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2016/05/10

ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版)  始動 / 小人國(1)

ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版)

 

[やぶちゃん注:本篇はイングランド系アイルランド人の司祭にして痛烈な諷刺作家であったジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift 一六六七年~一七四五年)の知られたファンタジー「ガリヴァー旅行記」(Gulliver's travels:原書初版は世論の批判をかわすために決定稿を改変して一七二六年に出版、一七三五年には本来の決定稿完全版が出版されている。なお、本作の正式な題名は〝Travels into Several Remote Nations of the World, in Four Parts. By Lemuel Gulliver, First a Surgeon, and then a Captain of several Ships〟(「船医から始まり、後に複数の船の船長となったレミュエル・ガリヴァーに拠る、四篇から成る、世界の僻遠の国々への旅行記」)である)の原民喜による子供向けの抄訳本で、原民喜の自死(昭和二六(一九五一)年三月十三日午後十一時三十一分、吉祥寺西荻窪間にて鉄道自殺)後の昭和二六(一九五一)年六月(一九七八年青土社刊「原民喜全集 Ⅱ」では三月とするが、同全集「Ⅲ」の書誌及び年譜の六月を採用した)主婦の友社より刊行された。則ち、本翻訳は原民喜が自死する直前、覚悟の中で訳したもの、彼の最後の大きな文学的コーダであったと言えるのである。

 底本は広島市立中央図書館の「原民喜の世界」の「画像ギャラリー」の原稿を視認したが、時間を短縮するため、青空文庫のkompass 氏の入力及び浅原庸子氏の校正に成る「ガリバー旅行記 GULLIVER'S TRAVELS ジョナサン・スイフト Jonathan Swiftを加工用データとして使用させて戴いた。ここに厚く御礼申し上げる。但し、それは講談社文芸文庫を底本としたもので、新字新仮名であるから、自ずから相当に異なる印象のものと成ることは申し上げておく(単なる正字・新字以外の字の異同や表現の微妙な違いも実は数多いが、それらはあまりに膨大に及ぶので、原則、五月蠅い注記はしなかった)。

 原民喜訳同底本はほぼ決定稿に準じたもので、多くの細かい校正指示が書き込まれているが、五月蠅いので、本文内容に密接に関わらぬ限り、原則、再現していない。改行指示はそれに従って改行した。漢字は正字か新字(俗字)か迷う場合は正字を採用した。抹消は抹消線で示し、挿入及び書き換え字は〔 〕で示した。例えば、「でしたせうがしたでせう〕、」というのは最初にでした、」と書いたものを抹消し、次に「せうが」と訂し、また「したでせう」と直したことを示す。判読不能字は「■」で示した。抹消線には抹消し損なった残部が散見されるが、そこはなるべく民喜に好意的に伸ばして補ってある(それを注することに意味をあまり感じないからでもある)。各章題の前後は一行空けとした(原稿は詰めてあったり、挿入になったりしている)。

 因みに、私の再現で民喜が非常に多くの漢字のひらがな化や読点を追加しているのが分かる。子どもが読み易いようにと考えた彼の優しさが伝わってくるではないか。但し、それらは必ずしも現行のそれに反映されているわけではない。

 一部の疑義のある箇所は、一九七八年青土社刊「原民喜全集 」と校合し、必要と認めた場合は、当該段落の後に注を附した。但し、「原民喜全集 」の「ガリバー旅行記」は主婦の友社版に依拠しており、新字新仮名である。さればこそ、ここでの私の電子化は、最も本来の民喜の書いたそれに近いものであると自負するものではある。

 なお、現在、本作は「ガリバー旅行記」の表記で通行しているのであるが(自筆原稿には総標題はない)、自筆原稿一枚目の冒頭の第二文の本文で最初に主人公が自分の名を語る部分で「レミュエル・ガリバー」と書いた後、「バ」を徹底的にぐるぐると抹消した上、脇に「ヴァ」と訂していることから、実は原民喜は「ガリバー旅行記」ではなく、「ガリヴァー旅行記」としたかったのであることが判明したので、私の総評題も敢えてそれを踏襲することとした。

