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« 永遠のみどり   原民喜   (自筆原稿復元版) | トップページ | 進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第四章 人爲淘汰(2) 三 變異性のこと »

2016/04/15

原民喜自筆原稿「永遠のみどり」と現行通行の「永遠のみどり」の異同その他についての注 藪野直史

 これは既に公開した私の『原民喜「永遠のみどり」(原稿復元版)』と、現行通行の同本文である原民喜「永遠のみどり」(一九七八年青土社刊「原民喜全集 Ⅱ」所収の同篇)と校合したものである。

 その異同数は最終的に実に個別に数えるなら百箇所以上に及ぶ夥しいものとなった。されば、別ウィンドウで対照しなければ本文との比較読みは難しいと判断し、かく別立てデータで示すこととした。

 異同及び自筆原稿の校正指示による私の操作(主たるものは文の順列移動で、一部は移動元の開始部分が示されていないことから、同現行通行本文(以下、(現行)と表記する)と比較して推定で行った箇所もある。但し、それを説明するのは極めて煩瑣であるので省略した。悪しからず)は以下の通りである。(現行)のそれと大きな異同と認められるもの、或いは(現行)と比べて不審なものに、特に「◎」を附した(「△」は備考解説)。なお、一部、抹消線の振り忘れが見られるが、民喜に好意的に抹消線を追加した箇所も多い。それらまで注するのは、煩瑣にして益なしと判断して、原則、掲げていない。悪しからず。いや、それでもこ、れだけの膨大な相違点があることにこそ注目して戴きたいのである。

 本文中でも述べたが、私は思うのだが、これは遺稿で、自筆原稿には校正の後まである決定稿であるはずなのに、現行のそれとこの自筆原稿がこれほど一致しないというのは異常なことのように思われる。別な清書原稿があったか、或いは、考えたくないが、これを最初の載せた『三田文学』の編集者が恣意的に改変した可能性をも疑わざるを得ない心境に私はあることを明記しておく。

 

《現在の「永遠のみどり」の通行本文との異同及びその他の注》

・第二段落「水道道路のガード近くの叢に」→(現行)「水道道路のガード近くの叢に、」(読点挿入)

・第二段落「春さきの陽を受けて、」→(現行)「春さきの陽を受けて」(読点除去)

・第二段落「靜かに死ねるものなら…‥」(後ろのリーダは二点))→(現行)「静かに死ねるものなら……」(以下、リーダ数はさまざまで、可能な限り再現してあるが、煩瑣なので異同注記は略す)

・第三段落冒頭は一字下げで鉤括弧が始まる→(現行)字下げをせずに一字目から鉤括弧(以下、鉤括弧で段落が始まる箇所及び直接話法箇所も総て同じなので、以下では略す

・第四段落『……どうして一たい生きて行くのでせうか」近くフランスへ留學することに決定してゐるEは……」の箇所は現行では『……どうして一たい生きて行くのでせうか」』で改行して、一字下げで「近くフランスへ留学することに決定してゐるEは……」と続いてあるものを、校正記号の「~」で繋げてある。(現行)もそうなっている。

・第五段落「茫然として、」→(現行)「茫然として」(読点除去)

第六段落「ぼんやり机の前に坐つてゐると、彼はそこが妻と死別した、【読点に「トル」】以前の、【読点に「トル」】千葉の家のつづきのやうな氣持さへした。」整序すると「ぼんやり机の前に坐つてゐると、彼はそこが妻と死別した以前の千葉の家のつづきのやうな氣持さへした。」の一文→(現行)「ぼんやり机の前に坐つてゐると、彼はそこが妻と死別した家のつづきのやうな気持さへした。」

・第六段落「それは、このさき」→(現行)「それはこのさき」

第六段落「おもひ出すのだつた。- - - -非力な戰災者を」は原稿では「おもひ出すのだつた。- - - -」で改行し、「 非力な戰災者を……」となっているのを「~」で繋げている。この「- - - -」は特異なもので、リーダではなく、短いダッシュ状のもので三マス分に打たれてある。ところが(現行)では改行が原稿通りに生きている。これは正直、「怪物」を直に説明する原稿の方が正しい処理であるように思われる。なお、(現行)では奇体な「- - - -」は存在しない(リーダもない)。

・(「特殊潜水艦の搭乘員だつた……」の段落内)「追詰められて」→(現行)「追い詰められて」

・(同段落内)「閃いた」→(現行)「閃めいた」

・(同段落内)「死ぬ前にもう一度…‥」→(現行)「死ぬ前にもう一度、」

(「ある日、彼はすぐ近くにある、井ノ頭公園の……」の段落内)「満ちあふれる、明るいものが、しきりに感じられるのだつた。- - - -彼が日に一度はそこを通る……」→(現行)「満ち溢れる明るいものが頻りに感じられるのだつた。」(「あふれる」「しきりに」の漢字化と二ヶ所の読点除去の計四ヶ所の異同)で、しかもここも「- - - -」で改行されてあるのが、「~」で繋げられているにもかかわらず、(現行)では「- - - -」が除去されて、「彼が日に一度はそこを通る」は改行されてある。

