芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) モオパスサン
モオパスサン
モオパスサンは氷に似てゐる。尤も時には氷砂糖にも似てゐる。
[やぶちゃん注:大正一三(一九二四)年十一月号『文藝春秋』巻頭に、前の「政治家」(二章)「事實」「武者修業」「ユウゴオ」「ドストエフスキイ」「フロオベル」と、後の「ポオ」「森鷗外」「或資本家の論理」の全十一章で初出する。アンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン(Henri René Albert Guy de
Maupassant 一八五〇年~一八九三年)についてはさんざんっぱら、先行する「戀は死よりも強し」で注した。されば、そちらを参照されたいが、これはそこでも引用したように、若き日に強烈に感心し、惹かれた彼に対して、文壇の寵児となった龍之介の認識が見た目、真逆に変容したことを、彼はここでかく直喩したかのように読める。「あの頃の自分の事」の初出(大正八(一九一九)年一月『中央公論』)の第二章で、龍之介は感服した作家としては、「何よりも先ストリントベルグだつた」とし、彼には「近代精神のプリズムを見るやうない心もちがした。彼の作品には人間のあらゆる心理が、あらゆる微妙な色調の變化を含んだ七色に分解されてゐた」とまで持ち上げた上で、「ぢや嫌ひな方は誰かと云ふと、モオパスサンが大嫌ひだつた。自分は佛蘭西語でも稽古する目的の外は、彼を讀んでよかつたと思つた事は一度もない。彼は実に惡魔の如く巧妙な贋金使だつた。だから用心しながらも、何度となく贋金をつかまさせられた。さうしてその贋金には、どれを見ても同じやうな Nihil と云ふ字が押してあつた。強いて褒めればその巧妙さを褒めるのだが、遺憾ながら自分はまだ、掏摸に懷のものをひきぬかれて、あの手際は大したものだと敬服する程寛大にはなり切る事が出來ない。」とまで言い切っている。また、大正一〇(一九二一)年二月『中央文學』発表の「佛蘭西文學と僕」の中でも龍之介は、「ド・モオパスサンは、敬服(けいふく)しても嫌ひだつた(今でも二三の作品は、やはり讀むと不快な氣がする。)」と述べている。
――モーパッサンの作品は若き日に私が強く惹かれて感心し、恰も「一片の氷心 玉壺に在」るかの如く見えることもある(あった)けれど、時によると、それは壺に手を入れて触って見なくても、ただの氷砂糖の塊りでしかないようにも見えるのであった(見えたことがあった)のである。――]
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