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2016/04/03

和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 阿仙藥

Asenyaku

あせんやく 猿胞【俗稱

阿仙藥    佐留保宇】

 

按阿仙藥來於咬𠺕吧其氣味【微甘澁】功似百藥煎而多入

 用万金丹透頂香等藥或用阿仙藥一味邊境人爲頭

 痛腹痛解毒等要藥蓋夫百藥煎者容易之藥何爲唐

 舩無此乎未審今有三種共淺黒色帶微赤而形如芋

 魁者名圓猿胞如燧石者名平猿胞縮小而破之中微

 赤白色潤澤者名縮猿胞最爲佳

一種出於泉州堺有稱斧破猿胞者匾圓尺許厚七八分

 純黒押印字賣之製透頂香【外郎藥】者多用之

 

 

あせんやく 猿胞【俗稱。佐留保宇。】

阿仙藥

 

按ずるに、阿仙藥は咬𠺕吧(ヂヤガタラ)より來る。其の氣味【微甘、澁。】功、百藥煎に似て、多〔くは〕万金丹・透頂香等の藥に入れ用ふ。或いは、阿仙藥一味を用ひて、邊境の人、頭痛・腹痛・解毒等の要藥と爲す。蓋し、夫れ、百藥煎は容易の藥、何爲〔(なんすれ)〕ぞ、唐舩〔(からぶね)〕に此れ無きか、未だ審(いぶか)し。今、三種有り。共に淺黒色、微赤を帶びて、形、芋魁〔(いもがしら)〕のごとくなる者を「圓(まる)猿胞」と名づけ、燧石(ひうちいし)のごとくなる者を「平猿胞」と名づく。縮(ちゞ)み小さくして、之れを破れば、中に微赤白色〔の〕潤澤なる者、「縮猿胞」と名づく。最も佳しと爲す。

一種、泉州堺より出でて、「斧破(よきわり)猿胞」と稱する者、有り。匾〔(ひらた)〕く圓く、尺許〔り〕、厚さ七、八分。純黒。印字を押し、之れを賣る。透頂香を製する【外郎藥。】者は、多く之れを用ふ。

 

[やぶちゃん注:前に述べたが、本項が「蟲部」に独立項として立てられている意味が判らない。本文中で直前の「五倍子」を主剤とする「百藥煎」との絡みを一寸だけ述べているところだけしか、存在理由らしきものが見当たらず、以下に述べるように、本薬剤の主剤は昆虫を含む節足動物ではなく、植物と推定されるからである。本記載でも、「虫」との連関性を全く述べていないから、ますます不審なのである。私の疑問にお答え戴ける方の御教授を乞うものである。

 さて、ではこの「阿仙藥」とは何か? といえば、それに簡潔に明快に答えて呉れているのは、まずは、私の愛するウィキペディアの「ガンビールノキ」なのである。そこには、「阿仙薬」とは、被子植物門双子葉植物綱アカネ目アカネ科カギカズラ属ガンビールノキ Uncaria gambir の葉及び若枝を乾燥させて加水し、そこから抽出した精製エキスのことだと断言してあるのである。そこには『阿仙薬(あせんやく)という生薬の』一種『として用いられる(日本薬局方による)』(下線やぶちゃん。以下、同じ)と明記されていることからも本叙述は公的見解をカバーしている。『別名はガンビール、ガンビール阿仙薬。阿仙薬は褐色でタンニン類を多く含み、整腸薬、収斂性止瀉薬、口腔清涼剤として用いる。身近な例では、正露丸、仁丹などに配合されている』。附加して、『また、別種であるマメ科のペグノキ Acacia catechu』(双子葉植物綱マメ目マメ科マメ科 Senegalia Senegalia catechu のシノニム)『を阿仙薬とすることがあるが、こちらはペグ阿仙薬ともいう。ペグ阿仙薬は、現在、輸入されていない。なおペグノキはカテキュー、ミモザなどの別名も持つが、ミモザはマメ科数種の通称であり、必ずしもペグノキのことを指すとは限らない』とあるので、これも候補となる。

