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2016/04/04

杞憂亭雜記   原民喜   (俳句五句・詩篇三篇)

[やぶちゃん注:以下は、大正一五(一九二六)年九月発行の『沈丁花』一号に所収された四篇からなる総標題「杞憂亭雜記」とする詩歌群(後で注するように、二番目の「旅の雨」と三番目の「なぜ怖いか」は民喜死後の青木文庫版「原民喜詩集」の拾遺詩篇である「かげろふ断章」の中に収められた)。当時の民喜は上京二年目(慶応大学文学部予科に在籍)で満二十歳(民喜の誕生日は十一月十五日)。『沈丁花』は文学好きであった直ぐ上の兄守夫(広島在住で原家四男。民喜より三つ上)との兄弟同人誌。底本年譜によれば、その濫觴は大正六(一九一七)年十二歳(民喜は県立広島師範学校付属小学校五年生)の時に始めた二人だけの原稿綴じ同人誌『ポギー』に遡り、その次が本誌『沈丁花』で、その次が先に出した『霹靂』である。

 底本は一九七八年青土社刊「原民喜全集 」の拾遺集を用いたが、戦前の創作なので、恣意的に漢字を正字化した。]

 

 

  杞憂亭雜記

 

 

   雜詠

 

天の川に群居る星の光かな

 

蜻蛉がどこからに居たり艸の風

 

月今宵白壁古くなりにけり

 

床下に幽靈ひそむ夜長かな

 

百日紅葉は綠なり日和空

 

[やぶちゃん注:「杞憂亭」は原民喜のペンネーム(俳号)。「雜詠」の太字はママ。当時の民喜は上京二年目(慶応大学文学部予科に在籍)で満二十歳(民喜の誕生日は十一月十五日)。『沈丁花』は、文学好きであった直ぐ上の兄守夫(広島在住で原家四男。民喜より三つ上)との兄弟同人誌。底本年譜によれば、その濫觴は大正九年十五の時(当時の民喜は広島高等師範付属中学二年)に始めた『ポギー』に遡り、その次が本誌『沈丁花』で、その次が先に出した『霹靂』である。

 本句は一句も後の「原民喜句集(杞憂句集)」 には収められていない。]

 

 

  旅の雨

 

雨にぬれて霞んでゐる山の

山には山がつゞいてゐる

眞晝ではあるし

雨はいちにち降るだらう

 

[やぶちゃん注:死後の青木文庫版「原民喜詩集」の「かげろふ断章」の中に収められた際には、「つゞいていゐる」が「つづいてゐる」、「いちにち」が「一日」に表記変更されているだけで他は全く相同である。]

 

 

  なぜ恐いか

 

 1

 影法師は暗い處に居るから嫌です。ひよいと飛び出して私を抱へてつれて行かうと思つて樹や垣根の蔭に隱れて居るのです。

 2

 獅子の笛は金色だからいけないのです。あんなよく慄へる細い音はすぐ私のまつ靑の顏を遠くからかぎつけてしまひます。

 3

 猫の眼は美しすぎるのが惡いです。あんまりよく光るものは氣味のいいものではないし、その上あの啼き聲があんな風に恨めし氣なのですもの。

 4

 婆さんのおはぐろや女の人の金齒は蟲か何かの樣に見えるからたまらないのです。それに笑ひ出すとその蟲がぐぢやぐぢや動くのです。

 5

 気ちがひ不具などは見たゞけで私を憎んで居るのが解ります。あんなへんてこな手つきで殺されると大変だから私は逃げるのです。

 

[やぶちゃん注:まず、本篇最後の「5」には差別的言辞と軽蔑的内容・表現が多く含まれているので批判的に読まれるようにお願いする。

 死後の青木文庫版「原民喜詩集」の「かげろふ断章」の中に収められた際には、「なぜ恐いか」の題の直下に『(大正十二年頃のもの)』という作者(と思われる)の添書きがあるが、これが初出であると考えられ、このクレジットは誤りで、三年後の大正十五年の本誌への掲載が正しいとすべきである(これは青土社版全集でも編者によって注されてある。私の「原民喜全詩集」 の当該詩篇の前の注を参照されたい)。なお「4」の「ぐぢやぐぢや」の後半は底本では踊り字「〱」である。

