ある晩 原民喜
ある晩
彩なす雲に光あり。
靑く光りて照る月の
流るゝ雲におほほれて
またあらはれて走り往く
びは一ぶちの音ふるふ
はりあぐる一聲また二聲
聞ゆる義太夫語る聲
素手のぞうろりさびし
蟲の聲たえたえに
月走る雲流る。
[やぶちゃん注:前掲と同じく、原民喜がすぐ上の兄守夫(広島在住で原家四男。民喜より三つ上)と出した兄弟同人誌、大正九(一九二〇)年九月号『ポギー』三号に所収。
原民喜の分かち書き形式のこうした近代詩の中では、現存する最古のものと思われる。
底本は青土社版「原民喜全集 Ⅰ」の「拾遺集」に拠ったが、戦前の作品であるので、恣意的に漢字を正字化した。
「びは一ぶち」とは「琵琶一打ち」の謂いであろう。
「ぞうろり」は不詳。「素手」とあるから「琵琶」を撥を用いずに素手で奏でることを指すか? 識者の御教授を乞う。【即時追記】公開から数分で教え子が、これは「浄瑠璃」ではというコメントを寄せて呉れた。浄瑠璃は歴史的仮名遣では「じやうるり」であるが、「じやう」は如何にも「ぞう」っぽく、「るり」は「ぞう」に引っ張られて「ろり」となりそうに感じた。附言しておく。]