 冒頭から読みにくく注するのは厭なので、ここで言っておくと、最初の「小人國」「大騷動」及び抹消された「びつくり仰天」と「目がさめてみると、」(これは続けて書いたものと思われる)及び「目がさめてみると」は総て原稿用紙の右罫外にある。「小人國」は有意に大きく、標題と分かる(現行では『第一、小人国(リリパット)』となっている)。「大騷動」はその左下に書かれてあるから、これが当初の「小人国」の副題であったものかと思われる。なお、その右手には校正メモとして「八十五枚」という本パートの総原稿枚数が記されてある。また総標題「小人國」の「國」の字は自筆原稿では、ただの「囗」であるが、本文の「國」に合わせて書き換えた。【始動 2016年5月10日 藪野直史】]

 

 

 小人國

    大騷動

 

   びつくり仰天

     目がさめてみると、

           目がさめてみると

 私はいろいろ不思議な國を旅行して、さまざまの珍しいことを見て來た者です。名前はレミュエル・ガリ〔ヴァ〕ーと申します。

 子供のときから、船に乘って外國へ行つてみたいと思つてゐたので、航海術や〔、〕數學や〔、〕醫學などを勉強しました。外國語の勉強も〔、〕私は大へん得意でした。

 一六九九年の五月、私は「かもしか号」に乘つて、イギリスの港から出帆しました。船が東インドに向ふ頃から〔、〕海が荒れだし、船員たちは大そう弱つてゐました。

 十一月五日のことです。ひどい霧の中を〔、〕船は進んでゐました。その霧のために〔、〕大きな岩が〔、〕すぐ目の前に現れてくるまで氣がつかなかつたのです。

 あつといふ間に、岩に衝突、船は眞二つになりました。それでも〔、〕六人だけはボートに乘り移ることができました。私たちは〔、〕くたくたに疲れてゐたので、ボートを漕ぐ力もなくなり、ただ海の上をただよつてゐました。と急に吹いて來た北風が、いきなり〔、〕ボートをひつくりかへしてしまひました。で、それきり、仲間の運命はどうなつたのか、わかりませんでした。

 たゞ〔、〕私はひとり夢中で、泳ぎつづけました。何度も何度も〔、〕試しためしに足を下げてみましたが、とても海底にはとどきません。嵐は漸(ようや)く 靜まつてきましたが、私はもう泳げるぐ力もなくなつてゐました。そして私の足は〔、〕今ひとりでに海底にとどきました。

[やぶちゃん注:「漸く」の後の一字空白はママ。]

 〔ふと〕氣がつくと〔、〕背が立つのです。このときほど〔、〕うれしかつたことはありません。そこから一哩ばかり步いて〔、〕私は岸にたどりつくことができました。

[やぶちゃん注:「一哩」現行は「一マイル」。一マイルは現行ならば約一・六キロメートルである。]

 〔私が〕陸に上つたのは、かれこれ夜の八時頃でしたせうがしたでせう〕、あたりには〔、〕家も人も見あたりません。いや、とにかく、ひどく疲れてゐたので〔、〕私は睡いばつかしでした。草の上に追う橫になつたかと思ふと、たちまち〔、〕何もかもわからなくなりました。〔ほんとに〕〔、〕このときほどよく眠つたことは〔、〕生れてから今まで〔、〕一度もなかつたことです。

[やぶちゃん注:「かれこれ夜の八時頃でしたせうがしたでせう〕、」ここは現在、「でした。」(しかも読点でなく句点)と殆んど初案の形に戻っている。

 なお、次の一行空けは校正記号によって空けた。しかし、現行ではこの一行空けは存在しない。]

 

 ほつと目が覺めると、もう夜明らしく、空が明るんでゐました。さて起きよう〔かな〕、と思ふとひ、〔起きようとしたのです立ちあがらうとすると、〔身〕動かうと〔きしよう〕とすると、〕どうしたことか、身躰が〔、〕〔さつぱり〕動きません。氣がつくと、私の身躰は〔、〕手も足も細い紐で地面に〔、〕しつかりくくりつけられてゐます〔てあるのです〕。髮の毛まで縛りつけてあるのです〔あります〕。これでは〔、〕私はただ仰向になつてゐるほかはありません。

