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2016/05/19

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 好惡

       好惡

 

 わたしは古い酒を愛するやうに、古い快樂説を愛するものである。我我の行爲を決するものは善でもなければ惡でもない。唯我我の好惡である。或は我我の快不快である。さうとしかわたしには考へられない。

 ではなぜ我我は極寒の天にも、將に溺れんとする幼兒を見る時、進んで水に入るのであるか? 救ふことを快とするからである。では水に入る不快を避け、幼兒を救ふ快を取るのは何の尺度に依つたのであらう? より大きい快を選んだのである。しかし肉體的快不快と精神的快不快とは同一の尺度に依らぬ筈である。いや、この二つの快不快は全然相容れぬものではない。寧ろ鹹水と淡水とのやうに、一つに融け合つてゐるものである。現に精神的教養を受けない京阪邊の紳士諸君はすつぽんの汁を啜つた後、鰻を菜に飯を食ふさへ、無上の快に數へてゐるではないか? 且又水や寒氣などにも肉體的享樂の存することは寒中水泳の示すところである。なほこの間の消息を疑ふものはマソヒズムの場合を考へるが好い。あの呪ふべきマソヒズムはかう云ふ肉體的快不快の外見上の倒錯に常習的傾向の加はつたものである。わたしの信ずるところによれば、或は柱頭の苦行を喜び、或は火裏の殉教を愛した基督教の聖人たちは大抵マソヒズムに罹つてゐたらしい。

 我我の行爲を決するものは昔の希臘人の云つた通り、好惡の外にないのである。我我は人生の泉から、最大の味を汲み取らねばならぬ。『パリサイの徒の如く、悲しき面もちをなすこと勿れ。』耶蘇さへ既にさう云つたではないか。賢人とは畢竟荊蕀の路にも、薔薇の花を咲かせるもののことである。

 

[やぶちゃん注:初出は大正一二(一九二三)年四月号『文藝春秋』巻頭であるが、次の「侏儒の祈り」が一緒に掲載されている。「マソヒズム」はママ。

 

・「古い快樂説」岩波新全集の注で山田俊治氏は、『古代ギリシアの、快楽を道徳より真理とする哲学倫理学上の学説。アリスティッポス』(英語:Aristippus 紀元前四三五年頃~紀元前三五五年頃:ソクラテスの弟子で快楽主義を主張する極端な肉体的快楽主義を標榜したキュレネ派の祖とされる)『は人生の目的を精神的な快楽の追求にあるとし、エピクロス』(英語:Epikouros 紀元前三四一年~紀元前二七〇年:快楽主義などで知られる古代ギリシアのヘレニズム期の哲学者。 エピクロス派の始祖)『はさらに精神性を加えて魂の平静を重んじた』と記される。龍之介が念頭においているのは後者と考えてよいと私は思うが(新潮文庫の神田由美子氏は前者のみを注する)、ウィキの「エピクロス」によれば、彼は、『現実の煩わしさから解放された状態を「快」として、人生をその追求のみに費やすことを主張した。後世、エピキュリアン=快楽主義者という意味に転化してしまうが、エピクロス自身は肉体的な快楽とは異なる精神的快楽を重視しており、肉体的快楽をむしろ「苦」と考え』、『幸福を人生の目的とした。これは人生の目的を徳として、幸福はその結果に過ぎないとしたストア派の反対である』。『倫理に関してエピクロスは「快楽こそが善であり人生の目的だ」という考えを中心に置いた主張を行っており、彼の立場は一般的に快楽主義という名前で呼ばれている。ここで注意すべきは、彼の快楽主義は帰結主義的なそれであって、快楽のみを追い求めることが無条件に是とされるものではない点が重要である。すなわち、ある行為によって生じる快楽に比して、その後に生じる不快が大きくなる場合には、その行為は選択すべきでない、と彼は主張したのである』。『より詳しく彼の主張を追うと、彼は欲求を、自然で必要な欲求(たとえば友情、健康、食事、衣服、住居を求める欲求)、自然だが不必要な欲求(たとえば大邸宅、豪華な食事、贅沢な生活)、自然でもなく必要でもない欲求(たとえば名声、権力)、の三つに分類し、このうち自然で必要な欲求だけを追求し、苦痛や恐怖から自由な生活を送ることが良いと主張し、こうして生じる「平静な心(アタラクシア)」を追求することが善だと規定した。こうした理想を実現しようとして開いたのが「庭園」とよばれる共同生活の場を兼ねた学園であったが、そこでの自足的生活は一般社会との関わりを忌避することによって成立していたため、その自己充足的、閉鎖的な特性についてストア派から激しく批判されることになった』。『このようにエピクロスによる快楽主義は、自然で必要な欲望のみが満たされる生活を是とする思想であったが、しばしば欲望充足のみを追求するような放埒な生活を肯定する思想だと誤解されるようになった。しかしこうした生活については、エピクロス自身によって「メノイケウス宛の手紙」の中で、放埒あるいは性的放縦な享楽的生活では快がもたらされないとして否定的な評価が与えられている』とあるのを注視する必要があると私は思う。

