吾亦紅 原民喜 (恣意的正字化版) 附やぶちゃん注 「草木」
草木
庭の片隅に移し植ゑた萩は毎年、夏の終りには、垣根の上まで繁り、小さな紅い花を持つた。暑い陽光に蒸れる地面も、その邊だけは爽やかな日蔭となり、こまかなみどりが風に搖れてゐた。私は、あの風にゆらめく葉をぼんやりと眺めてゐると、そのまま、いつまでも、ここの生活がうつろはないもののやうな氣持がしたのだが……。最初その小さな庭に、妻と二人でおりたち、前の借主が殘して行つた、いろんな草木を掘返した時の子供つぽい姿が、――素足で踏む黑土の鮮やかなにほひとともに――今も眼さきに髣髴とする。さういへば、二人であの淺い濁つた海に浸つたとき海水で顏を洗ひ、手拭の下から覗いた顏もまるで女學生の表情だつた。はじめのころ妻は、クロツカアズ、アネモネ、ヒヤシンスなど買つて來て、この土地での春を待つた。私は私で、芝生を一めんに繁らさうと工夫した。春さきになると、まづ壺すみれが日南に咲いた。それからクローバー、車前草(おほばこ)、藜(あかざ)などがほしいままに繁つた。黃色い暑苦しい花、焰のやうな眞赤な小さな花、黃や紫の白粉花など、毎歳その土地には絶えなかつた。ダリヤは花を持つ頃になると風に吹き折られた。紺菊は霜に痛められて細細と咲いた。庭の手入も、年とともに等閑になつたが、鬼灯ばかりは最後の年までよく出來た。私はその靑い實の一輪を妻の病床に飾つたのだつた。
一つ一つはもう憶ひ出せないが、私は妻とあの土地で暮した間、どれほどかずかずの植物に親しみ、しみじみそれを眺めたことか。妻が死んだ翌日、佛壇に供へる花を求めて、その名を花屋に問ふと、われもかう、この花を、つくづくと眺めたのはその時がはじめてだつた。が、その花を持つて家に歸る途中、自轉車の後に同じ吾亦紅と薄の穗を括りつけてゆく子供の姿をふと見かけた。お月見も近いのだな、と私はおもつた。
[やぶちゃん注:貞恵の亡くなったのは昭和一九(一九四四)年九月二十八日であった。「焰」は底本の用字である。「日南」は「ひなた」、「白粉花」は「おしろひばな(おしろいばな)」と訓じておく(前者の読みについては、私の原民喜「幼年畫」の「招魂祭」(恣意的正字化版)の私の注を参照されたい)。「クロツカアズ」クロッカス(crocus:単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科クロッカス属 Crocus)であるが、ネット上で英語のネィティヴの発音を複数聴いてみると、これは我々が普段発音している「クロッカス」なんぞよりも「クロゥガァス」「クロッガズ」に近く、民喜の英語の音写は実はおかしなものではないことが判る(民喜は慶応義塾大学英文科卒である)。前章同様、本篇には博物学的興味からは多くの注を附したい欲求に駆られるのであるが、ここは切なく美しい絢爛たるカット・バックと、コーダのシークエンスを静かに味わって戴くため、敢えてこの注だけで留めおくこととする。前章「蟲」と全体と各部の美しい対表現が胸をうつ。]
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