ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版) 小人國(5) 五章 大てがら (その一)
五章 大てがら
ブレフスキュ帝國といふのは〔、〕リリパットの北東にあたる島ですが、この國とは僅かに八百ヤードの海峽で隔たつてゐるのですます。私はまだ一度もその島を見たことはなかつた〔い→かつた〕のですが、こんどの話を聞いてからは、敵の船に見つけられるといけないので、そちら側の海岸へは、出步〔てゆ〕かないやうにし〔努め〕ました。戰爭になつて以來、兩國の交通は〔人人はゆきき〕しない〔ては〕いけないことになつており、船〔の出入り→が港に出入りすることも〕皇帝から〔の命令で〕禁〔きびしくと〕とめられてゐました。〔→たのですから、〕敵は私のことは、敵側には〔まだ〕知られ■〔て〕いないはずでした。〔す。〕
[やぶちゃん注:「八百ヤード」七百三十一・五二メートル]
私は一つの計略を皇帝に申し上げました。
「なんでも斥候の報告では、敵の全艦隊は〔、〕〔順風になつ〔を待つ〕て出動しようとして〔、〕〕今港に錨を下してゐるさうですから、これを一つ全部とつつつ〔か〕まへて御覽にいれませう」 これ私の
そこで〔、〕私は■最も經驗のある夫〔水〕夫たちに〔、〕海峽の深さを聞いてみました。彼等は何度も錘を投げい〔入〕れた〔測つてみた〕ことがあるので〔、〕よく知つてゐましたが、それによると、滿潮のときが眞中の深さが七十グラムグラム(これはヨーロッパの〔■〕流さ〔の〕尺度で約六呎〔に當ります〕)その〔他の〕場所なら〔、〕まづ五十グラムグラムだといふことです。
[やぶちゃん注:現行版では頭の部分が、『そこで、私は水夫たちに、海峡の深さを聞いてみました。』となっている。
「六呎」一メートル八十二センチメートル強。
「五十グラムグラム」前の比率から一メートル三十センチメートルとなる。]
私はちようど正面にブレフスキュ島が見える北東海岸に行きました。小山の陰に腹這はらばいになりながら、望遠鏡を取り出して見ると、敵の艦隊は約五十隻の軍艦と、多數の運送船が碇泊してゐるのです。
そこで、私は家に引返〔かへ〕すと、リリパットの人民に、丈夫な綱と鐵の棒を〔、〕できるだけ澤山も〔持〕って來るやうに言いつけました。綱はおよそ〔まづ〕荷造り糸ぐらゐの太さ、鐵棒はおよそ編もの針ぐらゐの長さでしたから〔。だから、これを〕もつと丈夫にするために、綱は三本を一つに〔も鐡棒も三つ合せて一つ→三つより合せて一つにしました。〕鐵棒も〔、〕やはり三本をより合せて一本にして、〔その〕端を〔、〕折ま鈎形形に折りまげました。かうして出來た五十の鈎を、一つ一つ〔、〕五十本の綱に結〔むす〕びつけます。
それから〔、〕私はまた海岸へ引かへすと、滿潮になる一時間〔ばかり〕前から 〔私は〕上衣と靴と靴下を脱〔ぬ〕いで、革チヨツキのまま〔、〕ジヤジヤブ波〔水〕の中にはいつて行きました。大急ぎで海の中を步き、眞中の深いところを三十ヤードばかり泳ぐと、あとは背が立ちました。〔私は〕とつ大急ぎで〔海水の中を〕步いて 行き〔進んで→海のなかを步き、〕、海 まんなかで〔まんなかを約三十→の深いところを三十〕ヤードばかり泳ぐと、〔あとは〕背が立ちました。三十分もたたないうちに、もう〔私は〕敵の艦隊の正面〔前〕前に現〔あらは〕れました〔たのです〕。
[やぶちゃん注:現行版は、『それから、また海岸へ引っ返すと、満潮になる一時間ばかり前から、私は上衣と靴と靴下を脱いで、革チョッキのまま、ジャブジャブの中に入って行きました。大急ぎで海の中を歩き、真中の深いところを三十ヤードばかり泳ぐと、あとは背が立ちました。三十分もたゝないうちに、もう私は敵の艦隊の前に現れたのです。』である。原稿には原稿用紙が改頁になっているせいであろう、重複が見られる。
「三十ヤード」二十七・四三メートル。]
