芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 政治家(二章)
政治家
政治家の我我素人よりも政治上の知識を誇り得るのは紛紛たる事實の知識だけである。畢竟某黨の某首領はどう言ふ帽子をかぶつてゐるかと言ふのと大差のない知識ばかりである。
又
所謂「床屋政治家」とはかう言ふ知識のない政治家である。若し夫れ識見を論ずれば必ずしも政治家に劣るものではない。且又利害を超越した情熱に富んでゐることは常に政治家よりも高尚である。
[やぶちゃん注:大正一三(一九二四)年十一月号『文藝春秋』巻頭に、後の「事實」「武者修業」「ユウゴオ」「ドストエフスキイ」「フロオベル」「モオパスサン」「ポオ」「森鷗外」「或資本家の論理」の全十一章で初出する。どこかの国も、いまどき、こんな政治家と国民ばっかりだぁな。かく言う私も「床屋政治家」に他ならない。トホホ。
・「紛紛たる」「ふんぷん」入り混じって乱れ、纏まりのないさま。ここでは原義には含まれない、「多分に些末な下らない」のニュアンスを含ませてある。
・「床屋政治家」床屋政談をする国民。髪結い床に来た客が髪を当たって貰いながら、店主と噂話でもするかの如く政談を展開することから、ろくな根拠もなしに、感情的で無責任な政治談議をすることを本来は指す。しかし、この語は直ちに、「髪結いの亭主」という言葉をも、読者に想起させる。稼ぎの良い髪結いを女房に持って遊んで暮らす馬鹿男で、女房の働きで養われている「ヒモ」である。当時の政治談議好きの男性読者(さぞかし、大正のこの頃は、右も左もいっぱしに政治思想を語り、ぶいぶい言わせる男性は頗る多かったことであろう。――いまどきのノン・ポリ男ばかりで、却って女性の方が鋭くディグして指弾する時代――とは異なって、である)は、二章目を読んで、苦虫を潰したに違いあるまい。]
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