和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 蟻
蟻【螘同】 蚍蜉【大蟻】
馬蟻【右同】
※2【赤色蟻】
ニイ 【和名阿里】
[やぶちゃん字注:「※1」=「虫」+「句」。「※2」=(上)「龍」+(下)「虫」。]
本綱蟻有君臣之義故字從義有大小黒白黃赤數種穴
居卵生其居有等其行有隊能知雨候春出冬蟄壅土成
封曰之蟻封【蟻垤蟻塿蟻冢並同】其如封垤塿冢也其卵名蚳【音遲】又
曰蝝【音員】山人掘之有至斗石者古人食之今亦南夷食之
其蟻卵醬味似肉醬也
嶺南多蟻其窠如薄絮囊連帶枝葉彼人以布袋貯之賣
與養柑子者以辟蠹蟲
五雜組云蟻黃色者小而健與黒者闘黒必敗僵屍蔽野
死者輙舁歸穴中又有黑者長寸許最強螫人痛不可忍
凡物之小而可愛者莫如蟻其占候似智其兼弱似勇其
呼類似仁其次序似義其不爽似信有君臣之義兄弟之
愛長幼之倫焉人之不如蟻者多矣人有掘地得蟻城者
【藻塩】水無月の照日の土のわれのみとありの通路行違ふ也
小説云孔子得九曲珠欲穿不得遇二女教以塗脂於線
使蟻通焉此與列子兩兒辯日事相似言聖人亦有所不
知也
△按泉州蟻通明神緣起畧與此同【詳于泉州】
*
あり 玄駒〔(げんく)〕【「※1」に同じ。】
蟻【「螘」に同じ。】蚍蜉〔(ひふ)〕【大蟻。】
馬蟻〔(ばぎ)〕【右に同じ。】
※2〔(ろう)〕【赤色の蟻。】
ニイ 【和名、阿里。】
[やぶちゃん字注:「※1」=「虫」+「句」。「※2」=(上)「龍」+(下)「虫」。]
「本綱」、蟻、君臣の義有り。故に字、「義」に從ふ。大小、黒・白・黃・赤の數種、有り。穴居して卵生す。其の居、等〔(たう)〕、有り、其れ、行〔くに〕、隊(つい)有り。能く雨候を知る。春、出でて、冬、蟄〔(すごもり)〕す。土に〔て〕壅〔(ふさ)ぎ〕、封を成す。之れを「蟻封」と曰ふ【蟻垤〔(ぎてつ)〕・蟻塿〔(ぎらう)〕・蟻冢〔(ぎちよう)〕、並びに同じ。】其れ、封垤のごとき塿冢なり。其の卵を「蚳」【音、「遲」。】と名づく。又、蝝【音、「員〔(エン)〕」。】と曰ふ。山人、之れを掘りて斗石〔(とこく)〕に至る者、有り。古人、之れを食ふ。今も亦、南夷に之れを食ふ。其の蟻卵の醬〔(ししびじほ)〕の味、肉醬〔(にくしやう)〕に似れり。
嶺南に蟻、多し。其の窠、薄き絮囊(わたぶくろ)のごとく、枝葉を連帶す。彼〔(か)〕の人、布袋〔(ぬのぶくろ)〕を以て之れを貯へ、賣りて柑子〔(かうじ)〕を養ふ者に與ふ。以て蠹蟲〔(きくひむし)〕を辟〔(さ)〕く。
「五雜組」に云ふ、『蟻の黃色なる者は小にして健(すくや)かなり。黒き者と闘へば、黒は必ず敗して、僵屍〔(きやうし)〕野に蔽ふ。死者、輙〔(すなは)〕ち、舁(か)いて穴中に歸る。』〔と〕。『又、黑〔くして〕長さ寸許りの〔もの〕有り。最も強にして人を螫す。痛み、忍ぶべからず。』〔と〕。『凡そ、物の小にして愛すべき者は蟻にしくこと莫し。其の候を占ふ、「智」に似たり。其の弱を兼〔(かぬ)〕るは「勇」に似れり。其の類を呼ぶは「仁」に似たり。其の序を次ぐは「義」に似たり。其の爽(たが)はざるは「信」に似たり。君臣の「義」・兄弟の「愛」・長幼の「倫」、有り。人の蟻にしかざる者、多し。』〔と〕。『人、地を掘りて蟻城を得る者、有り。』〔と〕。
【「藻塩」】水無月の照る日の土のわれのみとありの通ひ路行き違ふなり
小説に云ふ、孔子、九曲の珠を得〔(え)〕、穿(うが)たんと欲すれども得ず、二女の教〔(おしへ)〕に遇〔(あ)ひて〕、以て脂を線(いと)に塗りて蟻をして通さしむ。此れと「列子」に與〔(の)する〕、兩兒、日を辯ずる事、相ひ似たり。言ふ心は、聖人も亦、知らざる所(ところ)有り、となり。
△按ずるに、泉州「蟻通明神」の緣起、畧〔(ほぼ)〕、此れと同じ【泉州に詳し。】。
[やぶちゃん注:節足動物門昆虫綱ハチ目ハチ亜目有剣下目スズメバチ上科アリ科 Formicidae に属するアリ類の総論部。現在、世界で一万種以上、本邦では二百八十種以上が記載されている(ウィキの「アリ」に拠る)。但し、以下に述べるように、実際にはアリ類とは無縁の網翅上目ゴキブリ目シロアリ科 Termitidae のシロアリ類も含まれていると考えて考えてよく、実際、二つ後の「蟻」各項の最後に「螱(はあり)」として掲げられている。
・「等」等級。階級制度が蟻社会に存在することを明言している。素晴らしい! 社会性昆虫であることを「本草綱目」は既にして見抜いているのである!
