芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 「人間らしさ」
「人間らしさ」
わたしは不幸にも「人間らしさ」に禮拜する勇氣は持つてゐない。いや、屢「人間らしさ」に輕蔑を感ずることは事實である。しかし又常に「人間らしさ」に愛を感ずることも事實である。愛を?――或は愛よりも憐憫かも知れない。が、兎に角「人間らしさ」にも動かされぬやうになつたとすれば、人生は到底住するに堪へない精神病院に變りさうである。Swift の畢に發狂したのも當然の結果と云ふ外はない。
スウイフトは發狂する少し前に、梢だけ枯れた木を見ながら、「おれはあの木とよく似てゐる。頭から先に參るのだ」と呟いたことがあるさうである。この逸話は思ひ出す度にいつも戰慄を傳へずには置かない。わたしはスウイフトほど頭の好い一代の鬼才に生まれなかつたことをひそかに幸福に思つてゐる。
[やぶちゃん注:大正一三(一九二四)年一月号『文藝春秋』巻頭に前の「地上樂園」「暴力」の三章で初出する。『「人間らしさ」』という標題の鍵括弧表記は「侏儒の言葉」の中では特異点である。言わずもがな乍ら、芥川龍之介が謂わんとするのは鍵括弧附きの――人間らしさ――である点に注意しなくてはならぬ。しかし龍之介が元来は英文科卒だからといって、これを「ヒューマニズム」(humanism)の意で解釈しようというのは寧ろ、危ういであろう。例えば、小学館の「大辞泉」の「ヒューマニズム(humanism)」を見ると(「→」は別記載の抄録)、
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①人間性を称揚し、さまざまな束縛や抑圧による非人間的状態から人間の解放を目ざす思想。
①㋐「人文主義」に同じ。→ギリシャ・ローマの古典研究によって普遍的教養を身につけるとともに、教会の権威や神中心の中世的世界観のような非人間的重圧から人間を解放し、人間性の再興をめざした精神運動。また、その立場。ルネサンス期にイタリアの商業都市の繁栄を背景にして興り、やがて全ヨーロッパに波及した(「大辞泉」に拠る)。
①㋑十七~十八世紀にイギリス・フランスで、普遍的な人間性を認め、いくつかの市民革命の指導理念となった思想。市民的ヒューマニズム。
①㋒新人文主義。ネオ・ヒューマニズム。→二十世紀初頭、アメリカの批評家バビットIrving Babbitt(一八六五年~一九三三年)などによって唱えられたもので、ルソー流の自然復帰のロマン主義に反対し、伝統と教養を重んじる立場(平凡社「マイペディア」に拠る)。
①㋓資本主義による人間の自己疎外から人間性の回復を目ざすプロレタリア階級の運動。社会主義的ヒューマニズム。
②人道主義。→人間性を重んじ、人間愛を実践し、併せて人類の福祉向上を目指す立場。博愛主義と共通する面が多い(「大辞泉」に拠る)。
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とある。しかしだ、これらの文字列をぼんやり眺めて居ても、どうにも龍之介の謂わんとする「人間らしさ」の影はちっとも見えては来ぬのである。いや、龍之介がここで問題にしようとしているのは、そのような辛気臭い、というか、インキ臭いところの「主義思想としての人間らしさ」なんぞではあるまい。それらを軽く併呑し得るところのものではあるが、それらと同等に並ぶものでも、それ以下の――多分に恣意的で感情的な物謂い――でも、ない。
ここでのそれは明らかに、和語としてに「人間らしさ」という、そうさ、何やらん、漠然とした、難解なわけではないものの、如何にもその実体が曇ってはっきりしないもの――美麗な富士の霊峰の如くにも見えることもあれば――その足元を覗けば地獄の奈落に続くようにも窺えるもの――ではあるまいか?