[やぶちゃん注:「髮の毛まで縛りつけてあるのです〔あります〕」の箇所は現行では「髪の毛まくゝりつけてあります」となっている。なお、ここで言っておくが、現行通行本ではやたらに踊り字「ゝ」「ゞ」「〱」「〲」が用いられていて厭らしい(私は基本、踊り字が嫌いである)のであるが、原民喜もやはり、これらの踊り字が嫌いであったことが自筆原稿から如実に窺えるのである。彼はまず滅多に踊り字を使用しないのである。]

 陽はだんだん暑くなり〔、〕〔それが〕眼はまぶしくなりました〔にギラギラします〕。まはりに〔、〕何かガヤガヤといふ騷が聞えてきましたが、しばらくすると、私の足の上を〔、〕何か生物が〔、〕ゴソゴソ動い〔這つ〕てゐるやうです。その生ものは〔、〕私の胸の上を通つて、顎のところまでやつて來ました。

 私はそつと〔、〕下目を使つてそれを眺め〔ると、〕はつと驚いてしまひました。何と、それは人間なのです。身長六吋もない小人が、手に弓矢〔手〕を〔手に〕して〔、〕私の顎のところに立つてい〔る〕のです。そのあとにつづいて、四十人あまりの小人が〔、今〕ぞろぞど步いて來ます。〔いや、〕私は度胸を拔かれて、 びつくり仰天のあまり〕驚いたの驚かな〔い〕かつたの、〔私は〕いきなり〔、〕ワツと大声を立てました。〔たものです。〕

[やぶちゃん注:「六吋」現行は「六インチ」。十五センチメートル強。

「度胸」はママ。「度胆」の誤字であろう。ここの書き直しは、実はそれが気に障ったのかも知れない。

「驚いたの驚かな〔い〕かつたの、」しかし現行はここは「驚いたの驚かなかつたの、」である。]

 相手も〔、〕びつくり仰天、たちまち〔、〕逃げてしまひました。後できいて分かつたのですが、その時、私の脇腹から地面にとび下りるへうしに、四五人の怪我人も出たさうです。

 しかしすぐに彼等は引つ返して來ました。一人が〔、〕何か鋭い声で〔わけのわからぬこと■を叫〕ぶと、他の連中が〔、〕それをくりかへします。私はどうも〔薄〕氣味が惡いので、逃げようと思ひ、身をもがいてみました。と、うまく左手の方の紐が切れたので、ついでに、ぐいと頭を持上げて、髮の毛を〔しば〕つてゐる紐〔も〕〔、〕少しゆるめました。〔これで、〕どうやら首が動くやうになつたので、相手を〔つまうろうろしてゐる〕 〔つかま〕へてやらうとすると〔、〕〔小人は〕バタバタ逃げ出します。 すしまつです。〕してしまふのです。

[やぶちゃん注:「しかしすぐに彼等は引つ返して來ました」現行は「しかし彼等はすぐ引つ返して來ました」。]

 その時、大きな號令とともに、百〔いく〕本の矢が私の左手めがけて降りそそいで來ました。それはまるで針で〔さ〕すようにチクチクしました。そのうち〔に〕矢は顏にも落ちて〔向つて〕來〔るので、〕ます。〔私は〕大急ぎで左手で顏を〔おほ〕ひ、ウンウン〔うな〕りました。逃げようとする〔たび〕に〔、〕矢の攻擊はひどくなり、中には〔、〕槍でもつて〔、〕私の脇腹を〔つ〕きに來るものもあります。それで、私はとうとう、じつと、〔こら〕へてゐることにしました。〔そのうち〕〔、〕夜になれば〔、〕譯なく逃げられる〔だらう〕と考へたのです〔思ひました〕。

[やぶちゃん注:「とうとう」はママ。

 末尾は現行では「わけなく逃げられるだろうと考へたのです。」となっている。]

 私がをとなしくなると、もう矢は飛んで來ませんでした。〔なくなりました〕が、前とは餘程〔よほど〕人數がふえたらしく、あたりは一段と騷がしくなりました。〔さきほどから〕〔、〕私の耳から二間ぐらゐはな〔離〕れたところで、何かしきりに〔、〕物を打込んでゐる音がしていました〔す〕。

