だに 螕【音卑】
壁蝨 【和名太仁】
【和名抄用蜹
字者非也蜹
者蚊之屬】
本綱此即臭蟲也狀如酸棗仁咂人血食與蚤皆爲牀榻
之害避之于席下置雄黃或菖蒲末或蒴藋末或楝花末
或蓼末
五雜組云壁蝨又謂木蝨多生木中入夜則縁床入幕噆
[やぶちゃん字注:「幕」の字は底本では(「巾」+「莫」)であるが同字と見て、「幕」とした。訓読ではこの注は省略する。]
人遍體成瘡燔殺之甚臭
△按俗云太仁是也在山林圃中着人牛犬猫雉鳶等咂
血初生似陰蝨而團匾黃赤色利喙八足噉着則半入
皮將取棄之身半切亦不去血滿腹則肥脹如草麻子
而色亦稍黒潤時自堕落蓋與蚤同爲牀榻之害者不
然也若山民邊地之居其然乎
*
だに 螕【音、卑。】
壁蝨 【和名、「太仁(だに)」。】
【「和名抄」に「蜹」の字を用ふるは非なり。「蜹」は蚊の屬。】
「本綱」、此れ、即ち、臭蟲〔(くさむし)〕なり。狀、酸棗仁〔(さんさうにん)〕のごとく、人の血を咂〔(す)ひ〕て食ふ。蚤と與〔(くみ)にして〕皆、牀榻〔(しやうたふ)〕の害を爲す。之を避くるに席〔(むしろ)の〕下に于〔(おい)〕て雄黃、或いは菖蒲の末、或いは蒴藋(そくず)の末、或いは楝(あふち)の花の末、或いは蓼〔(たで)〕の末を置く。
「五雜組」に云ふ、壁蝨〔(かべじらみ)〕、又、木蝨〔(きじらみ)〕と謂ふ。多く木の中に生ず。夜に入れば、則ち、床に縁(は)ひ、幕に入りて人を噆〔(か)む〕。遍體(みうち)瘡〔(かさ)〕と成る。之れを燔(や)き殺〔さば〕、甚だ臭し。
△按ずるに、俗に云ふ「太仁」、是れなり。山林・圃(はたけ)の中に在り。人・牛・犬・猫・雉・鳶等に着きて、血を咂(す)ふ。初生、陰蝨(つびじらみ)に似て團〔(まる)〕く、匾〔(たひら)かにして〕、黃赤色。利〔(と)〕き喙〔(くちばし)〕、八足。噉着〔(くらひつ)く〕時は則ち、半〔(なかば)〕は皮に入る。將に之れを取り棄てんとす〔れば〕、身、半〔(なかば)〕は切れても亦、去らず。血、腹も滿つれば、則ち、肥脹して草麻子(たうごま)のごとくして、色、亦、稍〔(やや)〕黒く潤ふ時〔は〕、自〔(みづか)〕ら堕落〔(お)〕つ。蓋し、蚤と同〔じく〕牀榻〔(しやうたふ)〕の害を爲すと云ふは、然らざるなる〔も〕、若〔(も)〕し、山民邊地の居には其れ然〔(しか)あ〕るか。
[やぶちゃん注:前項の「狗蠅(いぬばへ)」の考証でフライングしてしまったが、
この「本草綱目」と「五雜組」をもとにした記載部分の生物は
ここにもろもろ出る「壁蝨」「蜱」「蟎」「螕」などと書くところの
ダニ(節足動物門鋏角亜門クモ綱ダニ目 Acari に属するダニ類)
ではなく、吸血性寄生昆虫である、所謂、ナンキンムシ、
半翅(カメムシ)目異翅亜目トコジラミ下目トコジラミ科トコジラミ属トコジラミ Cimex lectularius
である。ところが、しかし最後の良安の記載内容は、そのトコジラミではなくて、まさに吸血性の、全くの別生物種である、
鋏角亜門クモ綱ダニ目マダニ亜目マダニ科 Ixodidae
の記載となっているのである。それについては後注で明らかにするので、取り敢えずは、まず先に、半翅(カメムシ)目異翅亜目トコジラミ下目トコジラミ科トコジラミ属トコジラミ Cimex lectularius たる「トコジラミ」を解説する。
私が実物を見たことがないけれども、近年、実は本邦では異様に再繁殖をし始めており、一般家庭にも再び出現するようになっており、あなたの家にもおるやも知れぬ故、以下、ウィキの「トコジラミ」より引いておく。和名に「シラミ」を含むが、『シラミ目ではなく、カメムシ目トコジラミ科の昆虫である。トコジラミ科の昆虫は全て吸血性であるが、そのほとんどは主に鳥類やコウモリ類を宿主とする』。『一方で本種および近縁種のタイワントコジラミ(台湾床虱。学名:Cimex
