芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 奴隷(二章)
奴隷
奴隷廢止と云ふことは唯奴隷たる自意識を廢止すると云ふことである。我我の社會は奴隷なしには一日も安全を保し難いらしい。現にあのプラトオンの共和國さへ、奴隷の存在を豫想してゐるのは必ずしも偶然ではないのである。
又
暴君を暴君と呼ぶことは危險だつたのに違ひない。が、今日は暴君以外に奴隷を奴隷と呼ぶこともやはり甚だ危險である。
[やぶちゃん注:大正一三(一九二四)年六月号『文藝春秋』(前号五月号は休刊)巻頭に前の「二宮尊德」及び後の「悲劇」「強弱」「S・Mの智慧」の全六章で初出する。
・「プラトオンの共和國」古代ギリシアの哲学者でソクラテスの弟子にしてアリストテレスの師たるプラトン(プラトーン ラテン語:Plato 紀元前四二七年~紀元前三四七年)の主著の一つである、「ポリテイア」(英語: The Republic:副題は「正義について」で、書名は「国家篇」と訳される)野中で理想とした国家体系。新潮文庫の神田由美子氏の注では、『この理想国は、支配階級、防衛階級、栄養階級の三階級からなり、その支配と服従において調和のとれた哲人政治をめざし』たものとされた、とある。教材工房製作のサイト「世界史の窓」の「プラトン」には、「国家論」では、『現実のアテネの政治を批判的に論じ、徳のある哲人が国を治め(哲人政治)、軍人が防衛し、市民が文化を担うという分業国家を理想とした。その国家論では、奴隷は労働をになう分業社会の一員として肯定されている』と明記されてある。因みに、ウィキの「プラトン」によれば、彼は紀元前三八七年の四十歳の頃に『アテナイ郊外の北西、アカデメイアの地の近傍に学園を設立した。そこはアテナイ城外の森の中、公共の体育場が設けられた英雄アカデモス』『の神域であり、プラトンはこの土地に小園をもっていた』という記載に注して、ドイツの哲学者フリードリヒ・カール・アルベルト・シュヴェーグラー(Friedrich Karl Albert Schwegler 一八一九年~一八五七年)の「西洋哲学史」(Geschichte
der Philosophie im Umriß 一八四六年~一八四七年)によれば、『この地所はプラトンの父の遺産という。また、ディオゲネス・ラエルティオスによれば、プラトンが奴隷として売られた時にその身柄を買い戻したキュレネ人アンニケリスが、プラトンのためにアカデメイアの小園を買ったという』とあり、何と、プラトン自身が奴隷であった経験があることを記している。山田哲也氏のサイト「Webで読む西洋哲学史」のプラトンの記載にその経緯が語られてあり、それによれば、現在のイタリア南部シチリア島にあった都市シュラクサイ(現在のシラクサ)を支配した、残虐で猜疑心が強く、執念深い最悪の暴君であったとされる、ギリシア人僭主ディオニュシオス一世(Dionysius I 紀元前四三二年頃~紀元前三六七年:二世と区別して「大ディオニュシオス」とも呼ぶ)の怒りを買ったためとある。
・「暴君を暴君と呼ぶことは危險だつたのに違ひない。が、今日は暴君以外に奴隷を奴隷と呼ぶこともやはり甚だ危險である。」この一章について、現在的世界状況に基づいて考察した「韓国ハンギョレ新聞社」公式サイト内の、ペンネーム「朴露子(バク・ノジャ)」氏(本名Vladimir Tikhotov:ノルウェーのオスロ国立大教授で韓国学専門)による『「善良な私たち」に対する幻想を破壊せよ/朴露子コラム』の「解」が非常に素晴しい! 是非、お読みあれかし!]
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