[やぶちゃん注:冒頭は現行、「私がおとなしくなると、もう矢は飛んで来なくなりました。が、」であるが、この「來ませんでした。」の句点は特に黒く塗りつぶしてあり、民喜の意図は少なくともこの原稿では、「私がをとなしくなると、もう矢は飛んで來ませんでしたが、」と文を続けることを指示している。

「二間」三メートル六十三センチメートル強。]

 そつと顏をそちら側へねぢ〔む〕けてみると、そこには〔、〕高さ一呎半ばかりの舞台が出來上つてゐます。〔これは〕〔、〕小人なら〔、〕四人ぐらい乘れさうな舞台で〔す。〕す。〔のぼるために〕〔、〕梯子はしごまで〔、〕二つ三つかかつてゐるのです〔ます〕。今〔、〕その舞台の上に〔、〕大將らしい男が立つ〔と〕、大演説をはじめ〔やりだ〕しました。四人のお附きをしたがえた、その男は〔大將は〕、年〔は〕四十歳〔ぐ〕らゐで、風采も堂堂としてゐます。といつても、〔その〕身長は私の中指ぐらゐでした〔せう〕。彼は声をはりあげ、手を〔ふ〕り𢌞〔まは〕し、〔彼は〕なかなか立派な演〕を喋りました〔調子よく〕しゃべるのです。

 私も左手を高く上げて、うやうやしく、答へのしるしをしました。しかし、なにしろ私は〔、〕船にゐたとき食べたきりで、あれから〔、〕何も食〔一つ食〕べてゐません。ひもじさに、お腹がぐーぐー鳴りだしました。〔もう〕〔、〕どうにも我慢ができないので、私は口へ指をやつては、何か食べさせて下さい〔、〕といふ樣子をしました。〔すると〕大將は私の意味が〔よく〕わかつたとみえて、早速、〔命令して、〕私の橫〔腹〕に〔、〕梯子を五六本掛けさせました。

 すると〔、〕その樣子を百人あまりの小人が、それぞれ〔、〕肉を一杯もつ〔入れ〕た籠をさげて、登つて〔その梯子をのぼり〕、私の口のところへやつて來るのです。牛肉やら〔、〕羊肉やら〔、〕豚肉やら、料理もなかなか立派〔なごちさう御馳走〕でしたが、大きさは〔、〕雲雀の翼ほどもありません。一口に二つ三つは〔、〕すぐ平げることができます。それにパンも大へん小粒なので、一口に三つは食べられました。〔ぐらゐわけないのです。〕後から後から運んでくれるのを〔、〕私がぺろりと平げるので、一同は〔ひどく〕驚きあきれ〔い〕てゐるやうでした。

 私は水が〔ほ〕しくなつたので、その手眞似をしました。あんなに食べるのだから、〔水だつて〕〔、〕ちよつとやそつとでは〔、〕〔た〕りないだらうと〔、〕小人たちは一番大きな樽を私の上に〔つる〕しあげて、ポンと呑口を〔あ〕けてくれました。それも一息に私は〔、〕飮み〔ほ〕してしまひました。〔なに、〕大樽といつたつて、コツプ一杯分ぐらゐの水なのですから、〔これは〕あたりまへのことです。が、その水は〔、〕薄い葡萄酒に似て〔、〕なんともいい味のものでした。

[やぶちゃん注:「〔これは〕あたりまへのことです。」は現行は「なんでもありません。」と極端に異なる。]

 彼等は 私のやつたことが〔こんなことが、〕よほど珍しか〔得意だ〕〔うれしか〕つたのでせう、大喜びで〔、〕はしやぎまわり、私の胸の上で〔、〕〔おど〕りだしたのです。〔しました。〕それ〔下〕からは私にむかつて、その空樽を投下してくれと手眞似をします。

[やぶちゃん注:冒頭の抹消の「彼等は」が現行では生きている。

 次の文章とは繋がっているが、改行を示す校正記号「』」が打たれているので改行した。しかし、この改行は現行のそれにはなく、次の段落はここと繋がっている。]