hemipterus。別名、ネッタイトコジラミ、ネッタイナンキンムシ、熱帯南京虫)のみが人間を主な吸血源とする』。成虫は五~七ミリメートル程まで成長する。『不完全変態で、幼虫と成虫はほぼ同じ形をしている。また成虫も翅を持たない。体色は吸血前は薄黄色からやや赤褐色を呈すが、吸血後は吸血した血液が透けて見えるためより濃い茶色となる。成虫は卵形で、背腹軸に扁平である。タイワントコジラミとは形態的によく似ているが、トコジラミは前胸の縦横比が』二・五倍程度で『あるのに対し』、『タイワントコジラミは』二倍程度と『少し細長くなっている』。『雄成虫は腹部の末端が雌成虫よりも尖っており、末端に良く発達したペニスを持つ。メス成虫には腹部』第四節の『腹側の中央より左に特徴的な切れ込みがある。交尾の際に雄はこの切れ込みにペニスを挿入し』、『雌に精子を提供する』。『トコジラミは雄雌ともに吸血し、幼虫・成虫にかかわらずその全生存期間を通じて栄養分を血液に頼る。成虫にいたるまで』五齢までの『幼虫期を経るが、幼虫の各齢期に一回以上の吸血を必要とする』。『孵化から成虫まで』約二~七週間『かかるが、これは吸血原の有無や温度などに大きく依存する。飢餓に強く、実験室内での実験ではあるが』、十八ヶ月間も『無吸血で生存したという記録がある』。『トコジラミはふつう夜間に吸血するが、厳密には夜行性ではなく、暗ければ昼間でも吸血することがある』。『普段は明かりを嫌い、壁の割れ目など隙間に潜んでいる。トコジラミは翅を持たないため自力では長距離を移動することはできない。しかし、人間の荷物または輸送される家具などに取り付くことでその分布を拡大する。ボルバキアという共生細菌がいないと正常な成長や繁殖が困難であることが研究で明らかにされた』。『刺咬する際に唾液を宿主の体内に注入するが、この中に含まれる物質が引き起こすアレルギー反応で激しいかゆみが生じる。俗に、刺されると肌に』二つの『赤い痕跡(刺し口)が残ると言われるが、実際には刺し口は』一つである『ことの方が多い。かゆみは刺された当日よりも』二日目以降の『方が強い。刺咬の痕跡は』一乃至二週間以上『消えない』。『同じカメムシ目』(半翅(カメムシ)目Hemiptera)『の昆虫にはシャーガス病』(Chagas' disease:トリパノソーマ症の一種で、原虫(真核単細胞の微生物の内、動物的な性質を示す生物を指す。現行では寄生性で特に他の生物に対して病原性を示す種群についてかく呼称するケースが多い。これはまず、寄生虫学に於いて単細胞の寄生虫を「原虫」として区分呼称していることにより、一方で病理学上では、病原体の大部分は細菌類であることから、それらと区別するために「細菌類でない種群で類動物的な性質を示す病原体」をかく呼んで区別するのである。なお、生物学的にはトリパノソーマは鞭毛虫である)であるトリパノソーマ・クルージ(エクスカバータ界 Excavataユーグレノゾア門Euglenozoaキネトプラスト綱 Kinetoplastea トリパノソーマ目 Trypanosomatida トリパノソーマ科 Trypanosomatidae トリパノソーマ属 Trypanosoma トリパノソーマ・クルージ Trypanosoma cruziの感染を原因とする人獣共通感染症。「サシガメ(刺し亀)病」とも呼ばれる。中南米に於いて発生し、哺乳類吸血性である半翅目異翅亜目トコジラミ下目サシガメ上科サシガメ科Reduviidaeに属するサシガメ類をベクターとする。この感染症に罹り得る動物(感受性動物)はヒト・イヌ・ネコ・サルなど百五十種を越える哺乳類とされる。潜伏期間が長く時には十数年の後に発症することもある。症状はリンパ節・肝臓・脾臓の腫脹。筋肉痛・心筋炎・心肥大等の心臓障害や脳脊髄炎である。根治薬は現在もない。