・「隊(つい)」軍隊のような整然とした隊列を成すことを指す。
・「雨候」雨の気配を素早く予兆する。
・「壅〔(ふさ)ぎ」「塞」(ふさぐ)に同じい。
・「蟻封」「蟻垤〔(ぎてつ)〕」「蟻塿〔(ぎらう)〕」「蟻冢〔(ぎちよう)〕」総て蟻の巣のこと。所謂、「蟻塚」ではあるが、我々が想起する巨大な蟻塚というのはアリ類とは無縁の網翅上目ゴキブリ目シロアリ科 Termitidae のシロアリ類が造成するものであるので、誤解のないように(但し、これは現在の昆虫学の認識であり、時珍や良安は白蟻(現行のシロアリ類)も無論、蟻の仲間と考えていたであろうし、ここで語っているものはどう見ても巨大なシロアリ類の形成するそれであるようにしか読めぬことも事実ではある。
・「斗石」一斗や一石。明代の「一斗」は現在の十七リットル、「一石」は七十一キロ六百十八グラムにも及ぶ。
・「之れを食ふ」ウィキの「アリ」にも、『直接の利用としては、食用とされる例がある。アリ入りのチョコレートがはやった時代があり、日本からもアカヤマアリを』一箱に二十匹ほど『入れたチョコレート(商品名・チョコアンリ)が』一九五〇年代に『アメリカ向けへ多量に輸出されていた事がある』(使用されたのはアリ科ヤマアリ亜科ヤマアリ属アカヤマアリ亜属アカヤマアリ Formica sanguinea で、ウィキの「チョコアンリ」によれば、『アカヤマアリを油で揚げて塩味を付けたあとチョコレートでくるんだもの』で、『一粒あたり約』二十匹の『アリが入っていた。蟻酸のため甘酸っぱい味のするチョコレート』で『強心剤として効果があるとも言われた』。『アカヤマアリは長野県の戸隠・飯縄高原のカラマツ林に生息するものが収集され』、八月末に『地元の農家の人々が採集用の目の細かい網と、取ったアリを入れるための水の入った石油缶を用意して出かけた』。『このアリは林内の地上に高さ』二十センチメートルから一メートルにも『なる円錐形』『の蟻塚を作っている。蟻塚周辺には多数のアリが出歩いており、また攻撃的なアリで近づくものにはすぐに噛みついてくる』。『そのため、網を蟻塚にかぶせると多数のアリがその網に噛みついてくるので、収集は簡単であった。それを石油缶の中にはたき落とすことでアリを回収した』。『一日で二百匁程度は簡単に採集でき、百匁あたり四百円程度で買い取られた。そのため、一家総出で三日間働いて、一万円稼いだという話も残っている。現地には集荷場も作られ、乾燥させたものが長野市内を経由して東京の工場に運ばれた。地元では、思わぬ現金収入として喜ばれ、嫁入り支度をこれで整えたなどといった話も伝えられている。また、このために戸隠や飯縄高原では一時ヤマアカアリが減少したとも言われる』。価格は一粒で百八十円、一缶五十五グラム入りで、『横浜からニューヨークに出荷された。アメリカでも高級品とされ』、二千万円もの『外貨を稼いだとも伝えられる』とある。なお、私はこんなチョコレートは全く知らなかった)。『また、特殊な例としては、蜜をため込むミツアリの例もある』とある。この「ミツアリ」とはアリ科ヤマアリ亜科ケアリ族ミツツボアリ属 Myrmecocystus に属する種群で、本邦にはいないものと思われるが、オーストラリアの原住民アボリジニーがこれを採取して食用とするのを自然科学番組で見たことある。
・「南夷」南方の異民族。
・「嶺南」現在の広東省・広西省を含む広域古称。
・「絮囊(わたぶくろ」綿袋。
・「枝葉を連帶す」細く細かな通路によって細かな部屋が連絡し合っている、の謂いであろう。
