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2016/05/14

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第四章 人爲淘汰(3) 四 選擇のこと

     四 選擇のこと

 

 凡そ物を選擇するといふ以上は、多數の相異なつたものの中から或るものを選擇するに定まつて居る。なぜといふに、全く同じものばかりならば數は幾ら多くあつても彼と此との間に少しも相違がないから、孰れを選むといふことも出來ず、また數が少くて五個あるものの中から四個を選み出し、十個の中から九個を選むといふやうでは、勢ひ不合格のものまで採用せざるを得ぬから、十分の選擇は出來ないのである。

 我々の飼養する動植物に就いて考へて見るに、一對の動物が一生涯に僅に二疋だけより子を生まぬものも決してなく、一本の植物で一生涯にたゞ一個より種子を生ぜぬものも決してない。皆必ず親の後を繼ぐに足るだけの數よりは數倍・數十倍或は數百倍・數千倍も多くの子を生ずる。例へば一粒蒔いた麥の種子から數百粒の種子が出來、一對の蠶の蛾から數百粒の卵が生れる。牛馬の如き大きな獸類は繁殖の最も遲いものであるが之でも一對の牝牡からは一生涯の間には十疋以上の子が生れる。而して斯く多數に生れる子が變異性によつて皆多少相異なつて居るから、飼養者はこの中より自分の理想に最も近い性質を帶びたものを十分に選み出すことが出來るのである。

 兎の例は前に擧げたが、斯くの如く或る一定の標準に從つて一代每に最も優れたものを丁寧に選擇し、他のものは總べて繁殖せしめず、ただ當選したものだけに子を生ませて、益々或る一定の性質の發達を計ることは、素より兎に限ることでなく、今日農業の開けた國ではどこでも盛に行つて居ることで、この法を嚴重に行ふ處ほど比較的短い時期の聞に立派な變種が出來る。馬・牛・羊などは何處でも特に選擇を嚴重にするものであるが、各々その目的に隨ひ標準を立て、競馬用の馬ならば、足の最も速なものを選み、荷馬ならば最も力の強いものを選み、肉用の牛ならば最も肉の多くて生長の速なものを選み、また乳牛ならば最も多量に乳の出る牝牛、或はその牝牛を生んだ親の牡牛、或はその牝牛から生れた子の牡牛を選んで、繁殖の用に供する。羊にも毛を取るためのもの、肉を食うためのもの、兩用のものなどあるが、毛を取るための羊では選擇が極めて嚴重で、先づ多くある羊の中から最も毛の良かりさうなものを澤山に選み出し、その中から二疋だけを引き出して、選擇用として特別に設けた臺の上に竝び立たせ、丁寧に毛を比較し調べて見て、毛の優れる方を臺の上に殘し、毛の劣れる方を臺より下して、その代りに次の一疋を載せて再び調べ、優れる方を殘し劣れる方を退けて、順々にありだけの羊を皆比較し、總べての中で眞に第一等の毛を有するものを選み出して、之に子を生ませる。羊の毛の最も上等なものを二つ竝べてその間の微な優劣を識り別けるのは、なかなかの熟練の入ることで普通の人には到底出來ぬが、そのため牧羊の盛な土地には羊毛の鑑定を職業とし、種羊選擇の際に相當な報酬を取つて方々へ傭はれて行く人々がある。今日世界に有名なメリノ羊などは全く斯かる嚴重な淘汰を長い間勵行した結果出來たである。
 
[やぶちゃん注:「速な」「すみやかな」。]


 