ここまでは主にウィキの「シャーガス病」に拠った。因みに、ダーウィンはビーグル号の航海を終えた翌年に原因不明の病気に襲われ、終生、主に胃痛や嘔吐、頭痛と心臓の不調で苦しんだが、彼は航海中に南米で捕獲したサシガメを飼育し、餌として自分の血を吸わせており、それによってシャーガス病に感染していた可能性があることを若き日に私は読んだことがある)『を媒介するオオサシガメ類が存在する。しかし、現在のところトコジラミが媒介する伝染病は確認されていない。トコジラミの体からB型肝炎ウイルスなど幾つかの人間の病原体を検出した例があるが』、『いずれも実際にこれらの病原体を媒介しているという証拠は見つかっていない』。『「南京虫」の「南京」とは、江戸時代には海外から伝わってきた小さいもの、珍しいものに付けられる名だった(他の用例として南京錠、南京豆などが挙げられる)。この昆虫は海外からの荷物に付着して伝わってきたと考えられている。ただし、実際に中国南部の広東省から江蘇省にかけても多く生息しているため、南京という地名に由来するとの説もあながち間違いではない。中国語では「臭虫」と呼ばれ、本種を「温帯臭虫」、タイワントコジラミを「熱帯臭虫」と称して区別する。タイワントコジラミとの混称と思われるが、地方名に、「あーぬん」(沖縄県石垣島)、「あやぬん」(沖縄県小浜島)、「ひーらー」、「っちゅくぇびーら(人食いひら)」(首里方言)、「あかめ」(東京都八丈島)などがある』。『布団やベッドに潜み、そこで被害を受けることが多いので「トコジラミ」や後述の「トコムシ」の名称が付いた。英語ではトコジラミ、タイワントコジラミともに「bedbug」の名称が使われるが、トコジラミを特に指す場合は「common bedbug」と言う』。文禄四(一五九五)年刊行の、『イエズス会員アンブロジオ・カレピノのラテン語辞書をもとにした『羅葡日対訳辞書』に「トコムシ:cimex」の項目があるが、「cimex」とはトコジラミである。この頃すでに日本に侵入していた事実が窺われる。また』、その八年後の慶長八(一六〇三)年に『刊行された『日葡辞書』ではトコムシ(Tocomuxi)の項にカメムシを意味する「Porsouejo」の訳語が記されている』。『一方、トコジラミ研究に先鞭をつけた人物といわれている博物学者の田中芳男』(天保九(一八三八)年~大正五(一九一六)年:信濃飯田城下の医師の家に生まれ、蘭方医伊藤圭介に学び、文久二(一八六二)年に蕃書調所に出仕して物産学を担当、幕末から明治にかけてパリやウィーンなどで開催された万国博覧会に参加する一方で内国勧業博覧会の開催を推進、殖産興業政策に尽力した。農商務省農務局長・博物館長・元老院議官・貴族院議員等を歴任、駒場農学校(東京大学農学部の前身)・大日本農会・大日本山林会・大日本水産会・大日本織物協会の創立、東京上野の博物館・動物園の設立などにも貢献した近代日本の優れたプラグマティクな博物学者である)は「南京虫又床虱」と『題した報告を残し、繁殖状況、性質、駆除の方法などを述べている。同報告によると、南京虫は明治維新前に幕府が外国から古船を購入した際、その古船に潜んで日本に上陸したものであるといい、神戸港界隈に一番多くいたということである。このことはトコジラミが江戸時代の日本国内では一般には知られていなかったことを意味する』。明治一一(一八七八)年に『日本を訪れた旅行家、イザベラ・バードは著書『日本奥地紀行』(Unbeaten Tracks in Japan)で、行く先々の宿で南京虫による被害に遭ったことを記述しており、当時すでに一般家庭や旅籠などに蔓延していたことが推測される。終戦後も不衛生な地域や古い木造の建物、特に公衆の出入りする安ホテルや警察の留置場などにはきわめて普遍的に見られた害虫である。