私の姿にびつくりした仰天した三万、私の姿にびつくり仰天し〔敵はすつかり、あわて〔て〕ふためきました。→私の姿にびつくり仰天しました。→た敵は、〕私の姿を見ると我がちに みんなわれがちに〔、〕海へ〔に〕とびこんで〔は〕、海岸〔の方へ〕〔の方〕に〔へ〕泳いで行きます。〔した。→す。〕逃げた〔その〕人數は、三万人■をくだらなかつたでせう。そこで〔、〕私は用意〔あ〕の綱をとりだすと、軍〔敵→軍〕艦の舳 前 前についてゐる〔舳(へさき)〕の穴に〔、〕一つ一つ鈎を〔ひつ〕かけ、〔全部の〕綱の端を一■に〔つに〕結〔むす〕びあせました。かうしてゐるうちにも、敵は〔、〕何千本といふ矢を〔、〕私めがけて一せいに射かけてきます。
[やぶちゃん注:「海岸〔の方へ〕〔の方〕に〔へ〕」の併存はママ。改行部なのでうっかりダブったものと推測出来る。
現行版は、『私の姿にびっくりした敵は、すっかりあわてゝ、われがちに海に跳び込んでは、岸の方へ泳いで行きます。その人数は、三万人をくだらなかったでしょう。そこで、私は綱を取り出すと、軍艦の舳へさきの穴に、一つ/\鈎を引っかけ、全部の綱の端を一つに結び合せました。こうしているうちにも、敵は、何千本という矢を、一せいに射かけてきます。』である。ここでは抹消された「すつかり、あわてて」が生かされている。]
矢は〔、〕私の兩手や顏に〔を→に〕〔パラパラ〕あたります。〔チクチクあたります。〕〔に〕降りそそぎ、痛いのも痛いのですが、これでは〔全く〔、〕〕邪魔〔仕事〕になつて仕方がありません。私は目をやられさうで心配でした。〔私は目→それに一番心配したのは眼■をやられる〕ことです。〔今につぶされはすまいかと気が気で→はすまいかと、ハラハラ→いたいらしました。ところが、〕ふと、私はいいことを思ひついたので、やつと助かりました。私〔にはあの〕身躰檢査のとき〔、〕出さ〔見せ〕ないで、そつと〔ポケツトに〕隱しておゐた〔、〕眼鏡があります。〔早速〕それを〔の眼鏡〕をとり出すと、しつかり〔、〕鼻にかけました。これさえあれば〔、〕もう大丈夫でした。私は敵の矢など氣にかけず、平気で仕事をつづけました。眼鏡のガラスにあたる矢もだいぶありますが、これは〔、〕眼鏡をちよつとグラつかせるだけで〔、〕大したことはありません。
私は〔私は■→どの船にも〕鈎をみんなかけてしまふと、今度は〔私は〕綱の結び目を摑〔つかん〕〔、〕んで〔ぐぐと→ぐ■ひと〕引ぱりました。〔ところ〕が、どうしたことか〔、〕船は一隻も動きません。み〔見〕ると〔〔、〕船は〕みんな錨で〔、〕しつかりとめてあるのです。そこで、また、やつかいな、骨のをれる仕事がはじまりました。〔私は〕鈎のかかつた船の綱■を を手から離〔引つぱらうとしてゐた綱→鈎のかかつたままの綱を、〔一たん〕手から離すとし、〕〔ました。〕それから、錨小刀をとりだして、錨の綱をズンズン切つて行きました。〔やはり〕そ〔こ〕の時も〔、〕矢は顏や手に〔、〕二百本以上も飛んで來ました。〔の矢■が飛んで來たのが→です。→た。→飛んで來たのです。→は來ました。→來ました。〕〔錨綱を切つてそれが、すむと→錨綱を切つてしまふと、〕しかし〔やがて〕、それから〕私は〔私は〕鈎をかけた綱を手に取上げると、今度はもう〔すぐ〕簡單に船〔錨〕は〔が〕〔部〕動き出しました。〔かうして〔、〕〕私は敵の軍艦五十隻を引つぱつて歸りました。
[やぶちゃん注:推敲が複雑で再現しきれないのであるが、それでも一応、好意的に整序してみると、
*
【自筆原稿整序版】
どの船にも鈎をみんなかけてしまふと、今度は綱の結び目をつかんで、ぐひと引ぱりました。ところが、どうしたことか、船は一隻も動きません。見ると、船はみんな錨で、しつかりとめてあるのです。そこで、また、やつかいな、骨のをれる仕事がはじまりました。私は鈎のかかつたままの綱を、一たん手から離し、それから、小刀をとりだして、錨の綱をズンズン切つて行きました。この時も、顏や手に、二百本以上の矢が飛んで來ました。それから私は鈎をかけた綱を手に取上げると、今度はすぐ簡單に動き出しました。かうして、私は敵の軍艦五十隻を引つぱつて歸りました。
