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2016/04/22

「笈の小文」の旅シンクロニティ―― ほろほろと山吹ちるか瀧のおと 芭蕉

本日  2016年 4月22日

     貞享5年 3月22日

はグレゴリオ暦で

    1688年 4月22日

 

   西河(にじかう)

 

ほろほろと山吹ちるか瀧のおと

 

蜻蛉(せいれい)が瀧、布留(ふる)の瀧は布留の宮より二十五丁山の奥なり、布引の瀧、津の國幾田(いくた)の川上にあり。大和(やまと)箕面(みのおの)瀧、勝尾寺(かつをでら)へ越える道にあり。

 

「笈の小文」。後文を附した。

・「西河」現代仮名遣では「にじこう」。西河の滝のこと。吉野大滝とも称するものの、実際には滝ではなく、吉野川の急流につけられた名称である。現在の奈良県吉野郡川上村大滝(おおたき)にある。

・「蜻蛉が瀧」私の「笈の小文」の底本とする昭和三(一九二八)年日本古典全集刊行会刊正宗敦夫編纂・校訂「芭蕉全集 前篇」(国立国会図書館デジタルコレクションの当該画像)ではかくし、諸本は「蜻※」(「※」=「虫」+「鳥」)とし、諸注は「蜻螟」で「せいめい」と読みを振る。ところがネットを検索すると、川上村や観光協会の冊子及びそこにある説明板を見ると一様に「蜻蛉(せいめい)の滝」としているのでここはママとした。西河の近くにある滝である。さて、実はこの後文は一連の文章ではなく、この「蜻蛉が瀧」も句の標題であると推定されている。新潮日本古典集成富山奏校注「芭蕉文集」では、ここは実は以下のような感じに配字されてあるのである。〔 〕は小ポイントの割注。読み易くするために一部の配置を変えてある。

   *

 

   西河(にじかう)

 

 ほろほろと山吹(やまぶき)ちるか滝のおと

 

    蜻※(せいめい)が滝

 

布留(ふる)の滝は、布留の宮より二十五丁山の奥なり。

〔津の國幾田の川上にあり〕

    布引(ぬのびき)の滝

〔大和〕

箕面(みのお)の滝 勝尾寺(かつをでら)へ越ゆる道に有り

 

   *

富山氏はここに注されて、「蜻※(せいめい)が滝」の箇所は『次に句を掲出する予定であったものと思われる。即ち、この紀行が、芭蕉の完成した作品でないことを示す』という一文がある。多くの方は「笈の小文」が未完成作品であるとは認識されていないと思うので、特に引用させて戴いた。同氏の「笈の小文」冒頭の解説によれば、「笈の小文」という名は実は『芭蕉が別の』俳諧『選集名に予定した名称で、それをこの紀行の題名に流用したのは芭蕉没後における門人乙州(おとくに)の私意である。その内容も、芭蕉の未完の断片的な種々の草稿を乙州が編成したもので、芭蕉が一篇の紀行として完成したものではない』と記しておられる。

・「布留(ふる)の瀧」現在の奈良県天理市滝本町にある「桃尾(もものお)の滝」。

・「布留の宮」現在の奈良県天理市布留町にある石上(いそのかみ)神宮のこと。主祭神は「布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)」(神体とする布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊)であるが、配神の一柱が「布留御魂大神 (ふるのみたまおおかみ)」であることによる別称であろう。

・「二十五丁」凡そ二・七キロメートル。

・「布引の瀧」これは場所違いの、旧摂津(本文の「津の國」)現在の神戸市中央区を流れる生田川(本文の「幾田(いくた)」)の布引渓流にある四つの滝の総称で日本三大神滝の一つ。これは一種のメモランダとして名と所在を記したものに過ぎない。

・「大和箕面瀧」これも場違いの、現在の大阪府箕面市にある淀川水系の箕面川にある箕面(みのお)の滝。「勝尾寺」は現在の大阪府箕面市粟生間谷にある真言宗応頂山勝尾寺(かつおうじ)。これも一種のメモランダとして名と所在を記したものに過ぎないが、富田氏は『紀行文の一節としては異常である』と特に記しておられる。確かに然り、である。

 真蹟自画賛には、

 

   きしの山吹とよみけむ、よしのゝ川か

   みこそみなやまぶきなれ。しかも一重

   に咲(さき)こぼれて、あはれにみえ

   侍るぞ、櫻にもをさをさをとるまじき

   や

 

と前書する(「をとる」はママ)。冒頭のそれは「古今和歌集」の「卷第二 春歌下」に載る紀貫之の和歌(第一二四番歌)、

 

 吉野川岸の山吹ふく風に底の影さへうつろひにけり

 

で、この一首によって吉野川に「岸の山吹」を詠むことが後の常套とはなったが、芭蕉のそれは「ほろほろと」という視覚上のアップの擬態語(オノマトペイア)を上五に配しながら、実は中七の「散るか」は、疑問の係助詞「か」によって視覚的現実性をよそながらに視線を外して微妙に留保しているのであり、しかも下五では「瀧の音」の音量を最大にしたSE(サウンド・エフェクト)のみによって聴覚的にコーダするという、まさに近現代のイメージ・フィルムのような手法が卓抜であると私は感ずる。私は中七では既にして芭蕉は――目をつぶって「瀧の音」のみを聴き乍ら――「ほろほろと」散る山吹の散るさまを心にイメージしてそれ――「ほろほろと」いう自然のシンボリックな聖なる「音」を聴いている――と感じるのである。

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