 また、サイト「神田雑学大学」の第二百六十八回講演録である薬学博士杉山茂氏の「老化を遅らせるガンビヤ」の記載中に(読点の他に混在するコンマを総て読点に変えた)、

   《引用開始》

 ガンビヤとは、本来インドなど南方系の派生するアカネ科のウンカリア ガンビールという植物を主成分として作られています。ウンカリア ガンビール[やぶちゃん注:上記「ガンビールノキ」の学名 Uncaria gambir。]は、現在ではマレー半島、ボルネオ、インドネシアで栽培され、その若枝・葉を中心に水を加えて数時間煮詰めた後冷却し、サイコロ形に固めたものがガンビヤとなります。

 古来、マレー、インド東部、インドネシア、中国南部、台湾等ではびんろうじゅの実(ビンロージ)にガンビヤを水で練って塗り、キンマの葉で包んで咀嚼するベテルチューイングと呼ばれる風習がありました。昔は食事の前の喫茶、後の喫子(ベテル)と言われ、一般に愛用されたものです。ガンビヤを常に咀嚼すると、食事を取らなくても空腹を感ぜず、不老長寿の効果があるとされてきました。[やぶちゃん注:「びんろうじゅ」単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ属ビンロウ Areca catechu 。本種の果実である檳榔子(びんろうじ)はアレコリン(arecoline)というアルカロイドを含み、興奮・刺激・食欲抑制作用を持つとされる。「キンマ」植物としては双子葉植物綱モクレン亜綱コショウ目コショウ科コショウ属キンマ Piper betleを指す。非常に渋いが、古くは媚薬とされ、現行では健胃・去痰、頭痛・関節痛・歯痛などに効果があるとされる(但し、本邦ではビンロウジと石灰(酸化カルシウム)とキンマの葉を噛む習慣を考慮して、そのすべてをまとめてキンマと呼ぶことが多い。日本語における「キンマ」の語は、タイ語における「キン(食べる)+マーク(ビンロウジ)」(ビンロウジ(檳榔子)を食べる、の意)という語の訛である、とウィキの「キンマ」にある)。]

 ガンビヤを咀嚼して健康を保つ習慣は、民族学者の研究によると紀元前に遡るといわれています。その地域は、ガンビアの原産地であるインド、東南アジア、オセアニアを中心として東はマーシャル半島、西はパキスタンにまで及びます。

 東洋では、中国南部、台湾にもその習慣がありました。その消費量は地域全体にすると数萬トンに達するという試算もあります。

 この健康的な習慣にふれる文献は、薬物的には中国の本草書(薬理書)に紀元前2~3世紀に記載されていますが、私が発見した大衆的な著述の第一は、マルコポーロの「東方見聞録」に見受けられます。マルコポーロは1150年頃、インドのカイルの町(現在のマドラス州ティンネブイリ海岸にあった町)を訪れたとき、住民たちの習慣に関心をしめし「~住民から貴族・国王に到るまでガンビヤを口にしている。この習慣は健康に良いとのことだ。」と記述しています。

 また、日本では1211年、宗から帰った臨済僧・栄西は「喫茶養生記」を著して、中国・広東省の地について触れ、「~この州は瘴熱の地なり、唐都の人、任に補して此処に至れば、即ち十が九は帰らず。食物美味にして消し難し。故にガンビヤを食ひ、茶を喫す。若し喫せざれば即ち身を侵すなり。」と述べています。

 1520年頃、戦国大名の後北条氏が小田原に城下町を開いた折、京都外郎の家来外郎藤右衛門が小田原を訪れ,ガンビヤと効品を主成分とする透頂香なる売薬を、時の当主・北条氏綱に献上して、「~この薬は口臭をとり、眠気を払い、命を延ばす神薬であり不老長寿の霊薬でございます」と口上をのべました(「小田原北条記」)[やぶちゃん注:書名を丸括弧で括った。]。

 この透頂香は外郎家が博多・京都・小田原と14世紀から続いている健康薬品(売薬)で小田原の「ういろう」につながります。

 万金丹は、伊勢神宮の朝熊(あさま)の万金丹、小西の万金丹屋を中心として三十数軒の販売所が出来るほどの人気をもつ大衆健康薬となっていました。江戸時代以降、伊勢参りが盛んになり、参詣客が必ず求めて帰ったのが万金丹です。この透頂香や万金丹の主成分がガンビヤです[やぶちゃん注:一部の空隙を詰め、ひらがなの「いこう」を漢字に直し、直後に読点を打った。]。

