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2016/05/23

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 地上樂園

 

       地上樂園

 

 地上樂園の光景は屢詩歌にもうたはれてゐる。が、わたしはまだ殘念ながら、さう云ふ詩人の地上樂園に住みたいと思つた覺えはない。基督教徒の地上樂園は畢竟退屈なるパノラマである。黃老の學者の地上樂園もつまりは索漠とした支那料理屋に過ぎない。況んや近代のユウトピアなどは――ウイルヤム・ジエエムスの戰慄したことは何びとの記憶にも殘つてゐるであらう。

 わたしの夢みてゐる地上樂園はさう云ふ天然の温室ではない。同時に又さう云ふ學校を兼ねた食糧や衣服の配給所でもない。唯此處に住んでゐれば、兩親は子供の成人と共に必ず息を引取るのである。それから男女の兄弟はたとひ惡人に生まれるにもしろ、莫迦には決して生まれない結果、少しも迷惑をかけ合はないのである。それから女は妻となるや否や、家畜の魂を宿す爲に從順そのものに變るのである。それから子供は男女を問はず、兩親の意志や感情通りに、一日のうちに何囘でも聾と啞と腰ぬけと盲目とになることが出來るのである。それから甲の友人は乙の友人よりも貧乏にならず、同時に又乙の友人は甲の友人よりも金持ちにならず、互ひに相手を褒め合ふことに無上の滿足を感ずるのである。それから――ざつとかう云ふ處を思へば好い。

 これは何もわたし一人の地上樂園たるばかりではない。同時に又天下に充滿した善男善女の地上樂園である。唯古來の詩人や學者はその金色の瞑想の中にかう云ふ光景を夢みなかつた。夢みなかつたのは別に不思議ではない。かう云ふ光景は夢みるにさへ、餘りに眞實の幸福に溢れすぎてゐるからである。

 附記 わたしの甥はレムブラントの肖像畫を買ふことを夢みてゐる。しかし彼の小遣ひを十圓貰ふことは夢みてゐない。これも十圓の小遣ひは餘りに眞實の幸福に溢れすぎてゐるからである。

 

[やぶちゃん注:大正一三(一九二四)年一月号『文藝春秋』巻頭に次の「暴力」『「人間らしさ」』の三章で初出する。標題の「地上樂園」は通常の一般認識では後に挙げる「基督教徒の地上樂園」、即ち、キリスト教に於いて「旧約聖書」の「創世記」に登場する、東方に存在するとされた、神が存在する地上の楽園「エデンの園」、「パラダイス」(ラテン語:paradisus)を指すが、どうも芥川龍之介がかく言う時に彼の念頭にあったものの大きな一つは、やはり後に「詩歌にもうたはれてゐる」とあるように、彼の卒業論文の対象であったイギリスの詩人でマルクス主義者でもあったウィリアム・モリス(William Morris 一八三四年~一八九六年)の、全三巻四万二千行にも及ぶ長編詩「地上楽園」(The Earthly Paradise (1868-1870))ではなかろうかと私は思う(芥川龍之介の卒論は「ウイリアム・モリス研究」であるが、まさにこの関東大震災で草稿も含めて焼失し、現存せず、それを読むことは出来ない)。平凡社「世界大百科事典」の小池滋氏の同作の解説によれば、美と平和と不死に恵まれた「地上楽園」の存在は中世以来、ヨーロッパで広く信じられており、古文献・地図にも実在するかのように記されてある。モリスの詩は、この伝説に基づいて、スカンジナビアの民が西の海の遠い彼方に、この楽園を求めて放浪の旅を続け、ギリシア古代文明が未だに残る都市を発見するという、中世への憧れとユートピア志向を示す作品である。但し、諸注は全くこれを挙げていない。それは龍之介が初段の最後に「況んや近代のユウトピアなど」と恰も軽蔑の最たるものの如くに掲げているものに含まれるからではあろう。しかし、私はやはり、ここにはモリスのそれを注として示す義務が、芥川龍之介の研究者なら、ある、と考えるものである。

 

・「屢」「しばしば」。

・「パノラマ」(panorama)は、この場合、遠景を曲面に描いて、その前に立体的な模型を配置して実景を見るかのように細工した、戦闘や物語の場面などを再現した見世物の覗き仕掛けの謂いである。

・「黃老の學者の地上樂園」「黃老」は「こうらう(こうろう)」で、中国の神話伝説上五帝の最初とされる理想的神仙皇帝である黄帝と、道家思想の祖とされる老子のことで、ここは「荘子(そうじ)」内篇の「逍遙遊篇」や「応帝王篇」に出る、道家(老荘思想)の「無何有郷」(むかいうきやう(むかうきょう)、無為自然(自然のあるがままの、愚かな人為のない、何ものもなく広々とした永久不変の)理想郷のことを指す。

・「ユウトピア」ユートピア(ラテン語に基づく英語:Utopia)はイギリスの法律家・思想家であったトマス・モア(Thomas More 一四七八年~一五三五年)が一五一六年に刊行した(ラテン語で書かれている)、政治・社会を風刺した書「ユートピア」(正式な書名は Libellus vere aureus, nec minus salutaris quam festivus, de optimo rei publicae statu deque nova insula Utopia で、ウィキの「ユートピア(本)」によればこれを翻訳するなら、「楽しいのと同様に有益な、共和国の最高の州の、そして新しい島ユートピアの、真実の金の小さな本」となるとあり、「ユートピア」(ラテン語: Ūtopiā )の語はギリシア語の「非 ou 」と「場所 topos 」、地名学によく見られる接尾辞「 -iā 」から成り、「 Outopía 」とは「どこでもない場所」(nowhere)という意味であると記す)に登場する架空の国家の名前である。ウィキの「ユートピア」によれば、『現実には決して存在しない理想的な社会として描かれ、その意図は現実の社会と対峙させることによって、現実への批判をおこなうことであ』り、しかもそこに描かれる国は『現代人が素朴に「理想郷」としてイメージするユートピアとは違い』、『非人間的な管理社会の色彩が強く、決して自由主義的・牧歌的な理想郷(アルカディア)ではない』とある。