・「將に溺れんとする幼兒を見る時、進んで水に入る」これは我々が高校の漢文で習った、かの「孟子」の、性善説を語った「公孫丑(こうそんちゅう)篇上」の知られた譬えに基づく。

原文(読み易くするために段落分けした)

 孟子曰、人皆有不忍人之心。

 先王有不忍人之心、斯有不忍人之政矣。以不忍人之心、行不忍人之政、治天下可運之掌上。

 所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子將入於井、皆有怵惕惻隱之心。非所以内交於孺子之父母也、非所以要譽於黨朋友也、非惡其聲而然也。

 由是觀之、無惻隱之心、非人也、無羞惡之心、非人也、無辭讓之心、非人也、無是非之心、非人也。

 惻隱之心、仁之端也、羞惡之心、義之端也、辭讓之心、禮之端也、是非之心、智之端也。

 人之有是四端也、猶其有四體也。有是四端而自謂不能者、自賊者也、謂其君不能者、賊其君者也。

 凡有四端於我者、知皆擴而充之矣、若火之始然、泉之始達。

 苟能充之、足以保四海、苟不充之、不足以事父母。

やぶちゃんの書き下し文

 孟子曰く、

「人、皆、人に忍びざるの心、有り。

 先王、人に忍びざるの心、有れば、斯(すなは)ち、人に忍びざるの政(まつりごと)、有り。人に忍びざるの心を以つて、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること、之れを掌上に運(めぐ)らすべし。

 人、皆、人に忍びざるの心有りと謂ふ所以(ゆゑん)の者は、今人(こんじん)、乍(たちま)ち孺子(じゆし)の將に井(せい)に入らんとするを見れば、皆、怵惕(じゆつてき)たる惻隱(そくいん)の心、有り。交はりを孺子の父母に内(い)るる所以には非ず、譽(ほま)れを郷黨(きやうたう)・朋友に要 (もと)むる所以にも非ず、其の聲(な)を惡(にく)みて然(し)かするにも非ざるなり。

 是れに由りて之れを觀れば、惻隱の心無きは、人に非ず、羞惡(しふを)の心無きは、人に非ず、辭讓(じじやう)の心無きは、人に非ず、是非の心無きは、人に非ざるなり。

 惻隱の心は、仁の端(たん)なり、羞惡の心は、義の端なり、辭讓の心は、禮の端なり、是非の心は、智の端なり。

 人の、是れ、四端、有るは、猶ほ、其の四體、有るがごときなり。是れ、四端、有りて、自ら能はずと謂ふ者は、自ら賊(そこな)ふ者なり。其の君(くん)、能はずと謂ふ者は、其の君を賊ふ者なり。

 凡そ、我れに四端有る者、皆、擴(ひろ)めて之れを充たすことを知るは、火の始めて然え、泉の始めて達するがごとし。

 苟(いやし)くも、能く之れを充たさば、以つて四海を保(やす)んずるに足れり。苟くも之れを充たさざれば、以つて父母に事(つか)ふるに足らず。」

と。

   *

を念頭に置いている。昔をお思い出しになられれば、意味は概ねお分かり戴けると思うが、教師時代を思い出してやぶちゃん流のやや偏奇なる語釈を施しおくこととする。

「人に忍びざるの心」人の不幸や悲傷を見過ごすことが出来ぬ心。人の苦悩を思いやる心情。

「先王」儒家に於ける伝説の理想的聖王ら。

「之れを掌上に運(めぐ)らすべし」天下を治めること、これ、その天下を自分の掌(てのひら)の上に転がすかの如く容易なこととなる。

「今人(きんじん)」今の世の人間。孟子(紀元前三七二年?~紀元前二八九年)が生きた戦国時代の「現代人」。

「孺子」ここはフィラットな意の、子どもや童子のこと。

「乍(たちま)ち」ふっと。不意に。突如。

「怵惕」恐れ危ぶむこと(「怵」が物怖(お)じする・おじける・臆する、「惕」が慎重で注意深いの意)。ここはその状況に対する危険危急的感懐を指す。

「惻隱の心」他者の不幸・苦悩・苦痛に対するごく共時的感懐。同情と憐憫。

「交はりを孺子の父母に内(むす)ぶ所以には非ず」子を救助する見返りにその父母に取り入って美味い汁を吸おうなどという目的など毛頭ない。

「郷黨」厳密には、張り合うに値する故郷(ここは「その土地」でよかろう)の同年輩の連中であるが、ここは広く「村人」としてよかろう。

「其の聲(な)を惡(にく)みて」救助せずに子が溺死した場合に薄情者・人非人といった非難を浴びて自分の名が傷つくことを嫌って。

「是れに由りて之れを觀れば」以上の個別的事実を敷衍的に考察してその原理を帰納するならば。

「羞惡(しふを)」現代仮名遣は「しゅうお」で、これは己れと他者の不善を見逃すことなく強く恥じ、同時にそれを強く憎む心の意であり、その比率は等価であるから、単に「羞恥」(と訳す訳が多い)では不十分である。