 私の試算では万金丹に使われるガンビヤの量が年間4~5トン、透頂香で約1トンで当時最大の健康薬品(売薬)になりました。紀元前2千年もの歴史から、その副作用等の心配がないことは明白です。

   《引用終了》

とあるので、「阿仙薬」の主剤、というよりも、生薬としての「阿仙薬」の原料はガンビールノキであると断定してよい。以下、杉山先生は、本生薬の効能を、強い活性酸素抑制能力による「生活の質」(QOL:quality of life)の向上・過酸化脂質の無毒化・心筋梗塞の発生抑制・細菌性食中毒の予防・身体機能の「恒常性」(Homeostasis:ホメオスタシス)を健康な状態に保つ・健胃整腸機能その他として詳述されておられる。最後に、特に「ガンビヤと阿仙薬」について[やぶちゃん注:前の引用と同じような処理を施した。下線はやぶちゃん]、

   《引用開始》

 健康食品としてのガンビヤは、その主成分が学名をアカネ科のウンカリア ガンビールとされ、100g中タンニン酸として62g、d-カテキン、dl-カテキン、d-エピカテキン,ケルセチン等カテキン類を34g含みます。中国名は、児茶鉤藤ないし方児茶です。そのほか本薬用効果を高めるためのアルカロイドを数種類含みます。

 阿仙薬は、日本だけ通用する和漢薬名で、実に曖昧な名称です。今後使用しない方が良いと思います。

 蜀阿仙薬、皿多阿仙薬、ベンガル阿仙薬、ペグ阿仙薬、コロンボ阿仙薬、シャム阿仙薬等と呼び、品質の同定が難しいのです。さらにこれらの阿仙薬を総括する、さるぼう(猿胞)なる名があります。これは厚く塗り付けることを意味する英語SALVEの古名SALVOから由来します[やぶちゃん注:「salve」(サーヴ)は名詞では軟膏・膏薬、動詞では、軟膏などを塗る、心を和らげ癒やすの意を持つ。]。

 しかも15世紀に中国で造られた「百薬煎」という、五倍子を主成分とする阿仙薬の模造品があり、日本でも模倣されました。鈸割阿仙薬[やぶちゃん注:「鈸」はシンバルに酷似した楽器。「ばちわり」と訓じているか。恐らく、本文の「よきわり」と同義と思われる。]、びんろう膏ともいいます。これは江戸期から明治期まで透頂香妬等に用いられ、これも阿仙薬と呼ばれました。ちなみに、蜀阿仙薬も四川省では児茶は生産されておらず、五倍子の生産地であることから百薬煎であるとおもわれます。

   《引用終了》

これは流石に透頂香! もう、眼から猿が落ちて、ほう(胞)! と、羽化登仙する感じや! しかも杉山先生によれば、前項の「百藥煎」という薬物は五倍子を主成分とした「阿仙藥」の模造品、偽物ということになる。ますます、この箇所は「蟲部」から離れて、妖しい世界に我々を誘うというわけである。

・「咬𠺕吧(ヂヤガタラ)」狭義には現在のインドネシアの首都ジャカルタの古称(現地発音に近い音写)であるが、近世、ジャワ島から日本に渡来した品物にやたらに冠したことから広義に、インドネシアの中心を成すジャワ島(Java)のことをも指す。ここは後者。

・「万金丹」現在も「萬金丹」を製造販売し六百年もの歴史を持つ「伊勢くすり本舗」公式サイト内の「萬金丹の歴史」から引く(段落冒頭を一字空けた)。

   《引用開始》

 「越中富山の反魂丹、鼻くそ丸めて萬金丹」という俗謡でも親しまれてきた萬金丹は、伊勢白粉(いせおしろい)とともに伊勢路の土産物として全国に広まりました。

 お伊勢参りは江戸時代に庶民の間に広がり、村や町ごとに積立金で年一回代参を送り出す〝伊勢講〟といった風習が定着し、代参人は、荷物にならず、しかも実益ある薬ということで、 お参りの土産物として萬金丹を選び、送り出した人々からありがたいと喜ばれました。

 また、武士が腰に下げていた印籠の中にも萬金丹が入っており、懐中薬の代表でもありました。その人気から、伊勢の萬金丹には多くの偽物が出現し、ひと頃30種類もの萬金丹が出回っているほどでした。