 後の「かげろふ断章」は全体の配置や数字(ご覧の通り、こちらは斜体)といった微妙な違いがあるが、これは青木文庫版や青土社版全集の編集方針と考えれば特に問題とするには当たらない。但し、決定稿とは以下のような異同が見られ、後に民喜自身が手を加えた形跡が窺われる。

2」の「あんなよく」が決定稿では「あんなによく」、「かぎつけて」が「嗅ぎつけて」となっている。

3」の「あまりよく」が「あんまりよく」となっている。

4」の「何かの樣に」が「何かのやうに」、「ぐぢやぐじや」あ「ぐちやぐちや」(表記やはり後半が同じく踊り字「〱」)となっている。

5」の「氣ちがひ」が「氣違ひ」、「見ただけで」が「見ただゝで」、「解ります」が「わかります」となっている。]

 

 

  うんてらがん

 

 今日古い帳面を見て居ると「うんてらがん」と書いてあつた。これが一寸何のことやら解らなかつたが、少許してはゝあと思つた。うんてらがんは廣島の方言で、その昔私もしきりに云つて居た言葉だつた。私はうんてらがん、うんてらがんと珍らしげに呟いてみた。

 

 コーリン・ムアーの表情のなかでも、拗ねたときの顏が一番いい。

 

 廣島ではカフエのことをカフエエと云ふ。「カフエエの女が……」とある中流の老婦人が街を歩いて觀察したことに就て物語る樣な小説を書いてみたい樣な氣がある。

 

 南京鼠は酒を飮むとかゆがる、かゆがる。

 

[やぶちゃん注:「うんてらがん」広島弁で、相手を馬鹿にしたり、揶揄したりする際に用いるところの「能天気」の意、或いは「配慮が足りない」「神経を使え」と言った批判を含んだ語。検索で見つけ、参照させて戴いた個人ブログの「風さん」の「風と散策」の『魚の「いぎ」って分かる? ()』」という記事を読むと、現在では広島の方でも意味が判らない人が多くなりつつあるように読める(ここでブログ主は東広島の局所的方言ではないかと推測されておられる)。

「許」「ばかり」。

「コーリン・ムアー」アメリカの映画俳優Colleen Moore(一八九九年~一九八八年)。本名はキャスリーン・モリソン(Kathleen Morrison)。サイレント時代の超人気の大女優であった。デビューは一八一六年~一八一七年で、この頃までの代表作は「青春に浴して」(Flaming Youth;一九二三年)・「おゝ母よ」(So Sig:一九二四年)・「踊子サリー」(Sally:一九二五年)・「お洒落娘」(Irene:一九二六年)・「微笑みの女王」(Ella Cinders:一九二六年)・「恋は異なもの」(It Must Be Love:一九二六年)・「霧の裏街」(Twinkletoes:一九二六年)などで、この後ではゲイリー・クーパー(ムーアより二十五も年上)と共演(オープニング・タイトルではムーアのネームの方が先に出て遙かに大きい)した「ライラック・タイム」(Lilac Time:一九二八年)や「マダムと踊子」(Social Register:一九三四年)・「緋文字」(The Scarlet Letter:一九三四年)などが知られる。本篇が書かれた頃は二十代後半、彼女の全盛期とも言える時期でもあった(以上は、彼女英語版ウィキと「はてなキーワード」のコリーン・ムーア外を参照した)。グーグル画像検索「Colleen Mooreをリンクしておく。トレード・マークのオカッパ風のカットが実に可愛い。

「南京鼠」モルモットのこと。齧歯目ネズミ上科ネズミ科ハツカネズミ属ハツカネズミ Mus musculus の実験用・愛玩用の飼養白変(アルビノ)種。]

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