原民喜「雜音帳」(自筆原稿復元版) 鈴蟲
鈴蟲
日中はまだ暑いが、日が落ちると秋の氣配が感じられた。何處かで、かすかに鈴蟲の聲がしてゐるやうだ。鈴蟲――それで、思ひ出すのは何時から鈴蟲を飼はなくなつたかといふことである。
毎歳、夏もなかばを過ぎると、巷の花屋から鈴蟲を買つて、愛しんだものだ。はじめて持つて歸る時、驛の前まで來ると、赤いネオンの光におどろいて鈴蟲は妻の掌の中の籠で竦んでゐた。が、家の中に置くと、燈の下でも翅を立ててよく啼いた。その聲は夜半から夜明にかけて、いじらしくふるへた。友人が來て泊つた夜、その籠を床の間に置いたので、蟲は絶えず彼の枕元で啼いた。
ある年の秋、妻は病床に臥した。その頃から戰爭は次第に擴大されてゐたが、妻の病氣は次の年の夏を迎へても變らなかつた。何となしに殺氣の漲つてゐる宵であつた。私は巷へ出て鈴蟲を求めた。その籠を持つて、電車を待つてゐると、軍人が側へやつて來て、「それはチンチロリンですか」と訊ねた。「リンリンと啼くのですか、ガチヤガチヤは賣つてゐませんか」と彼は珍しげに籠の中を覗き込んだ。家へ持つて帰ると、その晩はよく啼いた。次の朝、籠の中を見ると、影も形もなくなつてゐた。一寸の間に何かに攫はれてしまつたらしい。不思議な空虛が後に殘されてゐた。それきり――鈴蟲を飼ふことをやめた。
戰爭はいよいよ苛酷になり、妻の病氣も更に變らない。もう鈴蟲を飼ふといふやうな心の潤ひを私は久しく喪つてしまつたのであらうか。さう思つて、耳を澄すと、遠くに聞える蟲の音も今は歇んだやうだ。(昭和十八年)
[やぶちゃん注:「(昭和十八年)」の七文字はやや小さめに五マスの中に記されてある。昭和一八(一九四三)年晩夏、民喜満三十七歳(十一月十五日で三十八)。貞恵の発病から丸四年後で、彼女はこの一年後の昭和一九(一九四四)年九月に享年三十四歳で亡くなってしまう。
「チンチロリン」松虫(直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス/或いは/コロオギ)亜目コオロギ科 Xenogryllus 属マツムシXenogryllus
marmoratus)の一般的な擬声語(オノマトペイア)であるが、実際には音写するなら、「ピッ・ピリリッ」「 チッ・チリリッ」といった感じで少なくとも私には「チンチロリン」と感じたことは五十九年の生涯の中で一度もない。
「リンリン」鈴虫(コオロギ科 Homoeogryllus属スズムシ Homoeogryllus japonicus)の一般的な擬声語。厳密に音写するなら、「リーンリーン」の方が正確と言える。
「ガチヤガチヤ」轡虫(キリギリス科 Mecopoda 属クツワムシ Mecopoda
nipponensis)の擬声語。実際には音写するなら、「カシャカシャカシャ」か、せいぜい、「ガシャガシャガシャ」かである。
なお、老婆心乍ら、「攫はれて」は「さらはれて」、「歇んだ」は「やんだ」と訓ずる。]