樹木 原 民喜
樹木 原 民喜
枯れながら落ち着きはらつた樹木
もえ上る心を抱いて惱んで居る私
私は樹木に依りかゝつた
「樹木よ何故さう靜かにして居られるのか
教へて呉れ 愛と解脱の道を」
空に沈默して立つ樹木
「何故私はこんなにいらいらしてゐるのか
私は生きてる 愛に燃えながら
でも何一つ愛した事はないのだ。」
私は樹にさばりついた
冷たい樹の皮が二三度搖れたばかり……
あとは私の熱い吐息……。
[やぶちゃん注:前と同じく、大正一二(一九二三)年五月発行の『少年詩人』創刊号に所収。厳密に言うなら、原民喜は明治三八(一九〇五)年十一月十五日生まれであるから、公開当時の彼は、十七歳六ヶ月で、この年は三月に広島高等師範付属中学四年を修了し、大学予科受験資格が与えられたため、五年に進級したものの、全く登校せず、文学に耽溺(参照した底本年譜ではゴーゴリ・チェーホフ・ドストエフスキイ・宇野浩二の名が挙がる)、旧友であった熊平武二と交わり、この頃から詩作を始めたとある。まさにこれらの詩群は詩人たることを意識した民喜の最初期の詩群と理解してよい。
底本は一九七八年青土社刊「原民喜全集 Ⅰ」の拾遺集を用いたが、戦前の創作なので、恣意的に漢字を正字化した。
「さばりついた」「さばりつく」は広島弁で、「抱きつく」の意。]