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2016/04/20

「笈の小文」の旅シンクロニティ―― 春の夜や籠人ゆかし堂の隅 芭蕉

本日  2016年 4月20日

     貞享5年 3月20日

はグレゴリオ暦で

    1688年 4月20日

 

  はつ瀨

 

春の夜や籠人(こもりど)ゆかし堂の隅

 

足駄はく僧も見えたり花の雨  萬菊

 

「笈の小文」より。前日に杜国と伊賀を発った芭蕉は、この日、現在の奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山(ぶざん)神楽院長谷寺を詣でた。本尊十一面観音は初瀬観音と通称され、恋の成就を祈願する対象として王朝時代より知られ、「枕草子」「源氏物語」にも初瀬参籠が描かれている。

 虚構ともとれるが、私はやはり眼前の薄暗い堂の片隅に、如何にも高貴な女性の参籠せる姿を垣間見たのである。さればこそ「ゆかし」、何とも言えず、心惹かれる、慕わしいことよ、と感ずるのである(ここを「見たい」「知りたい」という「床し」の実動的欲求で訳すのはいただけない)。

 幸田露伴はこれを「撰集抄」の「卷九の「第十 西行遇妻尼事(西行、妻の尼に遇ふ事)」の情景を踏まえたとする。以下に「撰集抄」の全文を示す(底本は一九七〇年岩波文庫刊の西尾光一校注版を用いた。読みは同底本から選んで附した)。

    *

 其の昔、かしらおろして、貴き寺にまゐりありき侍りし中に、神無月かみのゆみはりの比(ころ)、長谷寺にまゐり侍りき。日くれかかり侍りて、入相の鐘の聲ばかりして、物さびしきありさま、木ずゑのもみぢ嵐にたぐふ姿、何となくあはれに侍りき。

 さて、觀音堂に參りて、法施など手向(たむけ)て侍りて後(のち)、あたりを見めぐらすに尼の念珠をする侍り。ことに心をすまして念珠をする侍る。あはれさに、かく、

  おもひ入てするす數珠(ずゝ)の音のこゑすみておぼえずたまる我淚かな

とよみて侍るを聞きて、此尼こゑをあげて、「こはいかに」とて袖にとりつきたるを見れば、とし比偕老同穴(かいらうどうけつ)のちぎり殘からざりし女の、はやさまかへにけるなり。あさましく覺えて、「いかに」といふに、しばしば淚むねにせける氣色にて、とかく物言ふことなし。やゝほどへて淚をおさへて云ふやう、「きみ心を發して出給ひしのち、なにとなくすみうかれて、宵(よひ)ごとの鐘もそぞろに淚をもよほし、あかつきの鳥の音もいたく身にしみて、あはれにのみなりまさり侍りしかば、過ぎぬるやよひの比、かしら下して、かくまかりなれり。一人のむすめをば、母方のをばなる人のもとにあづけ置きて、高野のおく天野(あまの)の別所(べつしよ)にすみ侍るなり。さても又、我をさけて、いかなる人にもなれ給はば、よしなき恨みも侍りなまし。これはまことの道におもむき給ふめれば、露ばかりのの恨み侍らず、かへりて、知識となり給ふなれば、うれしくこそ。わかれたてまつりし時は、淨土の再會をとこそ期(ご)し侍りしに、思はざるに、みづから夢とこそおぼゆれ」とて、淚せきかね侍りしかば、さまかへける事のうれしく、恨みをのこさざりけん事のよろこばしさに、そゞろに涙をながし侍りき。さてあるべきならねば、さるべき法文なんど言ひ教へて、高野の別所尋ねゆかむと契りて、わかれ侍りき。

 年ごろもうれしかりし者とは思ひ侍りしかども、かくまであるべしとは思はざりき。女の心のうたてさは、かなはぬにつけても、よしなき恨みをふくみ、たえぬ思ひにありかねては、此の世をいたづらになしはつるものなるぞかし。しかあるに、別れの思ひを知識として、まことの道に思ひ入て、かなしきひとり娘をすてけん、ありがたきには侍らずや。

   *

冒頭、「かみのゆみはりの比」とは陰暦の七、八日の頃を指す。

 これに対して、山本健吉氏は『私はむしろ、源氏物語の玉蔓(たまかずら)の巻の、玉蔓の面影と見た方が床しさを仄かに置いてふさわしいと思う。とにかくこの籠り人は女性であり、しかも全体を春の夜の柔らかな感触で包んでいる』とする。しかし、源氏の同巻の玉蔓初瀬参籠の情景は必ずしも本句と鮮やかにリンクするようには私には思われない。寧ろ、如何にも抹香臭い釈教乍らも「撰集抄」の、芭蕉の愛した西行の、驚くべき邂逅体験の方が映像的には遙かに私にはしっくりくる。さればこそ「ゆかし」なのである。玉蔓では如何にも生々し過ぎる。しかも「ゆかし」だからと言って女性でなくてはならぬとは私には思われぬ。それを嗅ぎ取ったのが随行した「萬菊」丸、杜国ではなかったか? 彼の添え句はSEとしての無骨なる高下駄のカラカラという音とその修行僧の屈強なる肉体(それは若衆道の一方のシンボルでもある)を、桜散る春雨の茫たる景に配することで、如何にも面妖にして照的な俳諧的諧謔を確信犯で狙っているではないか。芭蕉もまた、そうした危うい趣向を面白く思ったればこそ、ここに採ったものであろうと私は読む。

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