 そのなかでも古い歴史をもつ、「野間萬金丹」は、かつて〝霊方萬金丹〟として知られ、野間家の言い伝えによると、祖・野間宗祐が室町時代の応永年間(1394~1427)に故郷・尾張国野間から仏地禅師に随行して朝熊岳の金剛證寺に移住し、その信仰の中で秘方を授けられ、創薬したのが萬金丹であったといわれています。

 金剛證寺は伊勢神宮の鬼門を護る寺とされ、「お伊勢に参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭にも歌われたことでも知られており、金剛證寺で祈祷を終えた後、参詣の人々が多く買い求めたといわれています。

 萬金丹は、江戸時代、旅の道中に常備する万能薬とされていましたが、主に胃腸の不調を改善するもので、その効能は、食欲不振、消化不良、胃弱、飲みすぎ、食べすぎ、胸やけ、胃もたれ、はきけ(胃のむかつき、二日酔い、悪酔、悪心)などとなっており、又、配合されている生薬には、下痢、腹痛にも効果があり、その用途は幅広いものでした。

   《引用終了》

同公式サイト内の成分表には一日量である十五丸中に「アセンヤク末」が千ミリグラム、以下、ケイヒ末・チョウジ末・モッコウ末が各百ミリグラム、センブリ末五十ミリグラム、L-メントール十ミリグラム(添加物にカンゾウ末・米粉・金箔を含有)とある。今も主剤はガンビールノキを原料とした「阿仙薬」と考えてよかろう。

・「透頂香」外郎(ういろう)。現在も神奈川県小田原市本町の外郎(ういろう)家で製剤されている薬。ウィキの「ういろう(薬品)によれば、『ういろうは、仁丹と良く似た形状・原料であり、現在では口中清涼・消臭等に使用するといわれる。外郎薬(ういろうぐすり)、透頂香(とうちんこう)とも言う』。『中国において王の被る冠にまとわりつく汗臭さを打ち消すためにこの薬が用いられたとされる』。十四世紀の『元朝滅亡後、日本へ亡命した旧元朝の外交官(外郎』(がいろう:正規定員外の役職を指す。「ういろう」は唐音)『の職)であった陳宗敬』(ちんそうけい)『の名前に由来すると言われている。陳宗敬は明王朝を建国する朱元璋に敗れた陳友諒の一族とも言われ、日本の博多に亡命し』、『日明貿易に携わり、輸入した薬に彼の名が定着したとされる。室町時代には宗敬の子・宗奇が室町幕府の庇護において京都に居住し、外郎家(京都外郎家)が代々ういろうの製造販売を行うようになった。戦国時代の』永正元(一五〇四)年には、本家四代目の『祖田の子とされる宇野定治(定春)を家祖として外郎家の分家(小田原外郎家)が成立し、北条早雲の招きで小田原でも、ういろうの製造販売業を営むようになった。小田原外郎家の当主は代々、宇野藤右衛門を名乗った。後北条家滅亡後は、豊臣家、江戸幕府においても保護がなされ、苗字帯刀が許された。なお、京都外郎家は現在は断絶している』。『江戸時代には去痰をはじめとして万能薬として知られ、東海道・小田原宿名物として様々な書物やメディアに登場した。『東海道中膝栗毛』では主人公の喜多八が菓子のういろう』(一般には米粉などの穀粉に砂糖と湯水を練り合わせて型に注いで蒸籠(せいろ)で蒸した菓子。同名由来は本薬に色や形がよく似ていたためとも、この強い薬臭の口直しに用いたためともされるが定かでない。この同名、実は私自身、昔からひどく気に掛かってしょうがないのである)『と勘違いして薬のういろうを食べてしまうシーンがある。歌舞伎十八番の一つで、早口言葉にもなっている「外郎売」は、曾我五郎時致』(ときむね:かの曽我兄弟仇討で知られる祐成の弟)『がういろう売りに身をやつして薬の効能を言い立てるものである。これは二代目市川團十郎が薬の世話になったお礼として創作したもので、外郎家が薬の行商をしたことは一度もない』。『太平洋戦争中は企業統合により製薬企業及び薬品が統合されていったが、ういろうはそうした状況においても処方・製法が維持された』とある。同薬の成分には、丁香(クローブ)・樟脳・薄荷・麝香・人参・桂皮・甘草などと並んで、阿仙(恐らくはやはりガンビールノキを原料としたそれと思われる。不思議なことに、公式サイト内にも詳細成分表示がない)が含まれている。効能は胸腹痛・渋腹・胃痛・食中毒・下痢・吐き下し・悪心・急性慢性胃腸炎・便秘・つわり・感冒・息切れ・咳・気管支炎・頭痛・心臓病・・口内炎・歯痛みに加え、牛馬家畜諸種の疾患もあるとする(以上の成分と効能は個人ブログ「ハナトモのベルギースウェーデンオーストラリアシンガポール日記」の小田原の万能薬「ういらう」に載る、ブログの主人が購入した薬の説明書の電子化されたものを参照させて戴いた)。