・「柑子〔(かうじ)〕」広義の柑橘類と採っておく。
・「蠹蟲〔(きくひむし)〕」現行の昆虫学では狭義には昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目 Cucujiformia 下目ゾウムシ上科キクイムシ科 Scolytidae に属する「木喰虫」を指すが、実際には恐らく、木質部や紙を食害する多食亜目ナガシンクイ上科シバンムシ科 Anobiidae に属する「死番虫」や、書物を食害するとされた昆虫綱シミ目 Thysanura の「紙魚」(実際には顕在的な食害は認められないのが事実である)の仲間をも含んでいるように思われる。
・「辟〔(さ)〕く」避ける。
・「五雜組」既出既注。以下は、『蟻の黃色なる者は小にして健(すくや)かなり。黒き者と闘へば、黒は必ず敗して、僵屍〔(きやうし)〕野に蔽ふ。死者、輙〔(すなは)〕ち、舁(か)いて穴中に歸る』と『又、黑〔くして〕長さ寸許りの〔もの〕有り。最も強にして人を螫す。痛み、忍ぶべからず。』の部分が、「物部」の「七」の、
*
蟻有黃色者小而復眞叩者開洲必敗僵屍蔽野死者輒羿歸穴中畏亂之世戰骨如麻人不及蟻多矣又有黑者長寸許最強螫人痛不可忍亦有翼而飛者
*
に拠り、『凡そ、物の小にして愛すべき者は蟻にしくこと莫し。其の候を占ふ、「智」に似たり。其の弱を兼〔(かぬ)〕るは「勇」に似れり。其の類を呼ぶは「仁」に似たり。其の序を次ぐは「義」に似たり。其の爽(たが)はざるは「信」に似たり。君臣の「義」・兄弟の「愛」・長幼の「倫」、有り。人の蟻にしかざる者、多し。』と『人、地を掘りて蟻城を得る者、有り』の部分が同じ「七」の、
*
物之小而可愛考某如蟻其占假似智其羔弱似勇其呼類似仁其次序似義其不奚似信有君臣乏義焉兄第之愛焉長切之倫焉人之不如蟻者二矣故淳于禁維酒遣世而甘爲之稽亦有激之言也
人有插地得蟻城者街市屋宇棲壤門巷井忒有條唐五行志門成元年眾城有蟻聚長五六十步凋五尺至一丈厚五寸至尺可謂異矣蜂亦有之床
*
に拠る。
・「藻塩」月村斎宗碩(そうせき)編「藻塩草」。連歌を詠むために用いるもので、古典等から語句を集め、注解を加えた一種の字書。全十冊。二十部門に分類されている。藻塩草とはまさに藻塩(海藻からとれる塩)をとるために使う海藻(概ね不等毛植物門褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属 Sargassum の類)を指し、その際、掻き集めて潮水を注ぐことから「書き集める」の掛詞となったものを書名とした。
・「水無月の照る日の土のわれのみとありの通ひ路行き違ふなり」東洋文庫版現代語訳では、
水無月や照る日の土のわれのみとありの通ひ路行き違ふなり
とする。しかし、これは「万葉集」の「卷第十」の「夏の相聞」に載る(第一九九五番歌)、
日に寄せたる
六月(みなづき)の地(つち)さへ裂けて照る日にも我が袖乾(ひ)めや君に逢はずして
という絶唱恋歌の極めて安易で下らぬ替え歌に過ぎぬ。
・「小説」中国で日常の出来事に関する些末な意見や主張・見解・聞書の謂いで、本来、漢文学では「取るに足りない下らぬ論議」の意を持つ。
・「孔子、九曲の珠を得〔(え)〕、穿(うが)たんと欲すれども得ず、二女の教〔(おしへ)〕に遇〔(あ)ひて〕、以て脂を線(いと)に塗りて蟻をして通さしむ」「九曲の珠」とは本邦の勾玉(まがたま)のような宝玉製のアクセサリーのことと思う。その小さな貫通した穴(既に開けられていたのであってここで新たに穿ったとは読めない)に装飾用に糸を通すための方法を述べたものと思われる。孔子を主人公とするが、如何にも孔子らしからぬ下らぬエピソードで、後世の作話である。