江戸川乱歩が回想記』「わが青春記」(昭和三二(一九五七)年刊)の『中で、上京後住み込みで働いた印刷工場の寮で南京虫に悩まされたことを記している』。だが昭和四〇(一九六五)年頃より『使用されだした有機リン系の殺虫剤がよく効き』、昭和五〇(一九七五)年頃には『ほとんど目にすることはなくなった』。『住居では、畳の隙間やコンセントの隙間、壁の隙間、ベッドの裏、絨毯の裏、読まないで長期間放置している見開き雑誌などに隠れていることが多いので重点的に点検する。ベッドの縁や壁の隙間などに半透明楕円形の卵を産むが』、卵を全て発見し、除去しないと、『再発生を繰り返す』。『薬剤の使用、エアゾール状の薬剤を通り道に散布する。絨毯や畳の裏などにはピレスロイド系のフェノトリン(商品名スミスリンなど。粉末状の薬剤)を散布することが有効である。パラジクロロベンゼンなどの防虫剤を嫌うため、旅行先などで付着されないためには荷物へ防虫剤を入れる』。『薬剤に耐性をもったトコジラミの駆除は、加熱乾燥車など熱風を利用した駆除が効果的である』とある。あなたの家に、いませんように。
前項の「狗蠅(いぬばへ)」の注で考証した如く、「本草綱目」では「壁蝨」は独立項ではなく、「狗蠅」の附録としてある。ここに示すべきであるものであるから、煩を厭わず再掲しておく(引用は国立国会図書館デジタルコレクションの明代の一五九〇年刊の胡承竜による版の「本草綱目」の画像を視認した。一部、破損による判読不能の箇所は■で示した)
*
附錄 壁蝨【時珍曰、即臭蟲也。狀如酸棗仁、咂人血食、與蚤皆爲牀榻之害古人多於席下置麝香、雄黃、或菖蒲末、或蒴藋末,或楝花末、或蓼末、或燒木瓜煙、黃蘗煙、牛角煙、馬蹄煙,以辟之也。
*
寺島の引用はほぼこれに則るが、カットしたものでは「黃蘗」(おうばく)を注しておく。これは双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ Phellodendron amurense のことで、和訓ではこれで「きはだ」と読む。
・「螕」以下に出る通り、音「ヒ」で、この字はダニの他にも「大きな蟻」をも意味する。
・『「和名抄」に「蜹」の字を用ふる』「和名類聚抄」には確かに、
*
蜹 野応案蜹【如税反與芮同和名太仁】今有小虫善齧人謂之含毒即是
*
とある。
・『「蜹」は蚊の屬』確かに「トコジラミ」や「ダニ」にもこの漢字を当てるが、これは国訓に過ぎず、漢語にはそれらの意味はない。漢語(中国語)としてはこれは、まずは第一義的には、吸血性の双翅(ハエ)目長角(糸角/カ)亜目カ下目ユスリカ上科ブユ科 Simuliidaeの昆虫の総称であり、第二に良安の言うように蚊(カ下目カ上科カ科 Culicidae の蚊の類)を指す語である。
・「臭蟲〔(くさむし)〕」「しうちゆう(しゅうちゅう)」と音読みするよりもこちらが良いと感じたので、かく訓じた。現在でも中国語でトコジラミを「臭虫」(チョォチヨン)と呼ぶ。これは彼らがその後脚の基部にある臭腺から油臭い悪臭を出すことに基づく。
・「酸棗仁〔(さんさうにん)〕」は現代仮名遣では「さんそうにん」で、クロウメモドキ目クロウメモドキ科ハマナツメ連ナツメ属サネブトナツメZizyphus
jujuba var. spinosaの種子(生薬)。
・「與〔(くみ)にして〕」「~と仲間で」「~と同類であって」。同じく吸血性であることから。
・「牀榻〔(しやうたふ)〕」寝床。
・「席」「蓆」と同義。
・「雄黃」鶏冠石。毒性が強いことで知られる三酸化二砒素(As2O3 :英名 Arsenic trioxide)を含む。
・「蒴藋(そくず)」これは実際には他にも多様の読みがある。スイカズラ科ニワトコ属ソクズ Sambucus chinensis で、現在は入浴剤などに用いられる。
