進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第四章 人爲淘汰(4) 五 その結果 / 第四章~了
五 その結果
[羊と豚
(人爲淘汰の結果を示す)]
[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。
上方の異様に毛の長く垂れた羊は、幾つかの品種羊の画像と改良史を比較してみた感じでは、私はイギリス東海岸のリンカーンシャー地方を原産として改良された「リンカーン種」(Lincoln)ではないかと判断する。在来種にイギリス・レスター地方原産の食肉種「レスター種」(Leicester)を交配してつくられた主目的は肉用種(羊毛採取は従)で、羊の中では最も体格が大きく、成体の♀の体重は一四〇~一六〇キログラムに達し、毛長は 三〇センチメートルにも及ぶ。毛質はメリノ種よりも劣るものの、白色の絹糸様の光沢を持っている(「リンカーン種」については「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。但し、本文の記載は明らかに羊毛用種例として掲げているようにしか読めないのがやや気になる。私の同定が誤っている可能性もあるので、識者の御教授を乞うものである。
一方、下方の異様に肥えた豚は一見、「西遊記」の「猪八戒」のモデルとも言われている、中国の太湖豚(タイフウトン)系原種豚の一品種である「梅山豚(めいしゃんとん)」を想起させるが、あれほどに異形ではないし、上のリンカーン種(と仮定して)と並べて描かれたとすれば、それでは如何にもおかしい。そういう観点からネット上の画像を見てゆくと、英国最古のブタの品種の一種で、イングランド東南部のコーンウォールを原産とする「ラージ・ブラック種」(Large Black)ではないかと思い至った。サイト「サイボクぶた博物館」の「ラージブラック」によれば、南西部などで在来の品種を合成して十九世紀中期に作出され、以来百年余に渡って純粋繁殖が続けられてきた品種で、『被毛は黒く黒色を呈し、頭は長さ中等で、耳は大きく垂れ、目を覆っている。頬、顎は軽く、胴伸びと肋張りが良い。後躯は長く腿の発達も良い。体格は大型で体重は平均』で♂が三八〇キログラム、♀で三〇〇キログラムに達し、♂の中には五〇〇キログラムを越える個体もある、とある。『体質は強健で粗食に耐え、放牧に適している。性格はおとなしく、繁殖力、哺育能力に優れ、産子数は平均』で一〇・三頭、体が長く、『肉は精肉・加工いずれにも適しているが、厚脂になりやすい。ヨーロッパ各国、北米、南米、オーストリアに輸出されているが、特にドイツではコーンウォールの名でかなり飼われていた』。『我が国には』、昭和三八(一九六三)年頃に『若干数が輸入されたが、一般には普及』せず、『原産地のイギリスでも』現在は『希少品種に指定され、国民の浄財で運営されている農場で保存されるだけになっている』とある。]
人爲淘汰を行ふに當つて、飼養者は何を標準とし、何を目的とするかといふに、大抵は價の高いものを造つて金を儲けようとかまたは珍奇なものを造つて他人に誇らうとかいふ二通りより外には無い。而して實用を主とする動物では如何なるものが最も多く世に需められるかといへば、之は勿論その動物の實用に適する點の最も發達したもので、乳牛ならば乳の最も多く出るもの、毛羊ならば毛の最も善いものである。また玩弄的動物ならば、普通のものとは違つた奇態な方面に變化したものが多く人に珍しがられ、價も自然高い。かの無暗に胸を脹らせる鳩の種類や、尾を扇子の如くに擴げる鳩の種類などは、この例である。代々かやうな點を淘汰の標準とし、かやうな點の最も發達したものを選み出し、之に子を生ませて飼養し來つたから、今日ヨーロッパで價の高い上等の家畜は執れもこれらの點が非常に發達して、恰も注文に應じて特別に製造した如き形狀・性質を備へて居る。例へば肉を食ふための豚は腹が地面に觸れぬばかりに身體が肥滿し、四足も短く、鼻も短く、丸で大きな腸詰肉が步き出した如くである。また毛を取るための綿羊は柔い毛が非常に澤山に生じて、恰も綿の塊に四足を附けた如くに見える。また乳を搾るための牝牛は乳房だけが無暗に大きく發達し、一日に二斗以上も乳を出して、殆ど乳汁製造器械と名づけてもよいやうな構造を持つて居る。
[やぶちゃん注:まず最初に述べておかねばならないが、実は底本では人名に下線、国名・地名等に二重下線が施されてある。今まで何のためらいもなく、そのようにワードで区別してきたのであるが、公開している私のブログでは二重下線はただの下線に自動的に変換されてしまうことを忘れていた。この度より、底本の「二重下線」は「太字下線」とするので御理解戴きたい。過去公開分はおいおい修正することとする。悪しからず。
「二斗」三十六リットル。]
こゝに一つ注意すべきは、以上の如き性質は皆人間が自分の需要に應じて或る年月の間に造り上げたもの故、人間に取つては孰れも極めて便利有益なものであるが、その動物自身に取つては何の役にも立たず、寧ろ邪魔になることである。豚の肥えることは之を食ふ人間に取つては誠に結構であるが、豚自身に取つてはたゞ步行が困難になるだけで何の利益もない。羊の毛の多いことは之を剪つて毛布を織る人間に取つては誠に調法であるが、羊自身から見れば恰も夜具を被せて步かされたやうなもので迷惑至極な話である。また牝牛の乳の非常に多く出るのは之を搾つて飮む人間には誠に有難いが、自分の生んだ子が到底飮み盡せぬ程に澤山の乳が出ることは親牛に取つてはたゞうるさいばかりで何にもならぬ。その他金魚の尾の長いのは、之を見る人間には奇麗で宜しいが、金魚自身はそのため速く泳ぐことが出來ぬ。また八重咲の花や、種子無の蜜柑は、之を眺めたり食うたりする人間には悦ばれるが、その植物自身はそのため肝心の生殖作用が出來ぬ。
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