「辭讓」何事も他者を慮って、遜(へりくだ)って自身のことを後にし、人に譲る(人のことを先にする)こと。

「是非の心」やるべきこととやってはならないこと(先の井戸の例の場合は「助けずに行き過ぎる」という行為が不作為犯、やらないことが「非」となる事例である点でこの比喩はやや応用的で、初等教育的には十全な理解をさせるには思いの外、難度が高い寓話ではあると私は思う)を正しく見分ける心。真の善悪の実体を見分ける能力。しかしこれではその善悪の原型が既にしてア・プリオリな絶対的基本原理として突如、普遍前提されてしまうことになり、私は厳密な論議に於いては疑義を感ずる箇所であると言い添えておく。

「仁」己に克(か)つと同時に他者に労わりを遍く及ぼす心の在り方。儒家思想の核心であり、「仁」は「人」であり、「仁」無き存在は「人」ではない。以下によって、孟子は人間の人間たる必要条件として「仁・義・礼・智」の四つを名指していることが判る。即ちこれが、孟子の言うところの「人の人として当然持つべき守るべき徳」、道徳であると規定していることになる。

「端」端緒(たんしょ)。芽生え。人としての在り方の実相に到達するための最初の糸口。

「四體」通常の人体に存在する両手足。現行の差別用語観念からすれば、これは四肢を持ってこそ「人」であるという差別内容を持つ差別表現ということになり、「孟子」も何時か伏字にすべきということになるやも知れぬな。

「四端、有りて、自ら能はずと謂ふ者」その四つの端緒を既に持っているにも拘わらず、自分にはそれを正しく鮮やかに起動させることなどとても出来ない、などとほざく者。

「自ら賊(そこな)ふ」自分で自分を傷つける。

「其の君、能はずと謂ふ者は、其の君を賊ふ者なり」自分の主君が仁義礼智の徳を実行し得ていないという状態にあると主張する者は、逆に主君を損なう者であるの謂で採るが、これは結局、その愚かな君主に対し、敢然と、徳を鮮やかに行われるように諫言せねば「人」たりえない、ということになる。それによって一族郎党、誅されたとしても、である。これはしかし、論理矛盾というものであろう。何の咎もなく処刑されてゆく何千もの親族や郎等に惻隠の情を持たない奴というのは人非人ではないのか? と私は高校時代から感じ続けているのである。そうした疑問を抱えながら、素知らぬふりで平然と漢文で「孟子」のここを教授していた私もまた、たいした人非人である。

「擴(ひろ)めて之れを充たすことを知る」その四種の德を我身の充実させるに留まらず、それを世界に拡充して、さらに宇宙そのものを鞏固にして不易なる「徳」で満たすることこそが、人の人としてなすべき唯一の行いであることを知る。

「火の始めて然え、泉の始めて達するがごとし」しかし乍ら、その端緒は、燎原の火の最初の火がしょぼしょぼとしたものであり、大河の濫觴の泉水がわずかにちょろちょろとしか滴らぬのと同様である。即ち、それを正しく拡充しない(具体には学問修養を指すのであろうが、私は徳義とはそうした教育によって正常に成長するとは実はさらさら思ってはいないことを言い添えておく)ならば、とろ火は一瞬にして消え、源泉の水は瞬く間に涸れてしまう、という字背に言うのである。この辺りの危険性を暗に語っている(と私は思う)直喩部分はなかなかよいと思う。

「四海」全世界。宇宙。

「保(やす)んずるに足れり」十全に絶対幸福なる定常世界にすることさえ容易である。

「以つて父母に事(つか)ふるに足らず」一人の子としてその父母にさえ、孝たることすらも出来ぬ。

   *

 最後に述べておくと、私は中国伝統の比喩、特に儒家の寓言のそれは概してつまらぬと思う。それは儒家の現実に対する理論主張の核心で、突然、提出し、この孟子の井戸に落ちた子のような如何にもな偏った条件設定や、またそれへの対応の選択肢が一つしかないような錯覚を起こさせることで、論理的帰結をすこぶる強引に都合のいい自己解釈に誘引する手法がおぞましいからである。これは道家のそれが、比喩という形式をかりながら、それが別な対象に少しも変換されないか、或いは変化された対象が現実を全的に無化させる方向へ働くのとは全く対照的である。