・「楝(あふち)花」ムクロジ目センダン科センダン属センダン Melia
azedarach の花で配糖体の一種を多く含む。
・「蓼〔(たで)〕」ナデシコ目タデ科 Persicarieae連イヌタデ属Persicariaのタデ類を指す。
・『「五雜組」に云ふ』これ同書の「物部」の「壁虱」の後に、
*
江南壁虱多生木中惟延綏生土中遍地皆是也入夜則緣床入幕人噆遍體成瘡雖徙至廣庭懸床空中亦自空飛至南人至其地輒宛轉叫號不可耐無計以除之也
*
とあるのに基づく。
・「壁蝨〔(かべじらみ)〕、又、木蝨〔(きじらみ)〕と謂ふ」孰れも音読みすべきが正しいとは思うが、それではトコジラミの別称であることが伝わり難いので、かく訓じた。最近のトコジラミ被害をニュース映像で見たが、まさに壁や木の桟と畳の間にびっしりと蠢いておった。
・「縁(は)ひ」「縁」には「纏わる・絡む」という動詞の意がある。なお、「和漢三才圖會」の原典も、また中文サイトで視認した「五雜組」の原典も「緣」ではなく、「縁」の字を書いてある。私のタイプ・ミスではない。再度言っておくが、私のこれら原文は、基本、原典を視認して私が手打ちしている電子テクストである。どこかから安易にOCRで読み取ったものではない。
・「幕」寝室の幔幕(まんまく)、帳(とばり)のこと。
・「噆〔(か)む〕」咬む。
・「遍體(みうち)」遍身。体中(からだじゅう)。
・「初生」幼体。
・「陰蝨(つびじらみ)」「つび」とは一般には女性生殖器及びその周縁部を含む陰部(陰門・玉門)を差す古語であるが、時には男性のそれにも用いた。「つびじらみ」は「陰虱」或いは「鳶虱」(「つび」を「とび」と誤認したか訛りか)などとも書き、ほぼヒトの陰部に特異的に寄生する昆虫綱咀顎目シラミ亜目ケジラミ科ケジラミ属ケジラミ Pthirus pubis のことを指す。次の次に独立項「陰蝨」として出るのでそこで詳注する。
・「噉着〔(くらひつ)く〕時は則ち、半〔(なかば)〕は皮に入る。將に之れを取り棄てんとす〔れば〕、身、半〔(なかば)〕は切れても亦、去らず」これはトコジラミの記載ではない。毟り取れるほどに有意に大きく、皮膚に比較的深く食い入って吸血し、無理に毟り取ると、咬んでいる口器を含む頭胸部が千切れて残り、治癒に時間がかかったり、二次感染を起こして化膿したりするのは、鋏角亜門クモ綱ダニ目マダニ亜目マダニ科 Ixodidae の大型のマダニ類しか考えられない。やっとここで名にし負うところの真正の「ダニ」について語れる(なお、私は特にマダニ類には一般人よりも詳しい。長女の先代アリス(ビーグル犬)以来、何度もきゃつらと戦ってきた歴史があるからである)。ウィキの「マダニ」によれば、マダニ科の種群は『口器を皮膚に刺し込んだ際にセメント様物質を唾液腺から放出する。このセメント様物質は半日程度で硬化するため、これ以降』、一~二週間程度は寄生主の『体から離れない。そこで無理にマダニを引き抜こうとすると、消化管内容の逆流により感染リスクの上昇を招いたり、体内にマダニの頭部が残ってしまう可能性が高い』。一~二週を『経過した後は、セメント溶解物質を唾液から出し、これによって皮膚から離れる』。但し、同じマダニ亜目 Metastigmata のヒメダニ科Argasidaeの吸血性のヒメダニ類(一部はやはりヒトにも寄生する)は『セメント様物質を放出しないため、容易に取り除くことが出来る』。『感染症罹患の恐れがあるため、マダニ咬症の場合は医療機関を受診すべきである。切開してマダニを除去するのが一番確実であるが、ダニ摘除専用の機器も存在している。民間療法では、マダニにワセリン』、『アルコール、酢や殺虫剤をつけたり、火を近づけたりするとマダニが嫌がって勝手に抜けることがあり、それが成功した例も報告されているが、無理に自己摘除しようとするとダニ媒介感染症の感染リスクが上昇するので推奨されない』とある。ここで言うダニ感染症とは死に至る危険性もあるので馬鹿に出来ない。以下に代表的なものを同ウィキから引いておく(以下の下線はやぶちゃん)。
