芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 社交
社交
あらゆる社交はおのづから虛僞を必要とするものである。もし寸毫の虛僞をも加へず、我我の友人知己に對する我我の本心を吐露するとすれば、古への管鮑の交りと雖も破綻を生ぜずにはゐなかつたであらう。管鮑の交りは少時問はず、我我は皆多少にもせよ、我我の親密なる友人知己を憎惡し或は輕蔑してゐる。が、憎惡も利害の前には鋭鋒を收めるのに相違ない。且又輕蔑は多々益々恬然と虛僞を吐かせるものである。この故に我我の友人知己と最も親密に交る爲めには、互に利害と輕蔑とを最も完全に具へなければならぬ。これは勿論何びとにも甚だ困難なる條件である。さもなければ我我はとうの昔に禮讓に富んだ紳士になり、世界も亦とうの昔に黃金時代の平和を現出したであらう。
[やぶちゃん注:大正一三(一九二四)年七月号『文藝春秋』巻頭に後の「瑣事」「神」(二章)とともに全四章で初出する。前号最後の「S・Mの智慧」は特異点で「これは友人S・Mのわたしに話した言葉」として載せられたものであったが、それに続くこれがかくなる内容を持ち、しかも死後の「侏儒の言葉」では並んでそれらが読まれるのであるが、当の龍之介の数少ないまことの「知己」の一人であった犀星はそれをどう感じたであろう。微苦笑して淋しそうに「芥川らしい」と呟いたかも知れないなどと思う向きもあるかも知れぬが、私は寧ろ、この『文藝春秋』七月号を床に叩きつける犀星、単行本「侏儒の言葉」を叩きつけようと振り上げながら、しかし、とんとんとその表紙を叩いて、またつまびらく犀星を、私は思う。それは萩原朔太郎の「芥川龍之介の死」(初出は雑誌『改造』昭和二(一九二七)年九月号)の第十三章の直情径行の純な人としての犀星を思い出すからである(リンク先は私の古い電子テクスト。ここでの引用では底本が「最後の別れ」に「○」の傍点を附すのを下線に代えてある)。
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13
その夜さらに、室生犀星君と連れだち、三人で田端の料理屋で鰻を食べた。その時芥川君が言つた。
「室生君と僕の關係より、萩原君と僕のとの友誼の方が、遙かにずつと性格的に親しいのだ。」
この芥川君の言は、いくらか犀星の感情を害したらしい。歸途に別れる時、室生は例のずばずばした調子で、私に向かつて次のやうな皮肉を言つた。
「君のやうに、二人の友人に兩天かけて訪問する奴は、僕は大嫌ひぢや。」
その時芥川君の顏には、ある悲しげなものがちらと浮んだ。それでも彼は沈默し、無言の中に傘をさしかけて、夜の雨中を田端の停車場まで送つてくれた。ふり返つて背後をみると、彼は悄然と坂の上に一人で立つてゐる。自分は理由なく寂しくなり、雨の中で手を振つて彼に謝した。――そして實に、これが最後の別れであつたのである。
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因みに私には、この時の田端の坂の上の龍之介の姿を確かに見たことがあるというデジャ・ヴュがあるほどに、この場面は忘れ難く切なく哀しいシークエンスなのである。
・「管鮑の交り」「くわんぱうのまじはり(かんぽうのまじわり)」と読む。極めて親密にして無二の心からの交際、互いを理解し合って利害に左右されることのない厚い友情の謂い。春秋時代の管仲と鮑叔牙(ほうしゅくが)が変わらぬ友情を持ち続けたという「列子」力命篇や「史記」管晏(かんあん)列伝の故事に基づく。「少時」(「しばらく」と訓ずる)問はず」と龍之介も言ってから、敢えて原話を引くのは厭味であろうから控える。因みに、言い添えておくなら、先に掲げた萩原朔太郎の「芥川龍之介の死」の第三章の前半で実に萩原朔太郎は、
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室生犀星君は、最近における故人の最も親しい友であつた。室生君と芥川君の友情は、實に孔子の所謂「君子の交り」に類するもので、互に對手の人格を崇敬し、恭謙と儀禮と、徳の賞讚とを以て結びついてた。けだし室生君の目からみれば、禮節身にそなはり、教養と學識に富む文明紳士の芥川君は、正に人徳の至上觀念を現はす英雄であつたらうし、逆に芥川君から見れば、本性粗野にして禮にならはず、直情直行の自然見たる室生君が、驚嘆すべき英雄として映つたのである。即ちこの二人の友情は、所謂「反性格」によつて結ばれた代表的の例である。
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とさえ述べているのである。朔太郎のこの讃言は恰も、前号末の「S・Mの智慧」とこの「社交」の二章を踏まえて感懐を述べているような錯覚に私は陥る(かも知れぬし、偶然かも知れぬ。ともかくもこの二章を続けて読める単行本「侏儒の言葉」は未だ刊行されていない(同年十二月刊)事実は述べておかねばならぬ)。
・「多々益々」「たた」と「ますます」で切って読むべきところである。
・「恬然」既注であるが、再掲する。「てんぜん」。物事に拘(こだわ)らず平然としているさま。「恬」自体が「気にかけないで平然としているさま」を意味する漢語である。
・「禮讓」「れいじやう(れいじょう)」。相手に対して礼儀礼節を尽くし、謙虚な態度を示すこと。]
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