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2016/05/09

萩原朔太郎「人間の退化について」+「傾斜に立ちて」

萩原朔太郎「人間の退化について」+「傾斜に立ちて」

 

       ●人間の退化について

 

 進化論に於ける、一般の通俗化された誤謬は、生物界に於ける弱肉強食の思想、即ちより優秀なもの、より強大のものが、常により劣等のものや弱小のものを征服し、生存競爭に於て勝利を得るといふ思想である。(今日米國のフヱミニストや平和論者が、ダウヰンを人道主義の仇敵視し、法律によって進化論を國禁しようとしてゐるのが、全くこの理由にもとづくのである。)しかしながら反對であり、ダウヰンの説くところは、生物の進化でなくして退化を教へ、價値の存在を轉倒してゐる。なぜなら進化論の根本原理は、唯一の「自然淘汰」にあり、「適者生存」にあるのだから。

 あらゆる地上の生物は、その環境に適するところの、素質の順應に於てのみ生存する。自然淘汰の法則は、避けがたくこれを勵行し、他を絶滅させてしまふだらう。故に生存競爭の優勝者は、常に必ず「環境への妥協者」を意味してゐる。そして必ずしも、優秀者や、天才者や、強力者を意味しない。むしろ此等の者は、その非順應的な素質の故に、年々歳々沒落して行き、地層と共に埋れてしまふであらう。反對に劣等のもの、卑陋のもの、平凡のもの共は、その細胞組織の單純さと、繁殖力の旺盛さとから、容易に環境に順應して行き、常に他のものを征服して、地上に於ける生存競爭の勇者となつてる。

 この悲しむべき事實――生物退化の事實――は、歷史のあらゆる過去からして、疑ひもなく實證されてる。見よ。かつて太古の世界では、地上が植物で蔽はれて居り、マンモスや、怪龍や、恐角獸やの、巨大な恐るべき動物が、それの卓越な優秀と強力とで、他のあらゆる弱小者を壓倒しつつ、獨り森林の中に橫行してゐた。ただその時代だけ、弱肉強食が現實してゐた。しかしながら今日、ああそれらの強者はどこへ行つたらう! 自然淘汰の法則は、常に經濟的な者に與して、不經濟的な者を殺してしまふ。その巨大な體軀や武器の故に、常に最も豐富な食餌を要したところの、それらの原始時代の優秀者等は、早く既に地層の下に埋れて、後にはより弱小な小動物が、獨り生存の權をほしいままにした。そして今日でさへも、獅子や、虎や、象や、鷲やの動物は、次第に益〻減少して行き、逆に糞蟲や、野鼠や、蠕蟲類やの小動物が、どんな惡い境遇にも順應し得るところの、その種の劣等によつて優勝してゐる。そして尚、地上に於ける眞の絶對的征服者は、人間でなくしてバクテリアであり、これがあらゆる生物を食ひ殺し、地球の死滅する最後までも、獨り益〻繁殖を續けるのである。

 生物界に於けるこの實情は、人間の社會に於ても例外なく、もちろんまた同樣であるだらう。なぜなら、人類生活の環境も、自然界に於けるそれと同じく、年々歳々切迫して、昔のやうには餘裕がなく、次第に生活難のせち辛い方向に向つてくる。そして適者生存の法則は、すべての惡しき事情の下に、すべての劣惡な種を順應させ、より下等なものの勝利を、避けがたく必然にしてしまふから。實に人間のあらゆる歷史は、この傷ましき種の下向と、人間文化の沒落を實證してゐる。見よ。あのヘレス人の次には羅馬が興り、羅馬の次にはゲルマンやサキソン人の世界が榮え、今ではもはや、無智のアメリカ人が全世界を支配してゐる。そしてこの階程は、歷史の初ほど地位が高く、下に行く程低くなつてる。東洋では、それが尚一層著しく、印度に於ても支那に於ても、あらゆる文化は古代の花園にのみ咲き亂れた。

 しかしながら歷史でなく、現在の生活してゐる社會から、最もよくその實證を見るであらう。藝術に於ても、またはその他の社會に於ても、環境の惡くなる事情と比例して、年々歳々下等の種屬が、それの多産と順應性から、マルサス的增加率で繁殖して行く。一方で天才や英雄やは、その容易に順應できない氣質からして、次第に衆愚の勢力に追ひ立てられ、時代と共に沒落して行く。自然淘汰の法則は、避けがたく彼等を亡ぼしてしまふであらう。反對に劣等種屬は、それの旺盛な繁殖率から、多數群團して勢力を得、藝術上にも、政治上にも、一切の社會的權力を握つてしまふ。そこで今日の思潮界は、あの奴隷的均一を説くデモクラシイや、蟻的社會の幸福を説く共産主義や、單細胞動物的な集團を考えてる無政府主義や、その他のすべて大多數決的、愚民的、下等動物的の平等思想が、時代と共に勢力を得て、運命への避けがたい墜落率を、一層速めてゐるのである。實に想像し得ることは、文化の近い未來に於て、人間沒落の最後が來ること。あらゆる人類が猿に歸り、蜥蜴になり、蜜蜂的の單位になり、最下等の黴菌にさへ、退化してしまふと言ふことである。

 

   *

 

       ●傾斜に立ちて

 

 墜落して行くものの悲劇は、自ら運命について知らず、落ちることの加速度に勇氣を感じ、暗黑の深い谷間に向つて、不幸な、美しい、錯覺した幻燈のユートピアを見ることである。ああ今! 彼等にしてその危險を知つたならば!

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十月第一書房刊のアフォリズム集「虛妄の正義」の、前者「人間の退化について」は「社會と文明」のパートに配され、後者「傾斜に立ちて」は次の「意志と忍從もしくは自由と宿命」のパートにある。「*」は私が二つのアフォリズムは元来は独立した別のものとしてあることを示すために便宜的に打ったものである。傍点「ヽ」は下線に代えた。

 二つのアフォリズムを並置した理由は、ここでは敢えて外したが(頁数が明らかに編者によって底本のそれに書き換えられているため)、底本(昭和五〇(一九七五)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集 第四卷」。但し、底本で修正された二箇所を原典「虛妄の正義」版に直してある)では前者の末尾に『(「傾斜に立ちて」三三七頁參照)』というポイント落ちの注記が附されてあるからである。]

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