 私が左手で胸の上の樽を投げてやると、小人たちは一せいに拍手しました。それなんそれ〕にしても〔、〕私の身躰の上を勝手に步き𢌞〔まは〕つてゐる小人たちの大膽さ。私の身躰は〔、〕彼等から見れば〔、〕山ほどもあるのです。それを〔、〕平氣で步き𢌞〔まは〕つてゐるのには感心しました。 〔、〕少からずですだから■■■ます。〕

[やぶちゃん注:最後の決定稿はどうしても読めない。意味からすると「だからあきれます」ならいけるが、最初の判読不能字は「に」に似ており、「あ」にはとても見えない。それにしてもこれだけ苦労していながら、現行のこの部分は「それを平気で歩きまわっているのです。」である。なんじゃ? こりゃあ?!]

 しばらくすると、皇帝陛下からの勅使が、十二人ばかりのお供を引連〔つれ〕てやつて來ました。私の右足の足首から〔のぼ〕つて、どんどん顏のあたりまでやつて來ます。その書狀(かきもの)をひろげたかと思ふと、私の眼の前につきつけて、何やら讀み〔あ〕げました。それから、頻りに前方を指さしました。〔こ〕の意味は〔、〕後になつて分〔わか〕つたのですが、〔指さしてゐる方向に〔、小人〕國の都があ〔つたのです。〕そこへ、〕皇帝陛下が〔、〕私を〔つ〕れて來るやう云ひつけられたのださうです。

 そこで私は、自由に くくられてゐない手の方で片方の手をうごかしてくくられていないゐない片方の手で〕、どうか〔この〕紐をといて下さいと、〔いろいろと〕手眞似をしてみ〔せ〕ました。〔すると〕、勅命は〔、それはならぬといふ風に、〕頭を左右に〔ふ〕りました。承知してくれません でしたでした〕。しかし、そのかはり、食物や飮ものに不自由させない〔ぬ〕から安心せよ と勅命〔彼〕は手眞似で答へました。

[やぶちゃん注:ここも改稿が錯綜しているが、現行ではこの段全体は、

『私は、どうかこの紐を解いてくださいと、くゝられていない片方の手で、いろいろと手まねをして見せました。すると勅使は、それはならぬというふうに、頭を左右に振りました。その代り、食物や飲物に不自由させぬから安心せよ、と彼は手まねで答えました。』

となっているから、概ね、この改稿通りとなってることが分かる。「勅命」は原稿のママだが、確かに「勅使」でないと通りが悪い。]

 敕使が帰つてゆくと、大勢の小人たちが〔、〕私の側にやつて來て、顏と兩手に〔、〕何か〔ひどく香りのいい、油のやうなものを〕塗〔塗〕〔塗〕つてくれました。すると間もなく〔、〕〔あの〕矢の痛みはケロリとなほりました。

 私は氣分もよくなつたし、お腹も一杯だつたので、こんどは〔、〕睡くなりました。そして八時間ばかりも眠りつづけました。これも後で〔きいて〕わかつたのですが、〔私が飮んだ〕〔、〕あの〔お〕酒には〔、〕〔睡〕り〔藥〕が〔ま〕ぜてあつたのです。

 最初、私が上陸して〔、〕草の上に〔何も知らないで〕眠つてゐた時、小人たちは〔、〕それ〔私〕を發見すると、大急〔ぎ〕で皇帝にお知らせしました。そこでさつそく、會議が開かれ、とにかく、私をしばりつけておくこと、食物と飮物を送つてやること、私を運搬するために、大きな機械を一つ用意すること、こんなことが會議で決まつたらしいのです。

 で、早速、五百人の大工と技師に云ひつけ、この國で一番大きな機械を持出すことになりました。そ〕れは長さ七呎、幅四呎の木の台〔で〕、二十二〔個〕の車〔輪〕〔つ〕ついて動くのです。〔ゐます。〕私が〔私が〕睡りぐすり〔藥〕のお蔭で、〔私が〕ぐつすり何も知らないで眠つてゐる間に、この車〔が〕私の身躰〔に〕ぴつたり橫づけにされ〔てゐ〕ました。だが、睡つてゐる私を〔かつ〕ぎあげて、この車に乘せるのは〔とても〕大変〔容易〕なこと〔ではありません〕〔だつた〕らしかつた〔い〕のです。

