郡当麻町)にいた孝女として知られた老婆(この時既に六十五歳だったとされる。芭蕉は二度目の邂逅であった)で芭蕉と杜国はその家を訪れている)『にあたえている』とあるのである。これこそ、まことの漂泊の風狂人の真骨頂ではないか。
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