原民喜・昭和二五(一九五十)年十二月二十三日附・長光太宛書簡(含・後の「家なき子のクリスマス」及び「碑銘」の詩稿)
[やぶちゃん注:発信は神田神保町(当時、民喜は丸岡明の実家であった「能楽書林」に間借りしていた)。宛先は札幌市の長光太。当時、民喜満四十五。この九十日後、民喜は自ら命を絶った。
底本は一九七八年青土社刊「原民喜全集 Ⅲ」の「書簡集・遺書」に拠ったが、終生、民喜が諸原稿を基本的に正字で記していた事実に鑑み、恣意的に正字化した。
「先日の本」不詳。
本書簡に出る詩篇は後の「魔のひととき」(民喜自死後四ヶ月後の昭和二六(一九五一)七月細川書店刊の「原民喜詩集」に所収)に(同底本のものを恣意的に正字化)、「家なき子のクリスマス」及び並んで載る「碑銘」として発表されたものと基本的には大きな差はない。以下に示す(同底本のものを恣意的に正字化)。
*
家なき子のクリスマス
主よ、あはれみ給へ 家なき子のクリスマスを
今 家のない子はもはや明日も家はないでせう そして
今 家のある子らも明日は家なき子となるでせう
あはれな愚かなわれらは身と自らを破滅に導き
破滅の一步手前で立ちどまることを知りません
明日 ふたたび火は空より降りそそぎ
明日 ふたたび人は灼かれて死ぬでせう
いづこの國も いづこの都市も ことごとく滅びるまで
悲慘はつづき繰り返すでせう
あはれみ給へ あはれみ給へ 破滅近き日の
その兆に滿ち滿てるクリスマスの夜のおもひを
碑銘
遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻
*
字配・字空け送り仮名を問題にしなければ、前者の六行目が本稿の「明日 ふたたび火は空から降りそそぎ」の「空から」が「空より」と変えられている点だけが有意に異なる。但し、字配に関して言うなら、私は個人的には「碑銘」はこの二つの折衷である、
碑銘
遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻
としたい人間である。]
主よ、あはれみ給へ、家なき子のクリスマスを
今家のない子はもはや明日も家はないでせうそして
今家のある子らも明日は家なき子となるでせう
あはれな愚かなわれらは身と自らを破滅に導き
破滅の一步手前で立ちどまることを知りません
明日ふたたび火は空から降りそそぎ
明日ふたたび人は灼かれて死ぬでせう
いづこの國もいづこの都市もことごとく滅びるまで
悲慘はつづき繰返すでせう
あはれみ給へあはれみ給へ破滅近き日の
その兆に滿ち滿てるクリスマスの夜のおもひを
先日の本探してゐますがまだ見つかりません
遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ墜つ天地のまなか
一輪の花の幻
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