   *

・「鹹水」「かんすい」。海水。後に「淡水」と対句するから、これを「しほみづ(しおみず)」とは訓じ得ない。

・「現に精神的教養を受けない京阪邊の紳士諸君はすつぽんの汁を啜つた後、鰻を菜に飯を食ふさへ、無上の快に數へてゐるではないか?」誰もここに注を附さないが、みんな分かって怒りもなく呑み込んでるということなんだろうか? まず、これは芥川龍之介の食に対する強烈な不快表明であり、それに基づく関西の食文化への蔑視でもある。その地では、かの奇体な精力剤たるスッポン汁をうまうまと吸った直後、さらに脂ぎった夜のための媚薬たるウナギを肴に飯を喰らうことを至上の快楽におぞましくも数え挙げているではないか、というのである。芥川龍之介のこの一文を批判しないと、関西人は何時まで経っても龍之介に「精神的教養を受けない」人種とされ続ける訳だが、それで、ええんかいな? と私はツッコミたくなるやが? 如何?

・「柱頭の苦行を喜び」新潮文庫の神田氏の注には、『柱の上の台に造られた小さな小屋で生活する修行。世間の人々の極端な肉欲に対する償いの意味』合いを持ったもので、『創始者はキリキア人』(Cilicia:トルコ南部の地中海に面した地域名。地中海を隔ててキプロスと向き合い、南東部にはシリアが位置する。北はかのカッパドキアと接する)『シメオン』(正教会やカトリック教会などで聖人とされる登塔者(とうとうしゃ)聖シメオン(英語:Simeon Stylites) 三九〇年頃~四五九年)『で、東方では十世紀、シリアでは十四世紀まで存在した』とある。なお、「登塔者」(ラテン語:stylita/英語:Stylites)とは『正教会で塔に登る苦行を行う修道士のこと。聖人に付される称号でもある』。『キリスト教における隠遁修道は』四世紀頃から盛んになったが、五世紀に入ると、「塔」とも呼ばわる柱に登って、『その上で生活し苦行を行うという特異な修道の形態が始まった。この苦行の実行者を登塔者と呼ぶ。天の神に近付く事を目指した結果生み出された修道の形態であったが、最初の登塔者と伝えられている登塔者聖シメオンのあと若干の後継者があったものの、時を経てこの修道形態はすたれた』。『高徳の登塔者の下には多くの巡礼者達が集まり、病を癒してもらったり、教えを聞いたりしたと伝えられている』(ここの引用はウィキの「登塔者)。

・「火裏の殉教」「火裏」は「くわり(かり)」で火中のこと。迫害されて磔(はりつけ)にされたキリスト教信者が火炙りの刑に処せられて信仰に殉じたことを指す。

・「希臘人」「ギリシアじん」と読んでおく。

・「パリサイの徒の如く、悲しき面もちをなすこと勿れ。」「新約聖書」の「マタイによる福音書」の第六章第十六節にある章句。明治訳を示す(私が引いた下線が当該箇所。「僞善者」は「パリサイの徒」(後述)を指す)。

   *

なんぢら斷食(だんじき)するとき僞善者の如き憂き容(さま)をする勿れ。彼等は斷食を人に見せん爲に、顏色を損ふ。我まことに爾曹(なんぢら)に告げん、彼等は既に其の報賞(むくひ)を得たり。

   *

「パリサイ」(Pharisaioi)「ファリサイ」とも音写する。紀元前二世紀のマカベア戦争(紀元前一六八年から同一四一年にかけて、セレウコス朝シリア王国の支配下にあったユダヤが政治的・宗教的独立を勝ち得た戦争)直後から紀元一世紀頃にかけて存在したユダヤ教の一派。語義は「分離した者」で、新潮文庫の神田氏の注には、『モーゼの律法を厳格に守る一方、その法を新時代に適応させようとする合理主義』的一派でもあったが、『エルサレム陥落直前には、ブルジョワ階級に占められ、民衆との間に溝(みぞ)があり、イエスは、その偽善ぶりを常に批判した』とある。福音書では終始、イエスの論敵として描かれ、後世、このイエスの「偽善者」という名ざしから、「偽善者」や「形式主義者」の代名詞とされてしまう。

・「荊蕀」音なら「けいきよく(けいきょく)」である。荊(いばら)。私はこれで「うばら」と訓じたくなるものの、寧ろ、後の「薔薇」(ばら)とよく響き合わせるためには音の方が効果的とは思うし、龍之介が敢えてルビを振らないとすれば、「けいきよく」が正しいと信ずる。]

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