原民喜「淡章」(恣意的正字化版) 數
數
雄二は姉から數を數へることを教はつた。十まではもう知つてゐたが、十本の指のほかに數はいくらでも増えて行くのだ。百まで云へるやうになると、もうその邊でいいだらうと姉は云つた。百からまた百一、百二と續いて行くので雄二は眼を瞠つた。臺所から玄關の方をぐるぐる歩きながら、一つ二つと數へて行くと、數はうまく出て來た。雄二は何處か遠い遠い路を歩いて行くやうな氣持がした。柱や壁に觸つて、行つたり來たりしてゐるうちに數は段々增えて行き、何だかもう長い長い間、雄二は生きてゐるやうに思へた。臺所の細い廊下のところで百が來た。雄二は少し倦きて、足を投出し壁に依凭つた。何氣なく天井の方を見上げると、そこの天井板はどう云ふ譯か一枚はずれてゐるのだ。眞暗な深淵がそこから覗いた。數はみんなあの穴の中に吸込まれて行くらしい。雄二は怕いやうな遙かな氣持で暫くぼんやりしてゐた。
[やぶちゃん注:「依凭つた」は「よりかかつた(よりかかった)」と訓じておく。「怕い」は「こはい(こわい)」(怖い)である。]