◎最初の挿入詩篇の冒頭「とおう とおう あまぎりいいす」→(現行)「とおうい とおうい あまぎりいいす」(これは朗読時に全くニュアンスが異なってくる)

◎(同挿入詩篇)「少年の胸には 朝ごとに窓 窓がひらかれた」→(現行)「少年の胸には 朝ごとに窓窓がひらかれた」(これは朗読時に全くニュアンスが異なってくる)

・(同挿入詩篇の直後)「書いて」→(現行)「書きしるして」

◎(同じく同挿入詩篇の直後)『こんどのペンクラブ「廣島の會」には、どうしても出掛ようと決意してしまつた。…‥〔たくなつた。〕彼は』→(現行)『こんどのペンクラブ「広島の会」には、どうしても出掛ようと思つた。……彼は』(原稿と異なる。しかもリーダも生きている。民喜の苦悶する複雑な作家としての心境が、この書き換えによって明らかになってくる、非常に重要な箇所であると私は思う)

・(同じく同挿入詩篇の直後)「懷しかつた」→(現行)「懷しかつた」

・(同じく同挿入詩篇の直後)「さういふ突飛なおもひつきが、」→(現行)「さういふ突飛なおもひつきが」(読点除去)

・(「ある日、彼は友人から……」の段落内)「それは、確實な出版社の企畫で」→(現行)「それは確實な出版社の企畫で」

・(同段落内)「その仕事をなしとげれば、彼にとつて……」→(現行)「その仕事をなしとげれば彼にとつて……」

・(同段落内)「保証されるわけだつた」→(現行)「保証される見込みだつた」

(同段落内)「彼は廣島の兄に借金を申込むつもりにした。……〔ペンクラブの一行とは廣島で落合ふことにして、彼は一足さきに出發することにした〔つもりだつた〕。〕倉敷の……」→(現行)「彼は廣島の兄に借金を申込むつもりにした。……倉敷の」(挿入された一文は全く除去されており、抹消しているリーダが生きている)

(同段落内)「やさしい交流が遠くに感じられた。……それは戀といふのではなかつたが」ここは原稿では「やさしい交流が遠くに感じられた。」で改行されて、「 …‥それは戀といふのではなかつたが」となっているものを「~」で搗挙げてある。しかし、(現行)では、この改行が生きていて、「 ……それは恋といふのではなかつたが」となっている。

◎(同段落内)「uといふ二十二になるお孃さん」は明らかに小文字の「u」を大きく書いたものであって、現行の原民喜の諸作品で「U」とされるのも、実は原稿では大きな小文字の「u」である可能性が高くなったと言える。出版物によって思い込まされることの恐怖を大いに私は感じている。

・(「彼は側にゐる、この優雅な少女が……」の段落内)「十文字に欅をかけ挺身隊にゐた」→(現行)「十文字に欅をかけて挺身隊にゐた」

・(同段落内)「痛痛しい」→(現行)「痛々しい」(本校訂で判った大きな収穫は、原民喜は踊り字の「々」を好まないという事実であった。以下、(現行)とのその異同は示さないが、自筆原稿には「々」が全く用いられていないのである

△(同段落内)「パツと」の「ツ」はやや右寄りで拗音表記「ッ」のようにも読めるが、「ツ」で採った。

新鮮な閃めきがあつた。二十二歳といへば彼が結婚した時の妻の年齡であつた。

(「神田を引あげる……」の段落の末尾)「……ペンクラブの一行とは廣島で落合ふことにして彼は一足さきにひとり東京を出發し〔てゐ〕た。」→(現行)「……ペンクラブの一行とは広島で落合ふことにして彼は一足さきに東京を出發した。」(先の挿入があるから原稿の方はこのような形でよいとは思うが、「ペンクラブの一行とは」を削除してしまうと、「廣島で落合ふ」相手が「u」嬢に読めてしまい、これはまずい。これが唯一の元原稿であったなら、私が編者であっても何としてもここに関しては改竄しようとはするであろう。とすれば、頭の「ペンクラブの一行とは」の抹消を生かせばよいのだから、まさに現行と一致することになる。ということは、この原稿こそが私は遺稿の唯一の原稿だったのではないか? とやはり疑うのである。とすれば、現行通行の「永遠のみどり」との夥しい異同はこれ、筆者である原民喜の与り知らぬものなのではなかろうか?

「倉敷の姪たちへの土産ものを買ひながら……」で始まる段落は実は自筆原稿では、前の段落に続いている。しかし、改行を示すL字型の鉤がここに附されているので、それに従って改行した。ところが(現行)では繫がったままとなっているのである。

(「倉敷驛の改札口を出ると……」の段落内)「小さな犬を抱へたゐる女の兒が目についた。」→(現行)「小さな犬を抱へてゐる女の兒が目についた。」(不思議なことに二ヶ所の抹消が孰れも生きている。何故に不思議かと言えば、この「抱へた」の「た」は可能性として「て」と書いたものの上に二本の線を巧みに加えて「て」を「た」に変えたようにも見えるからである。もし、そうだとすれば、この訂正は民喜の絶対の訂正であったと考えた方が自然である。それを仮に、後に別に清書する際に(清書原稿があったとしての話である)、また元の「抱へてゐる」に表現を戻すという方が私には不自然に思われるからである。他の箇所もそうだが、民喜がこの自筆原稿で抹消したり、抹消訂正したりしている確信犯の箇所が夥しく元の形で蘇っているというのは、如何にも民喜らしくないと私は思うのである)