さても一晩考えたのであるが、やはり夏目漱石の「こゝろ」の「下 先生と遺書」の「先生」の例の「愛」についての謂いを真似て言わせて貰おうなら(リンク先は私の初出復元版の当該章)、これは、
――「人間らしさ」という不可思議なものに両端(りょうはじ)があって、其の高い端(はじ)には神聖な感じが働いて、低い端(はじ)には性慾が動いている――
ようなもの、ということになるのではあるまいか? そんな謂いが、私には如何にもしっくりくるように思われて仕方がないのである。そもそも本章の前段の内容を考えてみるがよい。
龍之介は、その「人間らしさ」にさえ「動かされぬ」ようになったとしたら、「人生は到底住」むに耐え得ない牢獄同様の「精神病院に變り」そうだ、というのである。しかし乍ら、彼は「不幸にも」その「人間らしさ」なるものを「禮拜する勇氣は持つて」いないと言い、それどころか、しばしばその「人間らしさ」に「輕蔑を感ずること」があることも厳然たる「事實で」は「ある」と言うのである。と同時に、「しかし又」、不思議なことに同時に、心のどこかでその「人間らしさ」に対して「愛を感」じているという「ことも事實である」という。そうして「愛を?――或は愛よりも憐憫」(れんびん:不愍(ふびん)に思うこと。憐れみの感情)「かも知れない」とつぶやく。
これは既にして龍之介がその「人間らしさ」なるものは、龍之介のような冷徹な理智の「人間」でさえも、それに対し、「愛」或いは「憐憫」を覚える対象だと言っているのである。この章の「人間らしさ」を「こゝろ」の先生に敬意を表して、逆に「愛」に変えて弄ってみるなら、
「愛」
わたしは不幸にも人間がかく表明する人間固有とされるところの「愛」に對して禮拜する勇氣は持つてゐない。いや、屢「愛」なるものに輕蔑を感ずることは事實である。しかし又常に「愛」に『愛』を感ずることも事實である。『愛』を?――『愛』に愛を感ずるといふは聊か説明にならぬといふなら、或いは「憐憫」というのが正確かも知れない。が、兎に角「愛」にも動かされぬやうになつたとすれば、人生は到底住するに堪へない精神病院に變りさうである。Swift の畢に發狂したのも當然の結果と云ふ外はない。
スウイフトは發狂する少し前に、梢だけ枯れた木を見ながら、「おれはあの木とよく似てゐる。頭から先に參るのだ」と呟いたことがあるさうである。この逸話は思ひ出す度にいつも戰慄を傳へずには置かない。わたしはスウイフトほど頭の好い一代の鬼才に生まれなかつたことをひそかに幸福に思つてゐる。
となろうか。恣意的な変換補遺である故に一応、大方の御叱正を俟つものではあるが、私はかくしても一向に破綻を生じないし、寧ろ、謎めいた『「人間らしさ」』という謎の澱んだ膜のようなものが取り払われ、すっきりと読めるように私は思うのである。
因みに、諸本はこのわざわざ龍之介が鈎括弧を附けたことを、誰一人、問題としていないのである。龍之介よ、芥川龍之介研究など、結局、今でもこの程度のものだという証しだ。私は内心、慙愧に堪えられぬ思いである。悪いね、龍之介……
・「禮拜」ここは「らいはい」と読みたい。筑摩全集類聚版もかくルビする。
・「Swift の畢に發狂した」芥川龍之介が「不思議な島」(この翌年の大正一三(一九二四)年一月『随筆』に初出)「河童」(自死の年である昭和二(一九二七)年三月『改造』初出。リンク先は私の電子テクスト。他に私は『芥川龍之介「河童」決定稿原稿(電子化本文版)』も手がけている)に於いて意識したとされ、彼の愛読書でもあった「ガリヴァー旅行記」(Gulliver's travels:原書初版は世論の批判をかわすために決定稿を改変して一七二六年に出版、一七三五年には本来の決定稿完全版が出版されている。なお、この作品の正式な題名は〝Travels into Several Remote
Nations of the World, in Four Parts. By Lemuel Gulliver, First a Surgeon, and