○「日本紅斑熱」:リケッチアの一種である日本紅斑熱リケッチア(真正細菌プロテオバクテリア門Proteobacteriaアルファプロテオバクテリア綱Alphaproteobacteriaリケッチア目 Rickettsialesリケッチア科リケッチア属日本紅斑熱リケッチア Rickettsia japonica)に感染するによって引き起こされる、一九八四年に徳島県で症例が確認された比較的新しい感染症である。『感染したときの症状は、かゆみのない発疹や発熱などがある。この時点で病院に行けば大事には至らないが、放っておくと最終的には高熱を発し、そのまま倒れてしまうことがある。治療は点滴と抗生物質の投与。咬傷が見当たらなくても、医師にキャンプやハイキングなどに行ったと伝えておけば、診断しやすくなる』。死亡例もある。かの古来、恐れられてきたツツガムシ病(ダニ目ツツガムシ科 Trombiculidaniのツツガムシ類に咬まれることでリケッチア科 Orientia 属ツツガムシリケッチアOrientia
tsutsugamushi に感染して発症する。治療が遅れると多臓器不全で死に至るケースも多い)との鑑別が難しい(最後はウィキの「日本紅斑熱」に拠る)。
○「Q熱」:偏性細胞内寄生体(別の生物の細胞内でのみ増殖可能であり、それ自身が単独では増殖出来ない微生物)である真正細菌プロテオバクテリア門ガンマプロテオバクテリア綱Gamma Proteobacteriaレジオネラ目Legionellalesレジオネラ科コクシエラ属コクシエラ菌 Coxiella burnetii よって発症する。『治療が遅れると死に至る上、一度でも重症化すると治っても予後は良くない。山などに行った後に、皮膚などに違和感を覚えたり、風邪のような症状を覚えたら、この病気を疑うべきである。日本紅斑熱の場合と同じく、キャンプやハイキングなどに行った後に何らかの症状が出た場合は医師に伝えることが推奨される』。
○「ライム病」:『ノネズミやシカ、野鳥などを保菌動物とし、マダニ科マダニ属 Ixodes
ricinus 群のマダニに媒介される』真正細菌スピロヘータ門Spirochetesスピロヘータ綱スピロヘータ目スピロヘータ科ボレリア
Borrelia 属の種群(複数の種がいる)に感染することに『よって引き起こされる人獣共通感染症のひとつ』。通常は咬着感染して数日から数週間後に刺咬部を中心とした同心円状の特徴的な遊走性紅斑と呼ばれる症状が現れる(無症状の場合もある)。播種が行われて病原体が全身に拡散すると、皮膚症状・神経症状・心疾患・眼の異状や関節炎・筋肉炎など多彩な症状が現れ、慢性化もする(後半はウィキの「ライム病」に拠った)。
○「回帰熱」:ヒメダニ属Ornithodoros・マダニ属 Ixodesに『媒介されるスピロヘータ科の回帰熱ボレリア』(前のライム病を参照)『によって引き起こされる感染症。発熱期と無熱期を数回繰り返すことからこの名がつけられた』。一九五〇年以降、『国内感染が報告されていなかったが』、二〇一三年に『国立感染症研究所でライム病が疑われた患者』の血清八百検体の『疫学検討を行ったところ、回帰熱ボレリアの一種であるB.miyamotoiのDNAが確認され』ている。病名は発熱期と無熱期を数回繰り返すことに由来する。致死率は治療を行わない場合、数%から三〇%程度とかなり高い(死亡率はウィキの「回帰熱」に拠る)。
