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2016/05/10

「笈の小文」の旅シンクロニティ―― 鹿の角先づ一ふしの別れかな / 草臥て宿かる比や藤の花 芭蕉

本日  2016年 5月10日

     貞享5年 4月11日

はグレゴリオ暦で

    1688年 5月10日

 

舊友に奈良にて別る。

 

鹿の角先づ一ふしの別れかな

 

「笈の小文」。「韻塞」には、

 

   奈良にて故人に別る

 

二俣にわかれ初(そめ)けり鹿の角

 

とある(「泊船」もこの句形)。「蕉翁句集」はこの句形で元禄四年の作とするが、どう考えてもこの句の初案としか読めぬし、ここでかく詠んだと措定(後にでも結構)したものを、元禄四年にこんな酷似した形で詠もうはずもない。初案は「奥の細道」の掉尾、大垣での離別、

 

蛤のふたみに別れ行く秋ぞ

 

に美事に吸収されたのである。

 「舊友」とはこの奈良来訪の際に伊賀から出向いていた伊賀蕉門の窪田猿雖(えんすい:惣七)・貝増卓袋(かいますたくたい)・梅軒・中野梨雪(りせつ:利雪とも)・植田示蜂(しほう:示峰とも)といった弟子らを指している。

 

 

 

本日  2016年 5月10日

     貞享5年 4月11日

はグレゴリオ暦で

    1688年 5月10日

 

   大和行脚のとき

 

草臥(くたびれ)て宿かる比(ころ)や藤の花

 

「猿蓑」。「笈の小文」には不載。但し、この十四日後の四月二十五日附猿雖宛書簡冒頭に、

 

大坂までの御狀忝拜見、此度南都之再會、大望生々の樂ことばにあまり、離別のうらみ筆に不被盡候。わがたのもし人にしたる奴僕六にだに別れて、いよいよおもきもの打かけ候而、我等一里來る時は人々一里可行や、三里過る時はをのをの三里可行や、いまだしや、梅軒何がしの足の重きも、道づれの愁たるべきと墨賣がをかしがりし事ども云々、石の上在原寺、井筒の井の深草生たるなど尋て、布留の社に詣、神杉など拜みて、聲ばかりこそ昔なりけれと、詠し時鳥の比にさへなりけるとおもしろくて瀧山に昇る。帝の御覽に入たる事、古今集に侍れば、猶なつかしきまゝに二十五丁わけのぼる。瀧のけしき言葉なし。丹波市、やぎと云所、耳なし山の東に泊る。

 

時鳥宿かる頃の藤の花

 

と云ひて、なほおぼつかなきたそがれに哀れなるむまやに至る。今は人々舊里にいたり、妻子童僕の迎て、水きれいなる水風呂に入て、足のこむらをもませなどして、大佛法事の咄とりどりなるべき。市兵衞は草臥ながら梅額子に卷ひけらかしに可被行、梅軒子は孫どのにみやげねだられておはしけんなど、草の枕のつれづれに、ふたり語り慰みて、十二日、竹の内いまが茅舍に入る。うなぎ汲入たる水瓶もいまだ殘りて、わらの筵の上にてちや酒もてなし、かの布子賣たしと云けん萬菊のきるものあたひは彼におくりて過る、おもしろきもおかしきもかりの戲にこそあれ、實のかくれぬものを見ては、身の罪かぞへられて、萬菊も暫落涙おさへかねられ候。

 

とあり、この、

 

ほとゝぎす宿かる比(ころ)の藤の花

 

が初案であったと思われる。即ち、初夏(初五「ほととぎす」)から三春(「藤の花」)へと時間を巻き戻して惜春の余情をさらに香らせているといえよう。しかもこの作句感懐には書簡の中の「なほおぼつかなきたそがれ」、即ち、「徒然草」第十九段の、

 

 折節の移り變るこそ、ものごとにあはれなれ。「もののあはれは秋こそまされ。」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、いまひとは心も浮き立つものは、春の氣色にこそあ(ン)めれ。鳥の聲などもことのほかに春めきて、のどやかなる日影(ひかげ)に、かきねの草もえ出づる頃よりやや春深く霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、をりしも、雨風(あめかぜ)うちつづき、心あわただしく散り過ぎぬ。靑葉になりゆくまで、萬(よろづ)にただ心をのみぞ悩ます。

 花橘は名にこそおへれ、なほ梅のにほひにぞ、古しへのこともたちかへり、戀しう思ひ出でらるる。山吹の淸げに、藤のおぼつかなき樣(さま)したる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。「灌佛の頃、祭の頃、若葉のこずゑ涼しげに茂り行くほどこそ、世のあはれも、人の戀しさもまされ。」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。五月(さつき)、あやめふく頃、早苗とる頃、水鷄(くひな)のたたくなど、心ぼそからぬかは。水無月の頃、あやしき家に、夕顏の白くみえて、蚊遣火(かやりび)ふすぶるもあはれなり。六月祓(みなづきばらへ)またをかし。

 

が裏打ちされていることも明示されているのである。諸注、只管、行脚の疲れた目に浮かぶ藤の花を、ぼんやりと浮かばせる人生の旅愁の「けだるさ」の映像とのみ捉えているが、ここはまさに「頃や」と、つい口をついて出た折りの芭蕉微妙な眼遣いをこそ注視せねばならぬ。その漠然としたダルな雰囲気の彼方には、間違いなく、「詩経」の女の愁うところの春、さらに「藤」のゆかり、さらには「徒然草」が直ちに繋げるところの「あやしき家に、夕顏の白くみえて」の具体な源氏の「夕顔」の帖への飛翔の暗示をも匂わせてあるのであり、この妖しく艶めいた「藤の花房」のぼうとしたショットには「妖艶なる春愁のひだるさ」をこそ感じ取るべきである。仏教の辛気臭い無常観のスモークのかかった藤の花房や、プロレタリア染みた疲労困憊のムッとするリアルな汗など、本句には全く以って無縁なのである。

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