芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 武者修業
武者修業
わたしは從來武者修業とは四方の劍客と手合せをし、武技を磨くものだと思つてゐた。が、今になつて見ると、實は己ほど強いものの餘り天下にゐないことを發見する爲にするものだつた。――宮本武藏傳讀後。
[やぶちゃん注:大正一三(一九二四)年十一月号『文藝春秋』巻頭に、前の「政治家」(二章)「事實」と、後の「ユウゴオ」「ドストエフスキイ」「フロオベル」「モオパスサン」「ポオ」「森鷗外」「或資本家の論理」の全十一章で初出する。「武者修業」は「むしやしゆげふ(むしゃしゅぎょう)」でよい。筑摩全集類聚版は本文内ともに「武者修行」(「修行」なら「しゆぎやう(しゅぎょう)」)に書き換えられてある。頗る不審である(意味上では「修業」は広義に「技術の習得のための努力」で、「修行」は仏道に専心して務めたり、学問・武芸などを磨いて努力して学び修めるの謂いであるから、意味としての限定度からは「修行」はよりよい語ではあるものの、「修業」は誤りではない。筑摩全集類聚版は脚注が豊富であるが、本文校訂に甚だ問題が多いこともまた、事実である。
さても何故、ここで宮本武蔵(天正一二(一五八四)年?~正保二(一六四五)年 言わずもがな、二刀流の二天一流兵法の開祖で優れた美術工芸品をも残した剣實は己ほど強いものの餘り天下にゐないことを發見豪)なのかは、一読、お分かりであろう。芥川龍之介は自らを宮本武蔵に擬えているのである。この号の配列を見るがよい。、宮本武蔵を語っておいて突如、この後から「ユウゴオ」「ドストエフスキイ」「フロオベル」「モオパスサン」「ポオ」と西洋の文豪を短評した後、やおら御大「森鷗外」先生を挙げるのである。この時、文壇の寵児となって(「鼻」発表は大正五(一九一六)年二月で未だ東京帝国大学生で満二十四歳)から僅か八年目、未だ満三十二である。こんな感懐(しかしそこには、対等に斬り結ぶことの出来る鋭い刃先を持った作家に出逢えぬという強い孤独感もある)を漏らす若い者が、三年後に自死してしまうというのも、私は何か妙に納得してしまうのである、幽かな哀感を覚えながら。
・「四方」「しはう(しほう)」でよかろう。諸地方・諸国・天下。
・「劍客」「けんかく」「けんきやく(けんきゃく)」孰れにも読めるが、ここは音の響きからは「けんかく」で読みたくなる(筑摩全集類聚版も「けんかく」とルビする)。
・「己」「おのれ」。
・「宮本武藏傳」二刀流二天一流兵法の開祖で、優れた美術工芸品をも残した剣豪宮本武蔵(天正一二(一五八四)年?~正保二(一六四五)年)関連の芥川旧蔵書には、岩波新全集の山田俊治氏の注によれば、「宮本武蔵」(明治四一(一九〇八)年序。山田氏はこれ以外の書誌を記しておられない)が『残されているが、この伝記は未詳』とされる。]
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