・(同段落内)「お時儀」→(現行)「お辞儀」。

・(同段落内)「小さな〔この〕姪は、」→(現行)「小さな姪は」(二ヶ所。訂正が生かされていないことと、読点がない点。但し、この読点は吹き出しなしでマスの右下角に上に打たれており、単にペンをそこに置いてしまっただけのようにも見えぬことはない。しかし私は読点の挿入と見る)

・(「倉敷驛の改札口を出ると……」の次の段落冒頭)「お母さんは今、ちよつと出かけてゐますから」→(現行)「お母さんは今ちよつと出かけてゐますから」

・(「倉敷驛の改札口を出ると……」の次の段落末尾)『「どうぞ』はママ。続けるつもりが、ここまで書いて改行することにしたものの、それを抹消し忘れたものと思われる。

・(「どうぞ、お吸ひなさい」の段落内)「スミレ・雛菊・チユーリツプ」→(現行)「スミレ、雛菊、チユーリツプ」

・(同段落内)「〔その〕色彩の渦にしばらく見とれてゐると」→(現行)「色彩の渦にしばらく見とれてゐると」(この原稿の「その」は吹き出しなしで「色」のマスの右上に小さく記されてある)

◎(前の段落の次の段落)「すると小さな」は(現行)では前の段落に続いてしまっている。]

・(同前)「やつて來て」→(現行)「やつて來て、」(読点追加)

◎私が便宜上、下線を施した箇所である、『こんど小學三年生に進級したこと、將來は女醫にならうとしてゐることなど、妹は説明した。』(改行)『 「いいこときいた。それでは僕が死ぬ時には、あんたに看病してもらへる」』の部分は、全体が手書きで囲まれているものの、それが直ちに抹消線と判るような印象のものではないしかし、(現行)ではここはごっそり除去されて存在しない自死を既に考えていた民喜にとって(彼の自死の意識は遅くとも昭和二五(一九五〇)年年末には固まっていたものと類推される)、若し、自分の死後にこの原稿が公にされるとしたら、これは姪に対して失礼となると思って、留保を示すために囲みをしたものとも思えなくもない。或いは単にプライベートな親族に関わる内容なのでカットを考えていたとする方が自然か。

『大きい方の姪はまだ戾つて來なかつたが、彼が土産の品を取出すと、「まあ、こんなものを買ふとき、やつぱし、あなたも娯しいのでせう」と妹は手にとつて笑つた。』これは原稿用紙では前の部分を挟んで六行も後に書かれてある(しかも改行で)もので、「彼が土産の品を取出すと」で改行されたものが、「~」で『「まあ、こんなものを買ふとき……』と繋げられてあるものを、私がそこだけ校正記号通りに組み直したものである。即ち、この箇所の前後(後注も参照)の自筆原稿の決定稿は、

   *

 「どうぞ、お吸ひなさい」と姪はマツチを持つてくると、これで役目をはたしたやうに外に出て行つた。彼は壁際によつて、そこの窓を開けてみた。窓のすぐ下に花畑があつて、スミレ・雛菊・チユーリツプなどが咲き揃つてた。その色彩の渦にしばらく見とれてゐると、表から妹が戾つて來た。

 すると小さな姪は母親の側にやつて來てぺつたり坐つてゐた。こんど小學三年生に進級したこと、將來は女醫にならうとしてゐることなど、妹は説明した。

 「いいこときいた。それでは僕が死ぬ時には、あんたに看病してもらへる」

 大きい方の姪はまだ戾つて來なかつたが、彼が土産の品を取出すと、

 「まあ、こんなものを買ふとき、やつぱし、あなたも娯しいのでせう」と妹は手にとつて笑つた。先日の甥の結婚式の模樣を妹はこまごまと話しだした。

   *

であるが(現行)では(段落単位で出す)、

   *

「どうぞ、お吸ひなさい」と姪はマツチを持つてくると、これで役目をはたしたやうに外に出て行つた。彼は壁際によつて、そこの窓を開けてみた。窓のすぐ下に花畑があつて、スミレ、雛菊、チユーリツプなどが咲き揃つてゐた。色彩の渦にしばらく見とれてゐると、表から妹が戻つて来た。すると小さな姪は母親の側にやつて来て、ぺつたり坐つてゐた。大きい方の姪はまだ戻つて来なかつたが、彼が土産の品を取出すと、「まあ、こんなものを買ふとき、やつぱし、あなたも娯しいのでせう」と妹は手にとつて笑つた。

   *

となっているのである。

◎『先日、廣島の〔すんだ〕〔の〕甥の結婚式の時の〔の〕模樣を妹はこまごまと話しだした。』(段落冒頭)は実は前の段落に続いている。しかし、L字型の改行記号が附されて「~」で「式のとき……」の頭に繋がってあるので、それに従った。但し、(現行)では次の「式のとき……」以下の直接話法は、この一文の後で改行されてある。しかし、この原稿の校正指示からはそうは読めないし、私ならそう校正はしない。