*
となり、これは、
*
【現行版】
どの船にもみんな鈎をかけてしまうと、私は綱の結び目をつかんで、ぐいと引っ張りました。ところが、どうしたことか、船は一隻も動きません。見ると、船はみんな錨で、しっかりとめてあるのです。そこで、また、やっかいな、骨の折れる仕事がはじまりました。鈎のかゝったまゝの綱を、一たん手から放し、それから、小刀を取り出して、錨の綱をズンズン切ってゆきました。このときも、顔や手に二百本以上の矢が飛んで来ました。さて、私は鈎をかけた綱を手に取り上げると、今度はすぐ簡単に動き出しました。こうして、私は敵の軍艦五十隻を引っ張って帰りました。
*
と現行とあまり変わらないことが分かる(下線やぶちゃん)。]
〔はじめ〕ブレフスキュの人たちは、私が何をしようとしてゐるのか〔、〕見當がつかなかつたので、ただ驚〔はじめのうち〕は〔、〕驚き〔ただ〕呆れてゐるやうでした。私が錨の綱を切るのを見て、船を流してすの〔して〕しまふのか、それとも〔、〕互に衝突させるのかしら、と思つてゐましたが、いよいよ全艦隊が私の綱に引つぱられて、ずんずん〔みごと→うまく〕動きだし〔進みはじめ→動きだし〕たのに氣づくと、たちまち泣きわめく声で〔が〕〔にわかに、泣き叫びだしました。〕その泣きわめく〔いたり叫んだりする〕〔彼等の嘆きかなしむ〕〔なしむ〕有樣といつたら、とても〔皆〕文章では〔も〕〔どんな言葉〕説明ができません〔あらは〕〔云へないほどでした。〕まあなんといつていひのかわからないほどでした。
さて、私は一休やすみするために、立ちどまつて、手や〔から→や〕顏に一ぱい刺さつて〔てゐる〕矢を引き拔〔拔〕きました。そして〔、〕 私は前に貰つた〔この島で〕〔小人から〕〔つけ〕もらつた、あの 列傷の〔矢の〕妙薬を〔、〕〔その疵あとに〕塗りこみました。それから〔、〕眼鏡をはづして、潮が〔少し〕退くのを暫く待ち、荷物を引いて〔きながら〔、〕〕海峽の眞中を渡りながら、〔、〕無事に〔、〕リリパットの港へかへりついたのです。
[やぶちゃん注:「〔つけ〕もらつた」及び抹消部の「列傷」はママ。現行版は以下の通り。『さて、私は一休みするために、立ち停って、手や顔に一ぱい刺さっている矢を引き抜きました。前に小人からつけてもらった、矢の妙薬を、その疵あとに塗り込みました。それから、眼鏡をはずして、潮が退くのをしばらく待ち、やがて荷物を引きながら、海峡の真中を渡り、無事に、リリパットの港へ帰り着いたのです。』(下線やぶちゃん)。]
海岸では、皇帝も廷臣も〔、〕みんなが、私の帰る〔もど〕つて來るのを〔、〕今か今か〔、〕と待つてゐました。敵の艦隊が大きな半月形に〔を〕つくつて進んで來るのは〔、〕〔すぐ〕見えてゐましたが、私の姿は〔、〕胸のところまで水に浸つてゐたので〔、〕見わけがつかなかつたのです。私が海峽の眞〔ま〕ん中まで來ても〔ると〕、まだ分からなかつたのです。〔しきりに彼等は氣気をもんでゐました。〕首だけしか水の上には出て〔ゐ〕なかつたので、わからなかつたのです。皇帝などは〔、〕もう私は溺れ死んだ〔もの→もの〕と思ひこみ、→ときめ思ひ→のだらう、〕そして〔、〕あれは敵の艦隊が今〔い〕ま押〔攻〕よせて來るのだと〔ばかり→ばかり〕思ひ込まれて〔んで〕いました。けれども〔、〕すぐ その〔みんな→すぐ、そ〕んな心配は無用になりました。〔すぐ無用に消え〔ま→去り〕→消えました。→すぐ無用になりました。〕〔步いて行くうちに〔、〕〕だんだんと海は淺くなり、やがて〔、〕人声のきこえるところまで〔近づいて〕來たので、私は〔、〕艦隊をくくりつけてゐる綱をの端を〔よく見えるやうに〕高く持ち〔上〕げ、
「リリパット皇帝万才!」
と叫びました。皇帝は大喜びで私を迎へてくれました。すぐ、その場で、私はナーダック(これはこの國の最高の位です)の位にを私にくれました。
