芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 親子(四章)
親子
親は子供を養育するのに適してゐるかどうかは疑問である。成程牛馬は親の爲に養育されるのに違ひない。しかし自然の名のもとにこの舊習の辯護するのは確かに親の我儘である。若し自然の名のもとに如何なる舊習も辨護出來るならば、まづ我我は未開人種の掠奪結婚を辨護しなければならぬ。
又
子供に對する母親の愛は最も利己心のない愛である。が、利己心のない愛は必ずしも子供の養育に最も適したものではない。この愛の子供に與へる影響は――少くとも影響の大半は暴君にするか、弱者にするかである。
又
人生の悲劇の第一幕は親子となつたことにはじまつてゐる。
又
古來如何に大勢の親はかう言ふ言葉を繰り返したであらう。――「わたしは畢竟失敗者だつた。しかしこの子だけは成功させなければならぬ。」
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年一月号『文藝春秋』巻頭に、この全四章と、後の「可能」「ムアアの言葉」「大作」「わたしの愛する作品」の全八章で初出する。芥川龍之介にとって痛切であり、しかも双方向性を持ち、而して読者の胸をも同期的に突くのは第三の「人生の悲劇の第一幕は親子となつたことにはじまつてゐる。」のアフォリズムである。
龍之介の実母(新原(にいはら:旧姓芥川)フク(万延元(一八六〇)年~明治三五(一九〇二)年:享年四十二歳/龍之介満十歳)と実父新原敏三(嘉永三(一八五〇)年~大正八(一九一九)年:享年六十八歳/龍之介満二十七歳)についての彼の〈子としての感懐〉は後の「點鬼簿」(大正一五(一九二六)年十月『改造』)を読むに若くはない(実母については「一」、実父については「三」)。
また、龍之介は遺稿「或阿呆の一生」の中で〈子としての感懐〉(「こいつも」の累加の係助詞「も」に着目)と同時に〈父としての感懐〉をこう述懐している(リンク先は孰れも私の電子テクスト)。
*
二十四 出産
彼は襖側(ふすまぎは)に佇んだまま、白い手術着を着た産婆が一人、赤兒(あかご)を洗ふのを見下してゐた。赤兒は石鹼の目にしみる度(たび)にいぢらしい顰(しか)め顏を繰り返した。のみならず高い聲に啼きつづけた。彼は何か鼠の仔に近い赤兒の匂を感じながら、しみじみかう思はずにはゐられなかつた。――
「何の爲にこいつも生まれて來たのだらう? この娑婆苦(しやばく)の充ち滿ちた世界へ。――何の爲に又こいつも己(おのれ)のやうなものを父にする運命を荷つたのだらう?」
しかもそれは彼の妻が最初に出産した男の子だつた。
*
そうして――そうして最後に、龍之介の遺書の、私の二〇〇九年に作成した「芥川龍之介遺書全六通 他 関連資料一通 ≪2008年に新たに見出されたる 遺書原本 やぶちゃん翻刻版 附やぶちゃん注≫」の『□4 「わが子等に」遺書』と私の注を読まれたい。私は、そこで私が遺書から解析した龍之介の〈父としての感懐〉――それは自裁の主理由でもあると私は信じて疑わぬ――を以って、ここの注に充分に代え得ると感じている。]
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