◎私が便宜上、下線を施した箇所。「終戰後、急に好學心に燃えて、東京では彼のところへ時時訪ねて來てゐた甥も、學資が續かないから、と父親に退學を云渡されると、そのまま廣島に戾つて家業を手傳つてゐた。前には不平らしい手紙を彼のところへ寄越すこともあつたが、それも近頃は來なくなつてゐたので、今は甥がすつかり落着いたことが想像された。」は上部罫外に「[」を右に倒した巨大な記号が附されてある。そうして(現行)には、この段落全体が存在しない。やはり、プライベートな親族に関わる内容なのでカットを考えていたか。

・(その直後の直接話法)「式のとき、あなたの噂も出ましたよ。あれはもう東京で、ちやんと、いいひとがあるらしいとみんなさう云つてゐました」→(現行)「式のとき、あなたの噂も出ましたよ。あれはもう東京で、ちやんといいひとがあるらしい、とみんなさう云つてゐました」

◎私が便宜上、下線を施した箇所。『「あんまり、いい嫁入支度だつたので、末雄が少しやきもきしだして‥‥」と、妹の話は廣島の弟のことに移つてゐた。昨年の暮、彼が神田でまだ引越先が見つからない〔でいる〕頃だつた。三年前シベリアから戾つて來た弟が、はじめて上京して姿を現はした。兄の家の浦の物置小屋で新婚生活を營んでゐる、この弟は、「金が欲しい、金が欲しい、せめて小さな家でも建てられる位の」と、その時も頻りに嘆息してゐた。母親の存命中は充分に甘やかされ、華やかなスポーツ選手だつた弟も、長い戰爭と捕虜生活の揚句、變り果てた郷里に舞戾つたので憂欝なのだらう。今でもこの弟はまだ兄たちと時時、衝突してゐるらしかつた。』(改行)『 「時時、ふいと倉敷へやつて來るのです。帽子から靴から、みんな友達のものを貸りて、お洒落して、それに家の人には行先も告げずに、やつて來るのです」。』は前と同じく、上部罫外に「[」を右に倒した巨大な記号が附されてある。そうして(現行)には、この部分全体が存在しない。やはり、プライベートな親族に関わる内容なのでカットを考えていたか(この弟が実在する七男敏であるならば、読めばすこぶる不快になる内容ではある)。なお、「末雄」であるが正直、拡大して見ると、どうも「末」の字には見えない。「禾」の感じはする。但し、民喜(五男)の実弟でこの時に生きているのは末弟七男(大正五(一九一六)年生まれ)しかおらず、彼の名は「敏」で「禾雄」でも「末雄」でもない。或いは彼は末っ子であるから、それを指して「末雄」と一般名詞風に言っているものか。しばらくこれで示しておく。

・「少女らしくなつてゐる〔つた〕姿」の箇所はやや民喜に好意的に示した。これは元は「少女らしくなつてゐる姿」としたものを書き換えようとして、「てゐる」を抹消したものの、前の「つ」(十三枚目原稿用紙末)を消さずに、そこへ「た」になるように画を加えたのであるが、その上に「つ」を補うのを忘れたのである(原稿用紙が改頁になる箇所なのでこうしたミスは生じ易い)。従って正しく決定稿を示すと、「少女らしくなた姿」になってしまうので、かく表示したのである。

・「何か彈いてきかせて下さい」は本来は改行しているが、「~」で繋げてあるのでそれに従った。

・『そのことを云ふと、「あなたが淋しいだらうとおもつて……』の「そのことを云ふと、」の後は改行されてあるが、「~」で繋げてあるのでそれに従った。

◎私が便宜上、下線を施した箇所。ふと、彼は昨日から氣になつてゐる史朗のことを訊ねてみた。」(改行)『「あれはしよんぼりしてゐます」と側から姪は口を出した。罹災當時、彼は寡婦の妹とその息子の史郎と三人で、次兄の避難先の八幡村の二階で暫く同居してゐた。ひどい飢餓におののきながら、殆ど毎日、生きた氣持はしなかつた。その後、妹は再婚したが、息子の史朗は長兄の家に引とられ、そこで、ずつと養はれてゐるのであつた。』前と同じく、上部罫外に「[」を右に倒した巨大な記号が附されて全体が囲まれてある。そうして(現行)には、この部分全体が存在しない。やはり、プライベートな親族に関わる微妙な内容なのでカットを考えていたものと思われる。

・「その日の午后、彼は姪に見送られて汽車にまづ倉敷を發つた。〕乘つた。〔彼はその日の午后、倉敷を出發した。〕」「まづ」の抹消字は自信がない。「まち」かも知れない。「乘つた。」は抹消のし忘れである。最初に、