[やぶちゃん注:現行版ではここで改行せず、「ところが、皇帝は」(以下に見る通り、原稿は「陛下は」で逆接の接続詞「ところが、」も存在しない)と続いて、「またそのうち……」以下の陛下(皇帝)の台詞が改行表示されている。以下、以上の段落を整序すると、
*
【自筆原稿整序版】
海岸では、皇帝も廷臣も、みんなが、私のもどつて來るのを、今か今か、と待つてゐました。敵の艦隊が大きな半月形をつくつて進んで來るのは、すぐ見えてゐましたが、私の姿は、胸のところまで水に浸つてゐたので、見わけがつかなかつたのです。私が海峽のまん中まで來ると、しきりに彼等は気をもんでゐました。首だけしか水の上には出てゐなかつたので、皇帝などは、もう私は溺れ死んだのだらう、そして、あれは敵の艦隊がいま攻よせて來るのだとばかり思ひ込んでいました。けれども、そんな心配はすぐ無用になりました。步いて行くうちに、だんだんと海は淺くなり、やがて、人声のきこえるところまで近づいて來たので、私は、艦隊をくくりつけてゐる綱の端を高く持ち上げ、
「リリパット皇帝万才!」
と叫びました。皇帝は大喜びで私を迎へてくれました。すぐ、その場で、ナーダック(これはこの國の最高の位です)の位を私にくれました。
*
であるが、現行は、「と叫びました。」と「皇帝は大喜びで私を迎へてくれました。」の間で改行され、
*
【現行版】
海岸では、皇帝も廷臣も、みんなが、私の戻って来るのを、今か今かと待っていました。敵の艦隊が大きな半月形を作って進んで来るのは、すぐ見えましたが、私の姿は、胸のところまで水につかっていたので、見分けがつかなかったのです。私が海峡の真中まで来ると、首だけしか水の上には出ていなかったので、彼等はしきりに気をもんでいました。皇帝などは、もう私は溺れて死んだのだろう、そして、あれは敵の艦隊がいま押し寄せて来るところだ、と思い込んでいました。けれども、そんな心配はすぐ無用になりました。歩いて行くうちに、だんだんと海は浅くなり、やがて、人声の聞えるところまで近づいて来たので、私は、艦隊をくゝりつけている綱の端を高く持ち上げ、
「リリパット皇帝万歳!」
と叫びました。
皇帝は大喜びで私を迎えてくれました。すぐ、その場で、ナーダックの位を私にくれました。これはこの国で最高の位なのです。ところが、皇帝は、[やぶちゃん注:現行版改行部前まで出した。]
*
と、かなり異なる(下線やぶちゃん。「しきりに彼等は気をもんでゐました。」は自筆原稿版と現行版では語順と位置が異なる)。]
陛下は、
「またそのうち敵の艦隊の殘りも全部持つて帰つてほしい」と云は〔ひださ〕れました。 王樣の野心といふものは限〔きかぎ〕りのないものです。皇帝〔陛下の考へでは→陛下ののぞみは→陛陛下には〕、ブレフスキ帝國を属リリパットの属國にしてしまひ、反對派を〔みな〕滅ぼし、人民どもには〔、〕すべて卵の小さい〔方の〕端 を割らせる、そして〔、〕自分は全世界のたゞ一人の王樣になろう〔、〕〔と、〕といふ 考へ に なつ やう〔いふ、お気持だつたらしいの〕です。しかし、私は、
「〔どうも■〕それは正しいことではありません、それにきつと失敗します」と、いろいろ説いて、皇帝の考へをいさめこみました。そして、
「自由で勇敢な國民を奴隷にしてしまふやうなやり方なら、〔私は〕お手傳ひできません」と、はつきりお断りしました。そして、この問題が議會に出された時も、政府の中で最も賢い人たちは、私の考へと同じ考へでした。
[やぶちゃん注:現行ではここに改行はなく、後が続いている。
冒頭の「陛下」原文は“his majesty”。民喜が、原稿のここで突然、「皇帝」を「陛下」という訳語に変えようと試みたのは、直前でガリヴァーリリパット国の最高位「ナーダック」の称号を受けたことを境に、その呼び方も民喜が訳文で変化(差別化)させようとしたもののようにも私には思われるのである。実は原文を見ると、ここまででも、“the emperor”(皇帝)と“his majesty”(陛下)は混用されていることが分かるからである。
