千葉行
結婚記念日のフラヰングで千葉の携帶圏外の大多喜町山中にある「童子(わらべ)」にて竹の子料理を堪能、「總元(ふさもと)」に下つて、「いすみ鐡道」に乘った。行き歸りの田舍道では白藤がとても美しかつた。私は鐡道好きなのではないが、この路線の風景は何かひどく懷かしい思ひを掻き立てさせたのだつた。今は無くなつた亡き母の鹿兒島の山中のかの大隅町岩川の實家邊りと全く違はぬ自然の愛しい景觀が髣髴と浮かび上がつた。無人驛に入ると、向かひの田に鯉幟が翻り、野生の雉子の啼く聲が頻りにしてゐた。見てゐると、雄々しい雄が田の畦をゆつくらと歩んでゐた。妻は野生の雉子の啼き聲も姿も始めて見るのであつた。私は、其から又、次の驛にあつても、田圃の脇の叢にやはり雄の雉子のすつくと佇む姿を認めたのであつた。妻の好きなムーミン谷の連中が其處此處に佇んでゐた。鴨川に出でて、海を見下ろす温泉に浸つた。私の好きな海をとくと見つめるのは二年振りのことだつた。昨年の夏に嗅覺を失ひ、潮の匂ひを感じとれないは少し哀しかつた。五十數年も前のことだ、父と亡き母と父の祖母と唯一度、此處いらを旅した思ひ出が甦つた。歸りの電車の中の――母の優しい言葉を――ふと思ひ出した……
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