「その日の午后、彼は姪に見送られて汽車に乘つた。」

としたが、気に入らず、いろいろ考えて、

「その日の午后、彼は姪に見送られて倉敷を發つた。」

と取り敢えず変えた(その間に今一段階が加わっているのが抹消部分)。しかしそれも気に入らず、全面的に右行間に、

「彼はその日の午后、倉敷を出發した。」

としたのだが、結局、それも気に入らず、原型そのものの、

「その日の午后、彼は姪に見送られて倉敷を發つた。」

と定めたのである。一行だにおろそかにしない民喜に頭が下がる。

・「各驛停車のその 〔列〕車は」この通りなら「各驛停車の列車は」となるはずだが、(現行)は「各驛停車のその列車は」である。

・「細君 〔新妻〕」両抹消はママ。「新妻」の方が右行間訂正で、その抹消線が著しく濃いので、「細君」を生きと考えてよかろう。(現行)も「細君」である。

・「彼のことまで鄕土出身の作家として紹介してあるのを、この家に來て〔はじめて〕知つた」「はじめて」は(現行)にはない。

・『「原子爆彈を食ふ男だな」と兄は食卓で輕口を云ひだした。が、少し飮んだビールで忽ち兄は皮膚に痒みを發してゐた。』以上は(現行)では前の段落の続きである。

・「下駄をつかけて」はママ。→(現行)「下駄をつつかけて」

◎私が便宜上、下線を施した箇所。「その夜遲く彼は下駄をつかけて裏の物置部屋を訪ねてみた。勤から戾つたままの洋服姿で、弟は炬燵にあたつてゐた。細君は平田屋町の次兄の店に晝間勤め、ここは夫婦共稼ぎの生活だが、早く復員した友人たちは羽振のいい地位にゐたりするので、そんなことも、この弟には憂欝の種らしかつた。ここにはシベリアから戾つた弟夫婦が住居してゐるのだつた。」まず、これは独立段落であるが、「~」で前の段落に繋げられているのでそれに従った。この段落全体と次の一段落(次注参照)の上部罫外にも例の「[」を右に倒した巨大な記号が附されているのだが、完全に削除はされず、(現行)では「夜遅く彼は下駄をつかけて裏の物置部屋を訪ねてみた。ここにはシベリアから還つた弟夫婦が住居してゐるのだつた。」と僅かに痕跡を留めてはいる。但し、原稿は「還つた」ではなく、明らかに「戾つた」である。これは明らかに本人ではない誰かが、(現行)の「還つた」に変えてしまったことが私には判然としてくるのである。

私が便宜上、下線を施した箇所。『「だが、何といつても貧乏では女の方はがより苦勞するのだから」と彼は曖昧に弟を宥めるやうな口をきいてゐた。』この段落はまるごとカットされており、(現行)には、この部分全体が存在しない。ただ元の文章のままに読んでも、前の段とのジョイントが、かなり悪い感じはする。

私が便宜上、下線を施した箇所。『翌朝、彼が緣側でぼんやり佇んで〔あたりを見廻した。〕ゐる史朗の姿を認めると、後からちよつと坊主頭を撫でてみた。』(改行)『「お早う」と史朗はくすりと笑つて、それきり向へ行つてしまつた。昨日も彼が土産を渡すと、史朗は「有難う」と一こと禮を云つたきりで、まるで、ものを云はぬ少年になつてゐた。…‥』ここにも例の上部罫外に「[」を右に倒した巨大な記号が前のそれにジョイントするように附されてあって、(現行)には、この部分全体が存在しない

◎「〔翌朝、緣側でぼんやり佇んでゐると、〕畑のなかを、朝餉前の一働きに、肥桶を擔いでゆく兄の姿が見かけられた。今、彼のすぐ眼の前の地面に金盞花や矢車草の花が咲き、それから向の麥畑のなかに一本の梨の木が眞白に花をつけてゐた。」これは実は二文の前後が原稿では逆転しているのであるが、校正記号に従って恐らくはこうであろうという推定で変更したものである。即ち、原稿自体の元々は、先の全省略されてしまった「なつてゐた。…‥」に直で続いて(前をダブらせる)、

   *

昨日も彼が土産を渡すと、史朗は「有難う」と一こと禮を云つたきりで、まるで、ものを云はぬ少年になつてゐた。…‥今、彼のすぐ眼の前の地面に金盞花や矢車草の花が咲き、それから向の麥畑のなかに一本の梨の木が眞白に花をつけてゐるた。畑のなかを、朝餉前の一働きに、肥桶を擔いでゆく長兄の姿が見かけられた。

   *

となっており、行間に「翌朝、緣側でぼんやり佇んでゐると、」が附加されているのである。(現行)はそれに従い(太字やぶちゃん)、

   *

 翌朝、彼が縁側でぼんやり佇んでゐると、畑のなかを、朝餉前の一働きに、肥桶を担いでゆく兄の姿が見かけられた。今、彼のすぐ眼の前の地面に金盞花や矢車草の花が咲き、それから向の麦畑のなかに一本の梨の木が真白に花をつけてゐた。二年前彼が[やぶちゃん注:以下、略。]

   *

となっているという訳である。

・「二年〔この〕前」→(現行)「二年前」

・「それから原爆〔壞滅〕後、一ケ月あまりして」→(現行)「それから壊滅後一ケ月あまりして」(読点除去)