また、「〔どうも■〕それは正しいことではありません、それにきつと失敗します」が行冒頭からなのはママで、「ブレフスキ帝國」もママである。
さらに、原稿の上部罫外には、上部画像が欠けているために判読がしにくいものの、読もうなら、
*
お手傳ひ
なら私は
ごめんこう
むります
*
という、本文で使用されているインクとは異なる、かなり濃い色で記されてあるのがはっきりと分かる。これは皇帝の要請に対する本文のガリヴァ―のそれよりも、より強い拒絶であり、寧ろ、こちらを私なら生かしたいところでは、ある。
以下、現行版を示す(既に述べた通り、頭と後は改行なしで前と後ろに繋がっているのでそこを少し附加した。特に後部は次の段落末まで大きく引用しておいたので、次段落とも比較されたい)。
*
皇帝は大喜びで私を迎えてくれました。すぐ、その場で、ナーダックの位を私にくれました。これはこの国で最高の位なのです。ところが、皇帝は、
「またそのうち、敵の艦隊の残りも全部持って帰ってほしい。」
と言いだされました。
王様の野心というものは、かぎりのないもので、陛下は、ブレフスキュ帝国を、リリパットの属国にしてしまい、反対派をみな滅し、人民どもには、すべて卵の小さい方の端を割らせる、そして、自分は全世界のたゞ一人の王様になろう、というお考えだったのです。しかし、私は、
「どうもそれは正しいことではありません。それにきっと失敗します。」
と、いろいろ説いて、皇帝をいさめました。そして、私は、
「自由で勇敢な国民を奴隷にしてしまうようなやり方なら、私はお手伝いできません。」
と、はっきりお断りしました。
そして、この問題が議会に出されたときも、政府の中で最も賢い人たちは、私と同じ考えでした。ところが、私があまりあけすけに、陛下に申し上げたので、それが、皇帝のお気にさわったらしいのです。陛下は議会で、私の考えを、それとなく非難されました。賢い人たちは、たゞ黙っていました。けれども、ひそかに私をねたんでいる人たちは、このときから、私にケチをつけだしました。そして、私を快く思っていない連中が、何かたくらみをはじめたようです。そのため、二ヵ月とたゝないうちに、私はもう少しで殺されるところでした。
*]
〔しかところが〕私があまり〔に〕あけすけに〔、〕陛下に申し上げたので、〔それが〔、〕〕皇帝は〔の〕お氣にさわつたらしいのです。陛下は議會で〔、〕私の考へを、それとなく批難されました。賢い人たちは、ただ默つてゐましたが、。けれども、ひそかに私をねたんでゐる人たちは、〔このときから、〕私にケチをつけだしました。そして、皇帝を、私を快くおつていない連中をが、何かたくらみを始めたやうです。そのため、二ケ月とたたないうちに、私はもう少しで殺されるところでした。
さて、私が敵の軍艦隊を引ぱつて戾つてから、二週間ばかりたつと、ブレフスキュ國から、和睦を求めて〔、〕使がやつて來ました。〔この〕講和は、わが皇帝側に〔、〕非常に都合のよい條約で〔、〕結ばれました。使節は六人で、それに〔、〕約五百人の從〔お〕者が隨ひました。彼等が道都に入つて來るとき〔時〕の有樣は、いかにも〔、〕君主の〔大切な〕なお使らしく、ほんとに〔実〕に盛壯觀でした。 盛大
[やぶちゃん注:「從〔お〕者」は「お使」と直した積りであろう。「盛大」の捨て字はママ。恐らく「壯觀」とするか「盛大」とするかに迷ったのであろうが、現行は「壮観」である。]
私も彼等使節のためには、何かと〔宮中で〕面倒をみてやりました。條約の調印が終ると、彼等は〔、〕私のところへもお禮〔■■■〕に訪ねて來ました。私が彼等に好意を持つてゐたことは、〔それとなく〕彼等も聞いてわかつゐたのでせう。彼等はまづ私の勇〔勇〕気と優しさを口をきはめて褒〔ほ〕め、それから〔、〕