「蓋し、夫れ、百藥煎は容易の藥、何爲〔(なんすれ)〕ぞ、唐舩〔(からぶね)〕に此れ無きか、未だ審(いぶか)し」――思うに、これ、「百薬煎」は本邦に於いても質を問題にしなければ、これ、どこでも容易に手に入る薬であるのに、どうして海外から来る商船にはこれが積まれて来ないのか、未だに私は不審に思うている――という謂いである。さてもどうもこれ、

良安は、「阿仙薬」の模造された似非薬であった「百薬煎」を、逆に、カメムシ目アブラムシ上科アムラムシ科タマワタムシ亜科 Schlechtendalia 属ヌルデシロアブラムシSchlechtendalia Chinensisが寄生して形成される大きな虫癭を原料とした「百薬煎」と同じ成分由来、昆虫由来の薬物として「阿仙薬」を考えていたのではなかったか?

ここで彼は、

――われ、こら! 「百薬煎」と同じい「五倍子」と同んなじような虫から出来(でけ)た「阿仙薬」が、何(な)してジャガタラより外の、中国やら南蛮諸国やらから、入って来んのや?! おかしいやないカイ!!――と言っているのではないか?

さすれば、彼がこの「蟲部」にこれを見出し項として立てた理由も、強ち、分らぬではない気がして来るのである。大方の御批判を俟つ。

・「芋魁〔(いもがしら)〕」単子葉植物綱オモダカ目サトイモ科サトイモ属サトイモ Colocasia esculenta の根茎。

・「圓(まる)猿胞」挿絵中の一番上の丸い形のもの。ネットで画像検索をかけると真正のガンビヤっぽい。

・「燧石(ひうちいし)」本邦では石英・黒曜石・讃岐石(サヌカイト)及び水晶や瑪瑙を含む石などが用いられた。

・「平猿胞」挿絵中の一番上の左中央のもの。これもガンビヤらしくなくはない。

・「縮(ちゞ)み小さくして、之れを破れば、中に微赤白色〔の〕潤澤なる者、「縮猿胞」と名づく」「最も佳しと爲す」挿絵中の右中央のもので、これも確かにガンビヤっぽい。

・「泉州堺より出でて」しかやな、鎖国しとるのに、日本にないガンビールノキから精製したガンビヤ(次注参照)が何でここの名産品として出るんや? おかしいやないカイ?! 良安はん?! と馬鹿真面目に言ってみたくなった。

・「斧破(よきわり)猿胞」「透頂香を製する【外郎藥。】者は、多く之れを用ふ」とあるから、これこそまさしく純植物性生薬、真正のガンビールノキから精製したガンビヤということになるのであろうが、しかし待てよ?

「尺許〔り〕、厚さ七、八分」とあるぞ?

円盤状のその直径は訳三十・三センチメートル、盤の厚さは凡そ二十一・二~二十四・二センチメートル

だと?!

ガンビヤはネット画像で見る限り、そんなでかくないで?!?

乾燥品を押し固めればそうなることはなるかも知れぬが、そんなことする意味、何か、あるんかい?!

実は実は、

この真正と思われる最良品なるものこそが

元手のかからぬ、本邦で調達出来る、五倍子なんどをふんだんに使って拵えた

巨大化させた似非「阿仙薬」

だったんではあるまいか?

だからこそ、かの堺商人が飛びついて、大量に模造捏造出来たんではなかったか?

そんな妄想で以ってこの注は終ろうと存ずる。大方の御批判を俟つものである。]

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