then a Captain of several Ships〟(「船医から始まり、後に複数の船の船長となったレミュエル・ガリヴァーに拠る、四篇から成る、世界の僻遠の国々への旅行記」)である)で知られる、イングランド系アイルランド人の司祭にして痛烈な諷刺作家であったジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift 一六六七年~一七四五年)はウィキの「ジョナサン・スウィフト」によれば、「ガリヴァー旅行記」執筆前、政治活動に入れ込んだロンドンで懇意になったヴァナミリー家の娘の一人エスターと親密になった。彼の書簡によれば『エスターがスウィフトに夢中になり、それで彼は彼女の愛情に報いたものの、後悔してのちに縁を切ろうとしたことが示唆され』ているという。そうして、一七二八年一月二十八日、『エスター・ジョンソンは死去した。彼は彼女の病床で祈り、彼女の慰安のため祈禱を行いさえしたが、スウィフトは臨終に居合わせているのに堪えることができなかった。しかし、その夜の彼女の死に際して、彼は非常に興味深い』「ジョンソン夫人の死」を書き始めてもいる。しかし、彼は自ら首席司祭を勤める『聖パトリック寺院の葬儀に出席していられないほど具合が悪かった。後年、彼の机の中からエスター・ジョンソンのものと思われる一房の髪が、「一人の女の髪にすぎぬ」と書かれた紙に包まれて発見され』ている。『エスターの死後、スウィフトの人生は「死」に覆われる傾向をもつようになった』。一七三一年には、「スウィフト博士の死を悼む詩を書き、一七三九年には『自ら自分の死亡記事を出し』てさえいる。一七三二年、『彼のよき友人にして協力者ジョン・ゲイが死去し』、二年後の一七三五年にはロンドン時代からの今一人の友ジョン・アルバスノットも死去してしまう。そうした中、一七三八年には『スウィフトに病気の徴候が顕れ』始め、一七四二年には『病気の発作を患い、会話する能力を失うとともに精神障害になるという最大の恐怖が』彼を襲った(ここに本章に出る内容が括弧書きで『(「私はあの樹に似ている」と彼はかつて言った。「頭から先に参るのだ」)』と引用挿入されている)。『この偉大な男を餌食にしようとし始めた恥知らずな取巻きから彼を守るため、彼の最も親しい仲間たちは彼に「不安定な精神と記憶力」と宣言させた』。一七四五年十月十九日、『スウィフトは死去した。彼は希望に従ってエスター・ジョンソンの傍に葬られた。彼の財産は大半が精神病院の創設資金に残された』とある。ウィキには記載がないが、彼の罹患していた疾患は実は梅毒性の神経障害であった。その罹患はダブリン大学トリニティ・カレッジ(Trinity College, University of
Dublin)在学時代に買った売春婦からうつされたものであったが、スゥイフトは自分が梅毒に罹患していることを知っており、それが進行して発狂するのではないかということを非常に恐れていたことは事実である。これは芥川龍之介が母の精神病が自分に遺伝していて、自分もいつか発狂するのではないかと恐怖していたことと、ある意味、ごく相似的である点には着目しなければならぬ(また同じく龍之介には売春婦から梅毒をうつされたのではないかという恐怖が実際にあったこともほぼ確実であり、その点でも「相似」どころか「相同」でさえあると私は思う)。しかしここでどうして言っておかなくてはならないのは、一般に現在でもそう思われ(筑摩前主類聚版脚注も『政治問題にも関心を持ったが志を得ず、不満と絶望のうちに晩年発狂』とし、岩波新全集の山田俊治氏注も『狂死』、新潮文庫の神田由美子由氏も『恋人の死後、絶望のうちに発狂』とある)、龍之介も「發狂」と明記しているのであるが、実際には彼には最後まで「発狂」と表わすような顕在的な精神障害は全く起こっていないというのが、現在の最新の見解であるのでごくごく注意されたい。小島弘一氏の論文「ジョナサン・スウィフト、悪疾と諷刺」(PDF)に非常に詳しい。必読!(但し、スゥイフトの梅毒による発狂恐怖の念慮が心因性精神疾患を惹起させた可能性は十分にあると私は思う。なお、因みに私は『ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版)』を現在、進行中である)。
・『スウイフトは發狂する少し前に、梢だけ枯れた木を見ながら、「おれはあの木とよく似てゐる。頭から先に參るのだ」と呟いたことがある』芥川龍之介は「或阿呆の一生」でもこの逸話を再度、採り上げている(リンク先は私の古いテクスト)。
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四十六 譃