◎私が便宜上、下線を施した箇所。『が、ふと平田屋町の次兄の店に立寄つてみた。婦人・子供服の並んだ店さきで、次兄は客と應対してゐた。奥から出て來た嫂は彼の樣子を珍しげに吟味しながら云つた。』(改行)『「この頃はだいぶいいのでせう。顏色もいいし、何だかとても裕福さうですね」』(改行)『ゆつくりしてゐる時間もなかつたので、彼はすぐそこを辞した。』ここにも例の上部罫外に「[」を右に倒した巨大な記号があり、事実、(現行)には、この部分全体が存在しない

・「が、〔やがて〕汽車から降りて來たペンクラブの一行は、〔が着くと、人人 〔■■〕はみんな〕驛長室の方へ行きだした」→(現行)「が、やがて汽車かが着くと、人々はみんな驛長室の方へ行きだした」

・「左手の爪が赤く凝結してゐるのが、標本か何かのやうであつた」→(現行)「左手の爪が赤く凝結してゐるのが標本か何かのやうであつた」

◎「街をめぐる遠くの山脈が、靜かに何かを祈りつづけてゐる〔呟いて〕やうだ」ママ。→(現行)「街をめぐる遠くの山脈が、靜かに何かを祈りつづけてゐるやうだ」(私は個人的に――「呟いて」(ゐる)「やうだ」――の方が圧倒的によいと感ずる人間である)

・「靜かな日沒前のアスファルトの跡を、よたよたと虛脱の足どりで歩いて行く」→(現行)「静かな日没前のアスファルトの上を、よたよたと虚脱の足どりで歩いて行く」

◎「ふわふわに脹れ上つた黒い幻が〔、〕何となく〔ふと〕眼に見えてくるやうだつた」→(現行)「ふわふわに脹れ上つた黒い幻の群が、ふと眼に見えてくるやうだつた」

◎「サイン・ブックが彼の前にも廻されて來た。」(改行)「<水ヲ下サイ>」(改行)「と彼は何氣なく突嗟にペンをとつて書いた」→(現行)改行なし。「サイン・ブック」は「サインブツク」、「突嗟」は「咄嗟」となっている(ここは改行であるべきである!)

・(「<水ヲ下サイ>」の次の段落内)「中央公民館に來ると」→(現行)「中央公民館へ來ると」

・(同前)「彼も今ここで行はれる、講演會に出て喋ることにされてゐた」→(現行)「彼も今ここで行はれる講演會に出て喋ることにされてゐた」

・「少年の頃、くらくらするやうな氣持で仰ぎ見た國秦寺の樟の大樹の若葉靑葉」→(現行)「少年の頃くらくらするやうな氣持で仰ぎ見た國秦寺の樟の大樹の青葉若葉」(読点除去と「靑葉若葉」の逆転)

◎「旅館に落着いて間もなく、彼はある雜誌社主催の四五名の原爆體驗者の座談會の片隅に坐つてゐた。語る言葉は、彼にききとれるばかりだつた。その當時、一週間あまりは澄江堂遺珠民もとらず重傷者の手當に夢中だつたといふ語る看護婦の〔声は涙ゝに■■り、頰は、ヒリヒリ〔と〕戰いゐるやうにおもへた。」校正記号に従い、一部の文章を入れ替えてある。この箇所は「彼にききとれるばかりだつた。その當時、一週間あまりは澄江堂遺珠民もとらず重傷者の手當に夢中だつたといふ語る看護婦の〔声は涙ゝに■■り、頰は、ヒリヒリ〔と〕戰いゐるやうにおもへた。」の四行相当の上部罫外に奇妙な「ヽ」が打たれてある。これは今までとは異なる記号ながら、どうも民喜の留保記号であるように思われ、事実、(現行)では、ただ一文の、

   *

旅館に落着いて間もなく、彼はある雑誌社の原爆体験者の座談会の片隅に坐つてゐた。

   *

に短縮されてあるのである。

・「彼は一行と別れ、ひとり電車に乘つた。高須で下車すると、妹の家に立寄つてみたが留守だつたので、またすぐ電車に乘つた。幟町の家へ歸つてみると……」ここは「幟町の家へ歸つてみると」の前で改行されているが、校正記号に従って繋げた。

・『人でぎつしりと一杯だつた。「廣島の夜も……』ここも「「廣島の夜も」の前で改行されているが、校正記号に従って繋げた。

・「みんな、嘗て、八幡村で侘しい起居をともにした戰災兒だつた」→(現行)「みんな、嘗て八幡村で侘しい起居をともにした戰災兒だつた」

・「それぞれ異ふ顏のなかで」→(現行)「それぞれ違ふ顏のなかで」

・「それは昔ながらの〔夜の川の〕感觸だつた。」(改行)『 「さうだ。川があるのだつた、夜の川が‥‥」』(改行)「京橋の手前まで戾つて來ると」は改行が外れて、(現行)は「それは昔ながらの夜の川の感触だつた。京橋まで戻つて来ると」である。

・「五年前とぼとぼと歩いた、一里あまりの」→(現行)「五年前とぼとぼと歩いた一里あまりの」

・「それで、翌日」→(現行)「それで翌日」

・「あなたは別に異狀ないのですか。眼がこの頃、どうしたわけか、涙が出てしようがないの。A・B・C・Cで診て貰はうかしらと思つてるのですが」(取消線はママ)→(現行)「あなたは別に異状ないのですか。眼がこの頃、どうしたわけか涙が出てしようがないの。A・B・C・Cで診て貰はうかしらと思つてるのですが」である。また「A・B・C・C」の右には、何かの記号らしきものが書かれているが、全く判読出来ない。英文のフォント或いはポイント指定か?