[やぶちゃん注:「七呎」現行は「七フィート」。二メートル十三センチメートルほど。

「四呎」現行は「四フィート」。一メートル二十二センチメートルほど。]

 まづ第一に〔、〕高さ一呎の柱を八十本立て、それから、私の身躰をぐるぐる𢌞(ま)きにしてゐる紐〔の上〕に、丈夫な綱をかけました。そして、この綱を〔、〕柱にしかけてある滑(かつ)車で、〔えんさえんさと〕引上げるのです。九百人の男が力をそろへて、とにかく三時間足らずのうちに、私を車台〔の上〕に〔つる〕し上げて〔、〕むす結〕びつけてしまひました。すると、千五百頭の馬が、その車を引いて、私を都の方へ〔つ〕れて行つた〔も〕のです。出しました。行きました。〕もつとも、これは〔、みんな〕後から人に聞いて知つた話〔なの〕です。

[やぶちゃん注:「一呎」現行は「一フート」。三〇・四八センチメートル。]

 車が動きだしてから〔、〕四時間〔も〕した頃のことです。何か  〔の〕故障〔の〕ため、車はしばらく〔と〕まつてゐましたが、その時、二三の物好〔き〕な男〔たち〕が、〔、〕私がどんな〔の寢〕顏して寐てるのか〔はどんなものか、それを〕見たいと〔るた〕めに、〔わざわざ、〕車に攀〔よ〕ぢのぼつて來ました。

[やぶちゃん注:「が、〔、〕」の読点のダブりはママ。]

 〔はじめは、〕そつと〔、〕顏のあたりまで近づいて來たのですが、一人の男が、手に持つてゐた槍の先を〔、〕私の鼻の孔にグイ〔と〕突込んだ〔も〕のです。こよりで〔、〕つつかれたやうなもので、〔くすぐ〕つたくてたまりません。私は思はず〔知らず〕〔、〕大きな〔、〕クシヤミ〔くしやみ〕と一緒に〔私は〕目が〔さ〕めました。

[やぶちゃん注:現行は「こより」と「くしゃみ」に傍点「ヽ」が附されている。]

 その 〔日はそれからまだ大分〕 うち夜になりました 車は進んで行ました 〔日が暮れてから、車は休むことになりましたが、〕私の兩側には〔、〕それぞれ五百人の番兵が、弓矢や〔半分は〕炬火をかかげて取圍(かこ)み、私がちよつとでも身動きしようものなら、直ぐ取りおさへさうでした。〔ようとしていました。〕翌朝、日が上ると〔、〕車はまた進みだしました。そして正午頃、〔ようやく〕車は都の近くまでに〕やつて來ました。〔すると〕皇帝も〔、〕家來〔大臣〕も〔、〕みんな出て迎へました。が、大臣たちは、皇帝が私の身躰の上にのぼつてみる のは  〔たがるのを、〕「そいつは危險でございます」と言つて〔、〕〔大臣たちは〕〔ひき〕とめました。

[やぶちゃん注:現行ではこの段落は「日が暮れてから、車は休むことになりましたが、私の両側には、それぞれ五百人の番兵が、弓矢や炬火をかゝげて取り囲み、私がちょっとでも身動きしようものなら、すぐ取り押えようとしていました。翌朝、日が上ると、車はまた進みだしました。そして正午頃、車は都の近くにやって来ました。皇帝も、大臣も、みんな出迎えました。皇帝が私の身体の上にのぼってみたがるのを、それは危険でございます、と言って、大臣たちはとめていました。」となっていて、直接話法の鉤括弧が示されていないし、「そいつ」がが「それは」となっていて、採りようによってはかなりニュアンスが違う。]

 丁度、車が停つたところに、この國で一番大きい神社がありました。こ〔こ〕は前に、何か不吉なことがあつたので今は〔今では祭壇もとり除かれ、とり除かれて、中はすつかり、〕から〔空〕つぽになつてゐました。この建物のなかに〔、〕〔この〕私〔が〕〔い〕れ〔られ〕ることになつたのです。北に向いた門の高さが約四呎、幅は二呎ぐらゐ、ここから〔、〕私は這ひはい〕り込むことができます。私の左足は〔、〕錠前で〔と〕められ、左側のそ窻のところに、鎖でつながれました。

