「笈の小文」の旅シンクロニティ―― 花の陰謠に似たる旅ねかな 芭蕉
本日 2016年 4月21日
貞享5年 3月21日
はグレゴリオ暦で
1688年 4月21日
大和國平尾村にて
花の陰(かげ)謠(うたひ)に似たる旅ねかな
「曠野」(同集では「草尾村」とするが、訂した)。真蹟懐紙に、
大和の國を行脚しけるに、ある農夫の
家に宿りて一夜を明かすほどに、ある
じ情け深くやさしくもてなし侍れば
はなのかげうたひに似たる旅寢哉
とある(同前書では「濃夫」とするが、訂した)。現在の奈良県吉野町平尾。
謠「に似たる旅寢」とは実に風狂の旅に生きた芭蕉ならではの実感であり、複式夢幻能の旅僧の姿を髣髴とさせて美事である。
伝世阿弥作とする謡曲「二人静」(静御前の霊が菜摘女に憑依する)に、
クセ「さる程に、次第次第に道せばき、御身となりて此山に、分け入り給ふ頃は春。所は三吉野の、花に宿かる下臥(したぶし)も、長閑ならざる夜嵐に、寢もせぬ夢と花も散り、まことに一榮一落まのあたりなる浮世とて、又、此山を落ちて行く」
とあり、また「忠度」(桜の木の本に忠度の霊が現われ、回向を求める)に、
シテ「行き暮れて木(こ)の下蔭(したかげ)を宿とせば花や今宵の主(あるじ)ならましと、詠(なが)めし人は此の苔の下。痛はしや、我等が樣なる海人(あま)だにも、常は立ち寄り、弔(とぶら)ひ申すに、御僧達はなど逆縁(ぎやくえん)ながら弔ひ給はぬ。愚かにまします人々かな」
とあり、諸注は他にも桜の花見に関わる「鞍馬天狗」「熊野(ゆや)」、旅僧が一夜の宿を求める「鉢の木」などを挙げる。山本健吉氏は『思いよせられる謡曲は多く、どれと決める必要はない。「花の陰」の旅寐であることが、謡の気分を導き出すのだが、杜国を伴っての吉野紀行は』(なるほど。ワキツレだ)、『芭蕉も日ごろに似ず気分が浮き立っているさまが見受けられる』とされる。さればこそ、私はこれはやはり、夢幻能であるのがよいと思う。そうしてそこに出る後ジテは桜の花の精であってよい。芭蕉の中の彼だけの秘密の謡曲であってよかろうとさえ思うのである。
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