・「〔この〕妹と彼とは」(現行)では「この」は、ない。

・「原症で毛髮まで無くなつたのに〔が〕」→(現行)「原爆症で毛髪まで無くなつてゐたのが」

・「小川に沿つた〔ふ〕〔路〕」→(現行)「小川に沿うた路」

・「遙か向に」→(現行)「遙か向うに」

・「だが、とにかく、あれから五年は生きて來たのだ。」(現行)ではこれはまるまる生きている。

・「いつの間にか風が出て、空氣にしめりがあつた」→(現行)「いつの間にか、風が出て空氣にしめりがあつた」(読点位置が違う)

◎「八幡村は入ると、三尺幅の小川がこんこんと水を湛へて走つてゐる。負傷者と一緒にこの村に入つた五年前も、この水は輕ろやかに流てゐたのだ。澄んだ水の上に浮かぶ、透きとほつた、小波にみとれながら、彼は歩いて行つた。製粉所の深井氏の土間へ這入つて行くと、そこには饂飩製造機が据ゑられ、白いものが、いくすぢも流れ動いてゐる。その側で、深井氏は默默と白いものの流れを捌いてゐた。…‥夕方、深井氏のところを辞して、帰途はバスにした。廣島の終点で降りると、ふと彼は人混のなかから声をかけられた。ペンクラブの會で知りあつた、新聞社のK君だつた。」この部分には、上部罫外に例の鉤が渡されてある。事実、(現行)には、この部分全部が存在しない

・「ガラス張りの向にあつた」→(現行)「ガラス張りの向うにあつた」

◎『新生學園を出ると、彼は電車で舟入川口町へ行つた。姉の家の勝手口から廻つて声をかけると、居間の方から姉は現れた。』(改行)『「こちらへおあがりなさい。あちらは他人に貸してゐるのです」』(改行)『彼が居間の方へ上ると、姉はすぐいろんなことを喋りだした。』→(現行)「そこを出ると、彼は電車で舟入川口町の姉の家へ行つた。」

以下の、

   *

 「こちらへおあがりなさい。あちらは他人に貸してゐるのです」

 彼が居間の方へ上ると、姉はすぐいろんなことを喋りだした。

 「あんたの食器をあづかつてあるのは、あれはどうしたらいいのですか」

 食器といふのは、彼が地下に埋めておき、家の燒跡から掘出したものだが、以前、旅先の家で妻が使用してゐた品だつた。姉のところへ、あづけ放しにしてから五年になつてゐ〔た〕。

 「あ、あれですか。もう要らないから勝手に使つて下さい」

   *

の箇所は、(現行)では、前の「そこを出ると、彼は電車で舟入川口町の姉の家へ行つた。」に改行で即、続いて、

   *

「あんたの食器をあづかつてあるのは、あれはどうしたらいいのですか」彼が居間へ上ると、姉はすぐこんなことを云ひだした。

「あ、あれですか。もう要らないから勝手に使つて下さい」

 食器といふのは、彼が地下に埋めておき、家の焼跡から掘出したものだが、以前、旅先の家で妻が使用してゐた品だつた。姉のところへ、あづけ放しにしてから五年になつてゐた。……彼はアルバム[やぶちゃん注:以下、略。]

   *

と、削除と文の組み換えが行われてある

・「金に替へればすぐ消える…。」→(現行)「金に替へればすぐ消える。」(リーダは、ない)

・「疊を置いた板の間が、薄い板壁のしきりで二分されて」→(現行)「畳を置いた板の間が薄い板壁のしきりで二分され](読点及び最後の助詞「て」の除去の二箇所)

・「……下宿〔屋〕を始めたのだが、」(改行)『「この私を御覽なさい。十萬圓貯めてゐましたよ……』この箇所は(現行)では繫がっているように見える(私の底本は「下宿屋を始めたのだが、」で一行が終わり、「この私を御覽なさい。……」の直接話法が次の行頭から始まっているため、それが改行されているかどうかは不明である。青土社版の「永遠のみどり」では改行されても鍵括弧で始まる場合、字下げが行われないからである。但し、百人が百人、この青土社版のここを読んでも、改行されたものとは到底、読まないと断言出来る。何故なら、姉の台詞の後に地の文が続くからである。

・「こ〔こ〕は爆心地より遠隔に〔離れて〕あつたので」(「遠隔に」は抹消線がなく、左欄外の「離れて」と並置されてある)→(現行)「ここは爆心地より離れてゐたので」(「離れてあつたので」でない点に注意)

・「家も燒けなかつたの〔なかつた〕だが、」この箇所の抹消は可能性として「家も燒けなかつた。だが、」と訂した可能性も否定出来ない。(現行)は「家も焼けなかつたのだが、」である。