[やぶちゃん注:「四呎」現行は「四フィート」。一メートル二十二センチメートルほど。

「二呎」現行は「二フィート」。二〇・九六センチメートル。]

 〔この〕神殿〔社〕の向側に見える塔の上から、皇帝は臣下と一緒に、〔この〕私を御見物になります。つたさうです。りました。〕なんでも、その日、私を見物するために〔、〕十万人以上の人出があつたといふことです。それに〔、〕番人がゐても、梯子を〔つた〕つて、この私の身躰に〔のぼ〕つた連中が〔、〕一万人ぐらゐはゐました。が、これは間もなく禁止され、犯したものは死刑だといふ〔にされる〕ことになりました。

 いよいよ〔もう〕私が逃げ出せないことが分ると、〔わかつたの〕で、職人たちははじめて〔、〕私の身躰〔に〕まきついてゐる紐を切つてくれました。それで、はじめて私は立上つてみたのですが、〔それは、〕いや、何とも妙で〔いえない〕、憂欝〔いや〕な氣持でした。

 ところで、私が立〔上〕つて步きだしたのを、〔はじめて〕見〔る〕人人の驚きといつたら、これ〔また〕〔、〕大変なものでした。私の足をつないでゐる鎖は〔、〕約二ヤードばかりあつたので、半円を描いて往復することができま〔した〕。

二章 皇帝陛下

[やぶちゃん注:以上のパート標題は現行にはなく、行空けもなしで以下に続く。]

 立上つて〔、〕私はあたりを見𢌞しましたが、實に面白い景色でした。附近の土地は庭園が續いてゐるやうで、垣をめぐらした畑は〔、〕花壇を〔なら〕べたやうでした〔す〕。その畑のところどころに森が混つてゐますが、一番高い樹でまづ七呎ぐらゐでした〔す〕。街は左手に見えてゐましたが、それは〔丁〕度、芝居の町そつくりでした。

[やぶちゃん注:「七呎」現行は「七フィート」。二・一三メートル。]

 〔さきほどまで〕〔、〕塔の上から私を見物してゐられた〔ゐた〕皇帝が、今、塔を〔お〕りて、馬にこちらに馬を進めて來られました。が、これはもう少しで大事になるところでした。といふのは、この馬はよく〔な〕れた馬でしたが、私を見て山が動きだした〔や〕うに、びつくりしたのです〔もので〕すから、忽ち後足で立ち上りまし〔つたのです〕。〔しかし〕皇帝は馬の達人だつたので、鞍〔の上〕にぐつと落着いてゐられる、そこへ從者〔家來〕がやつて來て〔駈けつけて〕、手綱を押へ〔る〕、〔こ〕れでまづ、無事に〔お〕りることができました。

 馬から下りると皇帝は〔、〕私を眺めまはし、頻りに感心されていました〔す。〕が、私の鎖のとどくところへは近寄りません。それから、料理人〔たち〕に〔、〕食べものを運べと云ひつけられました。〔すした。〕すると、〔みんなが、〕御馳走を盛つた、車のやうな容れものを、押〕して來ては、私の側においてくれます。

 〔私は〕容れものごと手で〔つか〕んで、〔私は〕ペロリと平げてしまひました〔す〕。肉が二十車、飮みものが十車、どれもこれも〔、〕平げてしまひました。皇后と若い皇子皇女たちは〔、〕澤山の女官に附添はれて、少し離れた椅子のところにゐましたが、皇帝のさきほどの馬の騷ぎのとき、みんな席を立つて、皇帝のところに集つて來ました。ここで、皇帝の樣子を〔、〕ちよつと述べてみませう。

[やぶちゃん注:現行では「皇后と若い皇子皇女たちは、」以下が独立段落となっている。現行には改行指示はないので繋げて示した。]

