芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 處女崇拜
處女崇拜
我我は處女を妻とする爲にどの位妻の選擇に滑稽なる失敗を重ねて來たか、もうそろそろ處女崇拜には背中を向けても好い時分である。
又
處女崇拜は處女たる事實を知つた後に始まるものである。即ち卒直なる感情よりも零細なる知識を重んずるものである。この故に處女崇拜者は戀愛上の衒學者と云はなければならぬ。あらゆる處女崇拜者の何か嚴然と構へてゐるのも或は偶然ではないかも知れない。
又
勿論處女らしさ崇拜は處女崇拜以外のものである。この二つを同義語とするものは恐らく女人の俳優的才能を餘りに輕々に見てゐるものであらう。
[やぶちゃん注:大正一三(一九二四)年八月号『文藝春秋』巻頭に前の「民衆」(三章)「チエホフの言葉」「服裝」と、後の「禮法」とともに全九章で初出する。三章目に至って初めて、龍之介の龍之介「侏儒の言葉」らしさが出る。因みに現在は、正規の美容整形外科術に処女膜再生手術がある。施術は二十分程度とある。
・「衒學者」「げんがくしや(げんがくしゃ)」とは学識があることを誇り(或いは、あるかのように振る舞い)、殊更にそれをひけらかす者。ペダントリー(pedantry)な輩。
・「輕々に」「けいけいに」。副詞。言動が慎重でなく、軽々しいさま。]
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