Merino

[メリノ羊]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。

「メリノ羊」毛質が繊細で最も優れており、体質も強健で群居性に富むことから放牧にも適した羊毛用改良品種の一種であるメリノ種(Merino)のこと。ウィキの「ヒツジ」によれば、『野生タイプのヒツジの上毛(ケンプ)は黒色、赤褐色や褐色であったが、改良によってヘアーやウールタイプのヒツジからは淡色や白色の毛が得られ、染料技術と共にメソポタミアからエジプトに伝播し、彩色された絨毯は重要な交易品となった。紀元前』一五〇〇年頃から、『地中海に現れたフェニキア人によって白いウールタイプのヒツジがコーカサス地方やイベリア半島に持ち込まれた。コーカサス地方のヒツジは、のちにギリシア人によって再発見され、黄金羊伝説となった。このヒツジはローマ時代には柔らかく細く長く白いウールを生むタランティーネ種へ改良された。ローマ人が着用した衣服はウールの織物である。一方、イベリア半島では、すでに土着していたウールタイプのヒツジとタランティーネ種の交配による改良によって、更なる改良が続けられ』、紀元後一三〇〇年頃の『カスティーリャで現在のメリノ種』『が登場した』(但し、諸辞書の記載では起源は明らかでないとするものも多い)。『理想的なウールだけを産するメリノ種は毛織物産業を通じてスペインの黄金時代を支えた。メリノ種はスペイン王家が国費を投じて飼育し、数頭が海外の王家へ外交の手段として贈呈される以外は門外不出とされた。これを犯した者は死罪だった』。十八世紀になると『スペインの戦乱にヨーロッパの列国が介入し、メリノ種が戦利品として持ち去られて流出、羊毛生産におけるスペインの優位性が喪失された。イギリスでは羊毛の織物と蒸気機関を組み合わせた新産業が興った』。一七九六年、『南アフリカ経由で』十三頭の『メリノ種がオーストラリアに輸入された』この中の三頭が『現在のオーストラリアのメリノ種の始祖になったと伝えられている。この羊を買い取ったニュー・サウス・ウェールズ州のジョン・マッカーサーはヒツジの改良に努め、オーストラリアの羊毛産業の基礎を築いた』とある。]

 

 我々は前にも述べた如く、遺傳の理由・法則は一向詳しく知らぬが、親の性質が餘程まで子に傳はることは每日實際に見る所で、少しも疑ふべからざる事實である。また我々は變異の理由・法則は一向詳しく知らぬが、同一の親より生まれた子が皆多少互に相異なることは每日實際に見る所で、之また少しも疑ふことの出來ぬ事實である。この二通りの事實があつて、その上、子の生れる數は親の數に比して頗る多いことも事實であるから、たゞ一代每に之を淘汰する人さへあれば、その結果として必ず動植物ともに漸々形狀・性質が變化し、且種々の變種が生ずべき筈である。單に理論から言つても、斯くの通りであるが、現に今日西洋諸國で見る如き飼養動植物の著しい變種は、實際皆この方法によつて出來たものである。

 人爲淘汰の働き方を尚一層明瞭に理會するためには、前に掲げた矢で的を射る譬に比べて考へて見るが宜しい。的を狙つて矢を放つことは、生物の方でいへば、恰も遺傳性の働に比すべきもので、その放つた矢が殆ど悉く的の中心よりは何方かへ外づれることは、恰も變異性の働に匹敵する。また一囘に放つ矢の數は一對の親から生れる子の數と見て宜しかろう。そこで、先づ或る處に的を懸け、之を狙つて二十本なり三十本なり矢を放ち、次に矢の當つた孔の中で最も右へ寄つたものの處に的を懸け直し、更に之を狙つて二十本なり三十本なりの矢を放ち、またその矢の當つた孔の中で最も右へ寄つたものの處に的を移し、數囘或は數十囘も同樣なことを繰り返すと假定したらば、その結果は如何、的は必ず每囘多少右の方へ移り、終には最初在つた處とは餘程右の方へ遠ざかつた處に來るに違ひない。人爲淘汰によつて動植物の變化する有樣は簡單に言へば略々斯くの如き具合である。

 併し、一代每に動植物を規則正しく淘汰して最も優等なものだけを繁殖用とすることは、飼養者の貧富等の事情によつて出來る場合もあり、また出來ぬ場合もある。英國の如く大地主が數百乃至數千の家畜を養つて居る處では、代々十分の淘汰も出來て、比較的短い時の間に隨分立派な種類も生ずるが、貧乏人が一軒每に一二疋づゝを飼つて居る處では、到底そのやうな眞似は出來ず、隨つて何年過ぎても餘り進步する見込はない。現に驢馬の如きは西洋諸國で昔から人の飼つて居る獸であるが、多くは貧乏な百姓などの飼ふもの故、今日と雖もまだ一向に立派な變種も出來ない。また馬でも牛でも立派な變種のあるのは皆政府或は個人で廣い場所に多數を飼養し、學理に隨つて常に丁寧に淘汰を行ふ國だけである。我が國などに昔から馬も牛も大も鳩も皆たゞ一種類だけよりなかつたのは、今まで餘り人爲淘汰の行はれなかつた結果であらう。我が國では今日と雖も總べての家畜類に甚だしい變種がないから、人爲淘汰のこともたゞ話に聞くだけで餘り深くは感じないが、西洋では何の類にも著しい變種が多いから、人爲淘汰の效力を特に深く感ずる。而してこの點で最も進步した國は英國であることを考へると、英國人なるダーウィンが人爲淘汰のことから野生動植物のことに考へ及ぼし、自然淘汰の理に考へ當つたのは、決して偶然とはいはれぬ。

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