「笈の小文」の旅シンクロニティ―― 燕子花かたるも旅のひとつかな 芭蕉
本日 2016年 5月17日
貞享5年 4月18日
はグレゴリオ暦で
1688年 5月17日
大坂にて或人の許にて、
燕子花(かきつばた)かたるも旅のひとつかな
「笈の小文」。杜国を伴った芭蕉は四月十三日に大坂大江の岸の八軒家(はちけんや:現在の大阪府大阪市中央区にあった船着場)の宿に着いている(この前日の十二日には「一つ脱ひで後ろに負ひぬころもがへ」のところで示した孝女伊麻(いま)の家も訪ねている)。サイト「俳諧」の「笈の小文」によれば、この日、「或人」、当時、大坂に住んでいた伊賀の在郷時代からの旧友であった通称、紙屋弥右衛門、保川(やすかわ)一笑(いっしょう)の屋敷を訪ね、杜国と三人でこの句を発句として二十四句を詠じている(猿雖宛書簡に拠る)。
杜若語るも旅のひとつ哉 芭蕉
山路の花の殘る笠の香 一笑
朝月夜紙干板に明初て 萬菊
萬菊丸杜国の第三は「朝月夜(あさづくよ)紙干(かみほす)板に明初(あけそめ)て」と読む。実景として一笑亭の庭先に折りから杜若の花が咲いていたものであろう。漂泊の旅なればこそ自ずと「伊勢物語」(第九段)で知られる折り句「唐衣きつゝ馴れにしつましあればはるばる來ぬる旅をしぞ思ふ」と響き合っての挨拶句となった。
この翌日、一笑に送られつつ、舟に乗って神戸へと発ち、遂に「笈の小文」最後の地たる、須磨へと向かうこととなるのである。
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