○「ダニ媒介性脳炎」:『マダニ属のマダニが媒介するウイルス性感染症。脳炎による神経症状が特徴的。東ヨーロッパやロシアで流行がみられ、日本においても、過去に一例の国内感染例が報告されている』。ウィキの「ダニ媒介性脳炎」によれば、潜伏期間は七~十四日ほど、『潜伏期の後に頭痛・発熱・悪心・嘔吐が見られ、症状が最大に現れると脳炎症状が見られることもあ』り、三〇%の致死率を持ち、『多くの例で麻痺が残り、北海道の道南地域で発生した例では高熱と神経症状を示した後、退院後も麻痺が後遺症として残った』とある。
○「重症熱性血小板減少症候群」:SFTSウイルス(第五群ブニヤウイルス科 Bunyaviridaeフレボウイルス属Phlebovirus重症熱性血小板減少症候群ウイルス Severe
fever with thrombocytopenia syndrome virus)の『感染により引き起こされる感染症で、本症候群に起因する死亡事例が』二〇一三年に『国内で初めて発表され』ている最も新しい、そうして誰もが罹り得る、しかも厄介な看過出来ないダニ感染症の一つである。症状は一週間から二週間の『潜伏期間を経て発熱、嘔吐、下痢などが現れる。重症患者は、血球貪食症候群を伴って出血傾向を呈す例が多』く、『西日本で、これまで』九十六人が『感染して、発熱や出血などの症状を訴えた後』、三十人が『死亡している』。現在、有効な薬剤やワクチンない。
・「草麻子(たうごま)」キントラノオ目トウダイグサ科トウゴマ属トウゴマ Ricinus communisの実。これ、吸血して腫脹した「マダニ類」ならば形も模様も実によく似ていると言える(吸血したナンキンムシにはあまり似ているとは言えないと私は思う)。ここは良安先生は完全にマダニとして記していることが判る。ここに至って言おう。寺島良安は「本草綱目」の「壁蝨」を現在の鋏角亜門クモ綱ダニ目マダニ亜目マダニ科 Ixodidae のマダニ類や人や獣に寄生して吸血するダニ目 Acariのダニ類と誤認している。しかしそれは無理もないのである。先に引いたウィキの「トコジラミ」の引用を再読されたいのである。そこにはトコジラミの日本伝搬を明治維新前辺りであるとし、トコジラミは江戸時代の日本国内に於いては一般にはまるで知られていなかった、良安自体がトコジラミを知らなかったのである。だから彼がこの「本草綱目」や「五雜組」に記載された「虫」(トコジラミはカメムシ類であるからして現代の生物学でも真正の「昆虫」)をダニ(ダニ類は現代の生物学では蜘蛛類であるから「昆虫」ではない)と同じく人の血を吸い、吸血すればころんころんになる、マダニ類、同一の「虫」だと思い、それに同定したとして、これ、少しもおかしくもなんともない、寧ろ、自然なことなのであった。
・「蓋し、蚤と同〔じく〕牀榻〔(しやうたふ)〕の害を爲すと云ふは、然らざるなる〔も〕、若〔(も)〕し、山民邊地の居には其れ然〔(しか)あ〕るか」ともかくも蚤(昆虫綱隠翅(ノミ)目 Siphonaptera のノミ類)と同じように、積極的に寝床に侵入してきて、盛んに刺しては吸血して害をなすと述べられているのであるが、本邦のそれは、そんなことはしない。しかし、山の民や僻地の住まいなどでは、そうしたことがあるのかも知れぬが、この記載は私には疑問ではある、というのである。ダニは吸血するが、ぞろぞろと蚤や蚊や蚋(ぶよ)のように寝床につぎつぎと活発に侵入して来たりは確かにしない(但し、不衛生で劣悪な環境下ではそういうことも起こる。山中に於いてダニが多量に寄生していた熊や猪などの大型哺乳類が死亡した場合、その近くにたまたま人が知らずに休んでいれば彼等は大挙してその人に群がる。自衛隊員の訓練中の体験談で似たような話を聴いた記憶がある)。。まさにここは最後に良安が、ちらと、『私が同定している大型のマダニ類とこいつらは違うかも?』と疑問に思った場面なのであった!]