〔「〕■、〔ブレスキュの→われわれの〕皇帝も、一度是非お目にかかつて、〔かねてから〕噂に〔であなたのことをので、→〕きいてゐますので〔ます〕私〔あなた〕の力業を〔一つ〕実地に見せて〔せてもらひたいと云→せていただきたいと云→もらひたいと云つてゐます、〕一度御來遊〔是非〕あなたを 御招待 したい〔來下さい」〕と申しま〔云ふので〕した。私はも、すぐ承諾〔承知〕しました。
[やぶちゃん注:以下、現行では改行なく続く。原稿で以下の通り、一行(原稿用紙最終行)が空けてある。恐らく、改行して場面を変えるために、新たな原稿用紙を使用したかっただけのことで、一行空けを示すものとはシークエンス上からも思われない。なお、老婆心乍ら、「力業」は「ちからわざ」と訓ずる。現代の小学生レベルではルビなしではかなり難しい読みであると思う。
以下、現行版を示す。
*
私も彼等使節のためには、何かと宮中で面倒をみてやりました。条約の調印が終ると、彼等は私のところへも訪ねて来ました。私が彼等に好意を持っていたことは、それとなく彼等も聞いてわかったのでしょう。彼等はまず、私の勇気とやさしさをほめ、それから、
「われわれの皇帝も、かねてから噂であなたのことを聞いています。あなたの力業を、ひとつ実地に見せてもらいたいと言っています。どうかぜひ一度お出かけください。」
と言うのでした。
私も、すぐ承知しました。
*]
しばらくの間、私は使節たちを、いろいろと〔、〕もてなしも〔ま〕したが、彼等もすつかり私〔滿〕足し、〔私に〕驚いたやうでした。そして〔こで〕、私は彼等に、
「〔あなた方が〕お國へ帰られたら〔■〕、陛下によろしくお傳へください。陛下の譽れは〔、〕世界中に知れわたつてゐますから、私もイギリスに帰る前に〔、〕是非一度お目にかかりたいと存じます」
と云つておきました。そんなわけで、私はリリバット皇帝にお目にかかると、〔早速こんなお願ひをしました。〕
「〔そのうち私は〕ブレフスキュ皇帝に逢ひに行つてもいいでせうか〔きたいと〕〔存じます→思つてゐるのです〕が、お許し下さいませんか〔→下さいまん→頂きたいとおもひます→どうか行かせて〔頂けないでせうか→下さいませ〕→許可して頂けないでせうか」とお願ひ
[やぶちゃん注:この部分も推敲も神経症的であるが、現行版は実は、この、
「そのうち私はブレフスキュ皇帝に逢ひに行きたいと思つてゐるのですが、許可して頂けないでせうか」
ではなく、途中の案を採用した、
「そのうち私はブレフスキュ皇帝に会いに行きたいと思っているのですが、どうか行かせてくださいませ。」
となっているのである。]
皇帝は許してはくれましたが、ひどく氣の乘らない御樣子でした。これは一たいどうしたわけかしらなのか、私〔に〕はその頃〔は〕わからなかつたのですが、間もなく〔、〕ある人から〔、〕こんなことを聞かされました。
私が使節たちと仲よくするのを見て、「あれはああして、〔いまに〕ブレフスキュの味方になるつもりですね」と、皇帝につげ口した者がゐたのです。大藏大臣のフリムナツプとボル海軍提督のボルゴラムの二人が〔、〕それです。
ここで一寸つけ加へて〔ことはつて〕おきますが、私と使節たちとの面會は〔は〕通譯がついて〔き〕で行はれたのです。なにしろ〔リリバットとブレフスキュ〕兩國の言葉はひどく違つてゐるのでしたが、リリバットの方でもブレフスキュの方でも、自分の國の言葉〔こそ〕一番、古くからあつて、美しく、力立派な〔、〕力強い〔、〕言葉だ〔、〕と誇つ〔自慢し〕てゐるのです、そして、〔お互に〕相手の方國の言葉は、野バンだと〔、〕輕蔑してゐるのです〔した〕。
しかし、リリバット〔の〕皇帝は、敵の艦隊を捕虜にしたのだから〔、〕と鼻いき〔ぱし〕が強く〔か〕つたわけです。使節團には國書類も會談判も、みんなリリバット語を使はせました。もつとも、この兩國は、貿易のための交通や、たえず追放人が〔互ひ〕行つたりきたりしてゐるので、兩〔方の〕國語で話〔しができる〕人も多いのです。〔どちら國も〕世間を見たり人情風俗を理解したりしてゐましたので〔するために〕、靑年貴族の靑年や、富お金持たちは〔が〕、互に旅行し〔行來し〕てゐましたから、貴族でも〔、〕商人でも〔、〕人夫でも、海岸に住むんでゐる人人なら、大概〔、〕兩國語を知つてゐました。