・「別際」→(現行)「別れ際」

・「 「あ、僕も何とかして掘立小屋の一つぐらゐ建てませう」と彼は〔ぼんやり〕笑ひながら立ち去つた。」この箇所には抹消線はないが、上部罫外にこの一文(原稿用紙二行分)の上に丸括弧を附して「トル」と校正指示をしているのでかく抹消線で示した。無論、(現行)には、ない。なお、この次行は自筆原稿では一行空けとなっているのに、(現行)ではそれが、ない

・「雲雀なら廣島でも囀つてゐますよ。この裏の方で啼いてゐました」→(現行)「雲雀なら広島でも囀つてゐますよ。ここの裏の方で啼いてゐました」

△「鼬(いたち)」の「いたち」は特異点のルビ。

・「〔彼は奇奇な→彼は奇異の感にうたれた。〕先夜瞥見した鼬(いたち)といひ、雲雀といひ、そんな風な動物が今はこの街に親しんできたのだらうか。- - - - - 〔ふと嫂はこんなことを云つた。〕」この箇所は異様に複雑である。最初は、

   *

先夜瞥見した鼬(いたち)といひ、雲雀といひ、そんな風な動物が今はこの街に親しんできたのだらうか。

   *

と書いた。その後、この冒頭箇所をいじろうとして、

   *

彼は奇奇な

   *

と書きかけて抹消、原稿用紙二行後のこの一文の後の字空き部分に、次に、

   *

彼は奇異の感にうたれた。

   *

と書いて冒頭に挿入指示をしたものの、気に入らず、抹消した。そうして、その抹消部分の後に奇妙なリーダ「- - - - -」を打ったものと推定出来る。これは「彼は奇異の感にうたれた。」と奇妙なリーダ「- - - - -」のインクだけが原文のそれとは異なった濃いものであることから推理出来る

 なお、「ふと嫂はこんなことを云つた。」は左罫外に書かれて抹消されており、しかもそのインクの濃さは本文と同じく濃くないから、前述の訂正以前に記されて抹消されたと考えるのが自然である。さらに言っておかなくてはならないのは、「この街に親しんできたのだらうか」が(現行)の「この街に親しんできたのであらうか」と異なる点である。今までの不審箇所もそうだが、小さな違いではあるけれども、こういう現象は他に決定稿が別にない限りは、普通は、あり得ない現象であると私は思うのである。

・「井頭公園」(「ノ」の極小はママ)→(現行)「井ノ頭公園」

・『一度あの公園には案内してもらひました」- - - - -死んだ妻が、』の「死んだ妻が」以下は改行されてあるが、「~」で繋げられてあるのでそれに従った。因みに、(現行)も「……」で繋がっている。

・(カタカナ詩篇の直前)「水ヲ下サイ…水ヲ下サイ‥‥水ヲ下サイ…水ヲ下サイ…それは夢魔のやうに彼を呻吟させた」→(現行)「水ヲ下サイ……水ヲ下サイ……水ヲ下サイ……水ヲ下サイ……それは夢魔のやうに彼を呻吟させた」

・挿入詩篇、

 

  水ヲ下サイ

  アア 水ヲ下サイ

  ノマシテ下サイ

  死ンダハウガ マシデ

  死ンダハウガ

  アア

  タスケテ タスケテ

  水ヲ

  水ヲ

  ドウカ

  ドナタカ

    オーオーオーオー

    オーオーオーオー

  天ガ裂ケ

  街ガナクナリ

  川ガ

  ナガレテヰル

    オーオーオーオー

    オーオーオーオー

  夜ガクル

  夜ガクル

  ヒカラビタ眼ニ

  タダレタ唇ニ

  ヒリヒリ灼ケテ

  フラフラノ

  コノ メチヤクチヤノ

  顏ノ

  ニンゲンノウメキ

  ニンゲンノ

 

は(現行)とは異同はない。この詩篇は既に述べた通り、昭和二五(一九五〇)年八月発行の『近代文学』で一括して発表された、「原爆小景」(リンク先は私の最近の同詩篇の全電子テクスト)という九篇から成る民喜の知られた原爆詩篇の中でも最も人口に膾炙する八篇目、

 

「水ヲ下サイ」

 

(標題名)と同じである。「原爆小景」と比べると、「オーオーオーオー」の字下げがここは二字であるのに対してあちらでは一字であること、「顏」が新字体であること以外にはやはり異同は認められない。

 なお、御承知の方も多いとは思うが、この「原爆小景」の最後の一篇は――本篇と同じ題名を持ち、「原爆小景」中でカタカナ書きでない特異点の一篇、「永遠のみどり」である。以下に掲げておく。最終連の「青葉」のみ、恣意的に「靑葉」に代えた。

 

 永遠のみどり

 

ヒロシマのデルタに

若葉うづまけ

 

死と焰の記憶に

よき祈よ こもれ

 

とはのみどりを

とはのみどりを

 

ヒロシマのデルタに

靑葉したたれ

 

・「……ほぼ察せられた。」(改行)『「會社の欠損をこちらへ押しつけられて……』→(現行)改行はなく、続いている。

△「案内狀が」の「が」の箇所は、自筆原稿がここだけ欠損(破れ千切れている)しているために読めない。(現行)の「永遠のみどり」によって補った。

・「彼はしきりに少年時代の廣島の五月をおもひふけつてゐた。………」→(現行)リーダは、全く、ない。

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