・「ウイルヤム・ジエエムスの戰慄したこと」ウィリアム・ジェームズ(William James 一八四二年~一九一〇年)はアメリカの哲学者・心理学者でヘーゲルやスペンサーの主知主義・合理主義に反対し、機能心理学を提唱、プラグマティスト(実用主義哲学者)の代表者として知られる。その「意識の流れ」の理論はジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」など、多くの近現代文学に影響を与えた。彼の実弟は私の偏愛する怪奇仕立ての心理小説「ねじの回転」(The Turn of the Screw)を書いた小説家ヘンリー・ジェームズ(Henry James 一八四三年~一九一六年)である。但し、私はこの龍之介の言う彼が「戰慄したこと」、その「戰慄」を、この文章を読む大多数の一般大衆の「何びとの記憶にも殘つてゐる」というのが、これ、何に基づく謂いなのか、不学にして知らない。諸注もその私の疑問を溶かしてはくれぬ。せいぜい新潮文庫の神田由美子氏がその注で、『芥川は「真理の意味」「多元的宇宙」の二著を所蔵していた』とするのがヒントになるか。しかし今からその二篇を読む気力は、正直、ない。さればこそ、識者の御教授を乞うものではある。

・「兩親は子供の成人と共に必ず息を引取る」生物学的な生殖と繁栄の観点、及び、生存個体自体に過剰な負荷がかからぬ意味に於いて、これは正しく理想的であると私は断言出来る。「生物学的」にというだけの話である。

・「男女の兄弟はたとひ惡人に生まれるにもしろ、莫迦には決して生まれない結果、少しも迷惑をかけ合はない」私が馬鹿なのか、ここは意味が十全には私にはとれない。その世界を構成する全個体が知的に愚鈍ではないのはいいとしても、その中の幾たりかが悪人である状況下にあっては、「少しも」兄弟姉妹さらには他者に対して全く「迷惑をかけ合はない」という状態には到底ならない。私の認識に誤りあるとすれば、是非、御指摘頂きたい。

・「女は妻となるや否や、家畜の魂を宿す爲に從順そのものに變」り、同様に「子供は男女を問はず、兩親の意志や感情通りに、一日のうちに何囘でも聾と啞と腰ぬけと盲目とになることが出來る」これは家族に、かのロボトミー手術(前頭葉切裁術)を処理を施すのと同じである。それは科学的に可能である。「可能である」だけである。

・「甲の友人は乙の友人よりも貧乏にならず、同時に又乙の友人は甲の友人よりも金持ちにならず、互ひに相手を褒め合ふことに無上の滿足を感ずる」幻想の社会主義・人民主義・共産主義の妄想的理想としてはよく分かる。「分かる」だけである。

・「わたしの甥」小説家で文芸評論家の葛巻義敏(くずまきよしとし 明治四二(一九〇九)年~昭和六〇(一九八五)年)。彼は龍之介の次姉ヒサと獣医葛巻義定の長男(但し、明治四三(一九一〇)年に両親が離婚したため、東京市芝区銭座町(現在の東京都港区浜松町)の新原家(母の実家)で育てられ、ヒサはその後、弁護士西川豊と再婚するが、彼は偽証教唆で失権、昭和二(一九二七)一月には自宅の火事が彼の保険金目当ての放火と疑われ、その取調中に失踪、千葉で鉄道自殺を遂げた。その後処理のために龍之介は奔走、疲弊した。なお、その後にヒサは葛巻義定から復縁の話が持ち上がって西川との間に出来た子(一男一女)を連れて葛巻家へ戻っている。因みに、この連れ子の娘瑠璃子が後に芥川の長男比呂志の妻となった)。龍之介より十七歳年下であるから、この大正一三(一九二四)年一月当時は未だ満十三歳であった。彼は実はこの前年に東京高等師範学校附属中学校(現在の筑波大学附属中学校・高等学校)に入学したものの、武者小路実篤らの起した「新しき村」への参加を望んで家出をし、叔父である龍之介は武者小路と相談した上、田端の芥川家で龍之介の書生として働くことにして、丁度、この一月頃に義敏を自宅に引きとって養育を始めているのである(同附属中学校はこの年中に中退している)。彼は、龍之介関連資料の研究と称して龍之介の遺品類を独占した形になったため、龍之介が自分の子らに死後は父と思えと言うほどに信頼した盟友の画家小穴隆一から『芥川家に巣食う奇怪な家ダニ』(小穴隆一「二つの絵」昭和三一(一九五六)年中央公論社)などと痛罵されるなど、大方の龍之介研究者らからの評価も非常によろしくないが、龍之介は非常に可愛がった。文学の天才を叔父に持ってしまった凡庸な(失礼!)文学青年の悲哀は何となく分かるような気もしないでもないとは言える。「言える」だけである。

・「十圓」今の金額に換算すると凡そ一万円から五万円相当、中をとって三万円ほどか。]

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