[やぶちゃん注:現行版を示す(異なる部分に私が下線を引いた)。
*
しかし、リリパットの皇帝は、敵の艦隊を捕虜にしたのですから、鼻っぱしが強かったわけです。使節団には、書類も談判も、みんなリリパット語を使わせました。もっとも、この両国は、絶えずお互に行ったり来たりしているので、両方の国語で話ができる人もたくさんいます。世間を見たり、人情風俗を理解するために、貴族の青年や、お金持たちが、互に行き来していましたから、貴族でも、商人でも、人夫でも、海岸に住んでいる人々なら、大がい、両方の言葉を知っていました。
*]
〔ところで〔前に〕私が〕釋放してもらう時〔には〕、あの誓約書には〔、〕いろいろ雜役〔卑ら→と情けない〔やうな→役目〕〕をひきうけてゐました。〔がきめてありました〔のたのを、みなさんも憶えてをられるでせう。〕がきめられてゐたものです。ところが、私は今この國の一番えらい〔高い〕位のナーダックになつたのですから、〔もう〕あんな仕事は〔どうも私に〕似あひません。皇帝も私に〔もう〕そんなことは一度もお命じにならなかつたのです。ところが〔、〕間もなく、陛下にたいして、大變な働働きをする機會〔しなけれ〕ばならない事件が起き〔つ〕たのです。
[やぶちゃん注:原稿に以下に一行空ける指示有り。現行版には一行空けはない。]
ある眞夜中のこと、私は〔すぐ〕門口で、何〔数〕百人の人人が〔、〕大声で何か叫んでゐるのをききました。はつとして眼をさました〔まし→し、〕私は〔ま〕が、私もかなり驚きました。〔多少こわく〔なりました。→つたのです〕。びつくりしました。外では
バーラム
バーラム
といふ言葉が絶えずきこえてきます。と思ふと、群衆を押しわけながら、宮廷の人たちが私のところへやつて來ました。〔て、云ひます。→した。〕
「〔今〕すぐ、宮殿へ〔■〕〔火事です。〔宮殿が〕火事です。〕〔早く〕來てください」
きけば、皇后の御殿で〔、〕一人の女官が本を讀みながらうたたねしてゐると、〔いつのまにか〕火がついたといふのです。て大ごとになつたといふのです。
私はすぐ〔、〕跳〔跳〕ね起きました。私の通り路を開 邪魔するな〔あけろ〕といふ命令がは前もつて出てゐま〔ま〕したし、。月も〔夜〕で〔路は〕あかるかつたし、私は人一人も人を踏みつけないで、皇宮〔殿〕まで來ました。見ると、宮殿の壁には〔、〕もう〔、〕いくつも梯子がかけられ、手桶〔バケツ〕が運ばれてゐます。
でも、水のなにぶん〔、〕水は遠くから運ばれてゐるらしいのです。人人はどんどんバケツを私のところへ持つて來ますが、バケツといつても〔、〕大きさは指袋ぐらゐですから、これでは〔これでは〕、とても〔ちよつと〕あの火は消せさうもありません。私は上衣さへあれば、すぐ消してしまふのですが、〔急いだので、つい〕生憎着てくるのを忘れました〔たのです〕。〔今、〕着てゐるのは革チヨツキだけでした。これでは、もう駄目〔だら〕かなあ、ああ、〔あの〕立派な御殿が〔、〕みすみす燒ける、と私はがつかりしさうでした〔あきらめかけてゐました→悲觀しかけてゐました〕。
ところが、ふと、〔この時、〕私にはすばらしい、考へが浮んで來ました。その晩〔、〕私はグリミグリムといふ非常においしお酒をたんと呑んでゐました。今、火事さふぎで動きまはつてゐると、私の身體はカつ〔カ〕とほてつて、お酒のききめが〔すぐ〕あらはれました。〔てきました。今、〕私は〔今にも〔、〕〕おしつこが出さうになりました〔つたのです。そこで、〕私は思ひきつて、火の上におしつこを振〔り〕かけ〔てゆき〕ました。三分間も〔と〕しないうちに〔、〕火事はすつかり消えてしまひました。何代もかかつ建てた〔このすば→この〕奇麗な宮殿はこれで漸く助かつたのでした。〔全燒しないですみました。→まる燒けにならないで■助かつたのです。→これでまづ無事に助かつたの〔した。→です。〕〕
