「笈の小文」の旅シンクロニティ―― 灌佛の日に生れ逢ふ鹿の子かな 芭蕉
本日 2016年 5月 7日
貞享5年 4月 8日
はグレゴリオ暦で
1688年 5月 7日
灌佛(くわんぶつ)の日は奈良にて此處彼處(ここかしこ)詣で侍るに、鹿(しか)の子を生むを見て、此日に於てをかしければ、
灌佛の日に生(うま)れ逢ふ鹿(か)の子かな
「笈の小文」より。芭蕉は先の和歌の浦から三月二十九日に発って、熊野街道を通り、小野坂を越えて名手宿、そこから大和街道を五條宿に抜け、下街道を通って奈良へ着いたのが四月三日のことであったとサイト「俳諧」の「笈の小文」では推定されてある。されば、この句を詠んだ本日までは、五日間あり、「奈良にて此處彼處詣で侍る」という言辞も腑に落ちる。
「灌佛の日」は灌仏会(かんぶつえ)で、釈迦が旧暦四月八日に生誕したとする伝承に基づく祭日。右手で天、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」を唱える姿の釈迦の誕生仏の像を、花御堂(花で飾った小さなお堂)の中に安置し、この像に甘茶を柄杓で掬って灌(そそ)ぎかける行事を行う。「仏生会(ぶっしょうえ)」「降誕会(ごうたんえ)」「仏誕会(ぶったんえ)」などとも呼ばれ、釈迦が悟りを得たとされる旧暦十二月八日の成道会(じょうどうえ)、釈迦が入滅したとする旧暦二月十五日の涅槃会(ねはんえ)と共に三大法会(ほうえ)とされる。
鹿の子(生きとし生けるもののシンボライズ)の可憐さが赤子の釈迦と重ね写され、灌仏会の甘茶がけをする子らの情景とも美しく響き合う、佳句である。