・「列子」春秋時代の虚心説を唱えた思想家(名は禦寇(ぎょこう))の著書とされる道家思想書。八編。但し、現行本は前漢末から晋代にかけて成立したものと推測される。故事・寓言・神話などを多く載せ、唐代には道教の教典として尊ばれ、「沖虚真経(ちゅうきょしんけい)」などと称された。
・「兩兒、日を辯ずる事」「列子」の「湯問第五」の七話目に載る以下の話。
*
孔子東游、見兩小兒辯鬪、問其故。一兒曰、「我以日始出時去人近、而日中時遠也。」。一兒以日初出遠、而日中時近也。一兒曰、「日初出大如車蓋、及日中、則如盤盂。此不爲遠者小而近者大乎。」。一兒曰、「日初出滄滄涼涼。及其日中、如探湯。此不爲近者熱而遠者涼乎。」孔子不能決也。兩小兒笑曰、「孰爲汝多知乎。」。
○やぶちゃんの書き下し文
孔子、東に游びて、兩小兒の辯鬪(べんたう)するを見、其の故を問ふ。一兒曰く、
「我れ以(おもへ)らく、日(ひ)、始めて出ずる時は、人を去るに近して、而して、日、中(ちゆう)する時は遠し。」
と。一兒、
「以らく、日、初めて出づるときは遠く、而して、日、中する時は近し。」
と。一兒曰く、
「日の初めて出づるや、大いさ、車蓋(しやがい)のごとく、日の中するに及びて、則ち、盤盂(ばんう)のごとし。此れ、遠き者、小さくして、近き者、大いなるが爲めならずや。」
と。一兒曰く、
「日の初めて出づるや、滄滄として涼涼たり。其の日の中するに及びては、湯を探ぐるがごとし。此れ、近き者、熱くして、遠き者、涼しきが爲めならずや。」
と。孔子、決すること、能はず。兩小兒、笑ひて曰く、
「孰(たれ)か、汝を多知なりと爲(い)ふや。」
と。
*
「辯鬪」は言い争い。「車蓋」は車の輪のことの誤字であろう。「盤盂」はお盆やお椀。「滄滄として涼涼たり」何とも言えず寒々として涼しい。
・「泉州」和泉国。現在の大阪府南西部に相当する。
・「蟻通明神」現在の大阪府泉佐野市長滝(ながたき)にある蟻通(ありとおし)神社。祭神は大国主命。ウィキの「蟻通神社」によれば、かつては熊野街道『沿いに広大な境内地を有する神社であったが、第二次世界大戦中、明野陸軍飛行学校佐野分教場(佐野飛行場)建設のため現在の長滝地区に移転。規模も縮小した』。『紀貫之ゆかりの神社で』、『昔、紀貫之が和泉の国を旅する途中うっかりと蟻通明神の神域に騎馬のまま乗り込んで罰を受け』、『馬が倒れたのを見て神の怒りを悟った貫之はとっさに「かきくもり あやめもしらぬ おほそらに ありとほしをおもふべしやは」(二重の意味を読み込んだ歌で、曇り空に星を思うというのが表の意味、裏読みすると無知ゆえに神の怒りを買ったことを謝罪する意味になる)と詠み、神は心を和らげて馬を復活させたという』。『のちに世阿弥がこの故事を素材に能曲「蟻通」を作曲したため有名になり、笠森お仙を描いた鈴木春信の浮世絵にも背景として取り上げられている』とある。
・「泉州に詳し」「和漢三才図会」の「卷第七十六」の「和泉」の「日根(ひね)郡」の「蟻通明神」の項を指す。そこには本邦での話として「七曲の珠」が出てきて、それに糸を通す方法を教えるのは七十に近い老父である。]
« 萩原朔太郎「人間の退化について」+「傾斜に立ちて」 | トップページ | 「笈の小文」の旅シンクロニティ―― 鹿の角先づ一ふしの別れかな / 草臥て宿かる比や藤の花 芭蕉 »