楓 原民喜
楓 草葉
我が窓の側に立つおう楓
楓よ、我が心のどん底まで
汝一人知る。
楓よ我が今日の悲しみを
汝一人知る。
楓よ我が胸のさびしさを
汝一人知る。
たゞ楓(オウカイデ)と我れのみの
知る喜びと悲みと
さてはなげきとさびしさと
心の月に曇り行く
我の心は何なるか
更にくしきは
我が身なり我はそも
何なるか楓よ知るや
知らざらん、我また知らず人知らず。
[やぶちゃん注:原民喜がすぐ上の兄守夫(広島在住で原家四男。民喜より三つ上)と出した兄弟同人誌である、大正九(一九二〇)年九月号『ポギー』三号に所収(同雑誌は二人だけの原稿綴じ同人誌で、第一号は大正六(一九一七)年十二歳(民喜は県立広島師範学校付属小学校五年生)の時に刊行されている)。この時、民喜、未だ満十四歳、広島高等師範付属中学二年であった。
原民喜の分かち書き形式のこうした近代詩の中では、この一篇は現存する最古のものと思われる。
「草葉」は原民喜の最初期のペン・ネームと判断される。
「おう楓」及び「楓」のルビ「オウカイデ」は不詳。このような楓(ムクロジ目ムクロジ科カエデ属 Acer)の種名は見当たらない。「大楓」と読み換えることは簡単だが、歴史的仮名遣としてはおかしい。広島弁の可能性も捨てきれないものの、カタカナの「オウカイデ」は確信犯の「王楓」とも感じられなくはない。識者の御教授を乞うものである。なお、オオモミジ(ヒロハモミジ・ホロナイカエデ・エゾオオモミジとも)Acer amoenum
という種はある。これを指すか? しかし、どうも、これは大楓に、彼の誌的な「おう!」と言う呼びかけの感動詞に「楓」を添えたもののようにも私には思えてならず、それを彼だけの秘密の命「名」として「オウカイデ」という「幻想上の種」に換えたかのようにも私には思われるのである。大方の御叱正を俟つものではある。
底本は青土社版「原民喜全集 Ⅰ」の「拾遺集」に拠ったが、「心の月に曇り行く」の位置は、底本では、それ以前の有意な下部の配置からは一字上にある。しかし、それを再現すると、以下の「更にくしきは」と「何なるか楓よ知るや」の位置も一字上にずれてしまう。そのような意図を以って民喜か綴ったとは私にはどうしても思われないので、以上の字配を敢えてした。大方の御批判を俟つものではある。]