彼の姉の夫の自殺は俄かに彼を打ちのめした。彼は今度は姉の一家の面倒も見なければならなかつた。彼の將來は少くとも彼には日の暮のやうに薄暗かつた。彼は彼の精神的破産に冷笑に近いものを感じながら、(彼の惡德や弱點は一つ殘らず彼にはわかつてゐた。)不相變いろいろの本を讀みつづけた。しかしルツソオの懺悔錄さへ英雄的な譃に充ち滿ちてゐた。殊に「新生」に至つては、――彼は「新生」の主人公ほど老獪な僞善者に出會つたことはなかつた。が、フランソア・ヴィヨンだけは彼の心にしみ透つた。彼は何篇かの詩の中に「美しい牡(をす)」を發見した。
絞罪を待つてゐるヴィヨンの姿は彼の夢の中にも現れたりした。彼は何度もヴィヨンのやうに人生のどん底に落ちようとした。が、彼の境遇や肉體的エネルギイはかう云ふことを許す譯はなかつた。彼はだんだん衰へて行つた。丁度昔スウイフトの見た、木末(こずゑ)から枯れて來る立ち木のやうに。………
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ここでは遙かに龍之介とスゥイフトがはっきりとオーバー・ラップされているのが見てとれる。しかし乍ら、実はこのエピソード引用元を明記している記載を今のところ私は現認出来ていない。識者の御教授を乞うものである。なお、私はこの話を読むと、反射的にフラッシュ・バックするシーンがある。またしても漱石の「こゝろ」である。現行の「下 先生と遺書」の中の最大のクライマックス、「先生」がKの心に「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」と匕首を突き立てた直後の章、例の「覺悟?」のシークエンスを含む章である(リンク先は私の初出復元版の当該章)。少し前から引く(下線太字はやぶちゃん)。
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「もう其話は止めやう」と彼が云ひました。彼の眼にも彼の言葉にも變に悲痛な所がありました。私は一寸挨拶が出來なかつたのです。するとKは、「止めて呉れ」と今度は賴むやうに云ひ直しました。私は其時彼に向つて殘酷な答を與へたのです。狼が隙を見て羊の咽喉笛へ食ひ付くやうに。
「止めて呉れつて、僕が云ひ出した事ぢやない、もともと君の方から持ち出した話ぢやないか。然し君が止めたければ、止めても可いが、たゞ口の先で止めたつて仕方があるまい。君の心でそれを止める丈の覺悟がなければ。一體君は君の平生の主張を何うする積なのか」
私が斯う云つた時、脊の高い彼は自然と私の前に萎縮して小さくなるやうな感じがしました。彼はいつも話す通り頗る強情な男でしたけれども、一方では又人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される塲合には、決して平氣でゐられない質だつたのです。私は彼の樣子を見て漸やく安心しました。すると彼は卒然「覺悟?」と聞きました。さうして私がまだ何とも答へない先に「覺悟、―覺悟ならない事もない」と付け加へました。彼の調子は獨言のやうでした。又夢の中の言葉のやうでした。
二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味を失つた杉の木立の茶褐色が、薄黑い空の中に、梢を並べて聳えてゐるのを振り返つて見た時は、寒さが脊中へ嚙り付いたやうな心持がしました。我々は夕暮の本郷臺を急ぎ足でどしどし通り拔けて、又向ふの岡へ上るべく小石川の谷へ下りたのです。私は其頃になつて、漸やく外套の下に體の温か味を感じ出した位です。
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ここで振り返った――人でなしの醜悪な「先生」が見る――「霜に打たれて蒼味を失つた杉の木立の茶褐色が、薄黑い空の中に、梢を並べて聳えてゐる」のを見た「先生」の視線はスゥイフトや龍之介の視線と全く相同であると私は思うのである。因みに、龍之介の師でもあった当の漱石が激賞したのもスウィフトであった。
・「わたしはスウイフトほど頭の好い一代の鬼才に生まれなかつたことをひそかに幸福に思つてゐる」私も年を重ねてくると(本年満五十九)、流石に偏愛し続けている芥川龍之介でも、こうした言い回しは要らぬ「厭味」として、不快に響くようになってしまうものであることを今日、気がついた。]
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