 皇帝の身長は宮廷の誰よりも、高かつたのです。丁度、私の爪の幅ほど高かつたやうです〔。〕が、これだけでも、なかなか立派に見えます。男らしい顏つきで、きりつとした口許、弓なりの鼻、頰はオリーヴ色、動作はもの靜かで、態度に威嚴(いげん)がありました〔す〕。年は二十八年と九ケ月といふことです。

 着物は質素で、頭に〔は〕〔寶石をちりばめた〔、〕輕い〕黄金の兜をいただき、頂きに羽根飾りがついてゐますが、着物は大へん質素(しつそ)でした。手には長さ三吋ぐらゐの劍を握つてをられ、〔ます。〕〔その〕柄と鞘は黄金で造られ、ダイヤモンドが〔ちりば〕めてあります。

 皇帝の声はキイキイ声ですが、よくききとれました〔す〕。女官や廷臣たちは、みんな綺麗な服を着てゐます。だから、〔みんなが〕並んで立つてゐるところは、まるで金絲銀絲 〔金や銀の糸〕の刺繡〔の衣〕を地面にひろげたやうでした。

[やぶちゃん注:現行のこの段落は「皇帝の声はキイキイ声ですが、よく聞きとれます。女官たちは、みんな綺麗な服を着ています。だから、みんなが並んで立っているところは、まるで、金糸銀糸の刺繡の衣を地面にひろげたようでした。」である。私の引いた下線部の違いに着目されたい。]

 皇帝は何度も私に話しかけられましたが、〔殘念ながら〕どうもお互に言葉が通じません。二時間ばかり〔し〕て、皇帝〔を〕はじめ一同は帰つて行きました。あとに殘された私には、ちやんと番人がついて、見張りしてゐました〔くれます〕。それは〔つまり〕〔これは〕私を見に押しかけて來る〕野次馬のいたずらを防ぐためでした〔す〕。

[やぶちゃん注:現行では「野次馬」は「やじ馬」で「やじ」には傍点「ヽ」が附されてある。以下の「野次馬」も同じ。]

 野次馬どもは〔、〕勝手に私の近くまで押よせ、なかには、私に矢を射かける〔ようとする〕もの〔まで〕ゐま〔した〕。一度など〔、〕その矢が〔、〕私の左の眼にあたるつきさすあたる〕ところでした。が、番人は早速、その連中を捕へ〔野次馬のな〕かの〔、〕頭らしい六人の男を捕へて〔、〕〔私に引渡し〕くれました。そして番人の槍先で〔、〕私の近くまで〔、〕その六人が追立てられて來ると、私は一度に六人を鷲〔牛で〕摑みにしました。〔手でつかんでやりました。〕

[やぶちゃん注:「〔私に引渡し〕くれました。」はママ。現行では「私に引渡してくれました。」である。或いは前の「捕へて」の「て」を読点の下に誤認したものかも知れない。]

 五人は上衣のポケツトにねぢこみ、殘りの〔殘りの私の指に殘つてゐる〕一人は 今にも〔あとの一人〔に〕は、〔そら、〕これから食つてやるぞ、といふやうな顏つきをして脅かしました。〔見せました。〕〔私の指に摑〔はさ〕まれて、〔すると、〕その男は〔私の指のなかで〕〔わーわー〕泣きわめきますくこと、きます〕。

 私が〔私が〕〔その〕指を口〔に〕もつてゆくと、ほんとに食はれるのではないかと、〔他の〕〔番人ま番人も見物人も〔、〕〕みんな靑くなつて〔ハラハラして〕ゐたやうです。が間もなく、私はやさしい顏つきに返り、その男をそつと地面に〔お〕いて、〔はな〕してやりました。他の五人も、一人づつポケツトから引張り出して許してやりました。〔すると〕番人も見物人も〔、〕一安心で〔ほつとして〕、私のしたことに感謝してゐる樣子でした。

 夜になると、〔見物人も帰るので〕やうやく私は家のなかにもぐりこみ、地べた〔で〕寢そべるのでした。二週間ばかり〔は毎晩〕地べたで寢てゐまし〔たものです。〕が、そのうちに皇帝が〔、〕私のためにベツドを拵へてやれ〔、〕と命令さ〔云は〕れました。普通の大きさのベツドが六百、車に積んで運ばれ、私の家の中で、それ〔を〕組立てられました。

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