[やぶちゃん注:「おいしお酒」及び「まる燒けにならないで■助かつたのです。→これでまづ無事に助かつたの〔した。→です。〕」の併存はママ。現行版を示す。
*
ところが、ふとこのとき、私には、素晴しい考えが浮んできました。その晩、私はグリミグリムという、非常においしい、お酒をたんと飲んでいました。火事騒ぎで、動きまわっていると、身体はカッカとほてって、お酒のきゝめがあらわれてきました。私は今にも、おしっこが出そうになったのです。そこで、私は思いきって、火の上に、おしっこを振りかけてゆきました。三分間もしないうちに火事はすっかり消えてしまいました。これでまず、綺麗な宮殿は、丸焼けにならないで助かったのです。
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現行版の太字で示した「おしっこ」は底本では傍点「ヽ」。原稿には、ない。]
火事が消えたとき、もう夜は明けてゐました。私は皇帝に、■よろこびの挨拶もし〔申し上げ〕ないで〔、〕家にもどりました。というのは、私は〔消防夫として〕非常な手柄をたてたのですが、しかし皇帝が私のやり方をどう思はれるか、心配でなりませんでした〔ならなかつたのです。〕この國の法律では、たとへどんな場合でも、宮城の内で〔、〕立小便をするやうな者は〔、〕死刑にされることになつてゐました。しかし私は〔その後、〕皇帝から、お手紙〔特べつ→とくべつ→特別〕に罪を許すやうとりはからつてやると、お手紙をいただいたので〔、〕〔これで〕少しホツとしてゐました。けれども、それはもやはり駄目でした。
[やぶちゃん注:現行版はここに改行なし。]
皇后は私のしたことを〔、〕大そう〔へん〕御立腹になり、〔そして〕宮中の一番遠い端へ引つ越されました。元の建物はもう皇后は〔使ひた〕くないから〔、〕修繕ささない〔ことにされて、〕堅く御決心になり、「今にきつと思ひ知らせてやると」と腹心おそばの者に云はれたそうです。
[やぶちゃん注:この部分は見た目の現行通りに復元したのであるが、実際には移動校正指示が含まれている。それに従うとしかし、
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【校正移動指示による整序移動原稿(一部、意味が通るように恣意的に変更した)】
皇后は私のしたことを、大へん御立腹になり、「今にきつと思ひ知らせてやる」とおそばの者に云はれたそうです。そして宮中の一番遠い端へ引つ越されました。元の建物はもう皇后は使ひたくないから、修繕ささないことにされて、堅く御決心になり、
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となって、文章が完結しなくなるのである。以下に、現行版を示しておく(改行はないので、前段部も引いておく)。
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火事が消えたとき、もう夜は明けていました。私は皇帝に、よろこびの挨拶も申し上げないで、家に戻りました。私は消防夫として、非常な手柄をたてたのですが、しかし、皇帝が私のやり方をどう思われるか、心配でたまらなかったのです。この国の法律では、たとえどんな場合でも、宮城の中で、立小便をするような者は、死刑にされることになっていました。
しかし私はその後、皇帝から、特別に罪を許すよう取りはからってやる、と、お手紙をいたゞいたので、これで少し安心していました。けれども、それもやはり駄目でした。皇后は私のしたことを、大へん御立腹になり、
「今にきっと思いしらせてやる。」
と、おそばの者に言われたそうです。そして、もとの建物はもう厭だから、修繕させないことにされて、宮中の一番遠い端へ引っ越されました。
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