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2016/05/16

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)始動/ 「侏儒の言葉」の序

[やぶちゃん注:私の古い電子テクストである『「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版)』(最初期形公開2005年12月4日/「やぶちゃん合成完全版」呼称化2006年7月15日/最終追補2007年2月11日)の注釈を同名のブログ・カテゴリで始動することとする。「やぶちゃん合成完全版」の内容は上記リンク先を参照されたい。実に凡そ十年振りに私の中のライフ・ワークに再び手を染めることとなる。【始動2016年5月16日】]

  

 「侏儒の言葉」の序

 

 「侏儒の言葉」は必しもわたしの思想を傳へるものではない。唯わたしの思想の變化を時々窺はせるのに過ぎぬものである。一本の草よりも一すぢの蔓草(つるくさ)、――しかもその蔓草は幾すぢも蔓を伸ばしてゐるかも知れない。

 

[やぶちゃん注:芥川龍之介自死の凡そ四ヶ月後の昭和二(一九二七)年十二月六日に文芸春秋社出版部より刊行された「侏儒の言葉」巻頭に掲げられた序(なお底本の岩波旧全集第九巻では、最後に改行して下インデント三字空きで「芥川龍之介」の署名を附すが、ここでは省略した)。

 この序は何時書かれたかは特定されていないが、二〇〇三年翰林書房刊「芥川龍之介新辞典」の鳥居邦朗氏の「侏儒の言葉」の解説には後の遺稿「侏儒の言葉」の『末尾に書かれた昭和元年のころと一応仮定してみることもできようか。いずれにせよ、1924年』(大正十二年:この年の一月に盟友菊池寛によって創刊された『文藝春秋』巻頭を飾ったのが事項に掲げる「星」であった)『ころから活字にしてきたものを3、4年経った時点でまとめて振り返ったときにこの感想を抱いたものであろう。言い方は率直でない。「思想」を表現していない、と言いながら、時々「思想の変化」が現れていると言っている。ここに何が表現されているかということになると、やはりそれは「思想」というほかはない。「思想」とも呼べないような「思想」に「過ぎぬもの」を読みとれというのであろう。さらにこれに続く題3の文がまた厄介である』とされ、「一本の草よりも一すぢの蔓草(つるくさ)、――しかもその蔓草は幾すぢも蔓を伸ばしてゐるかも知れない」を引いた上、『この「序」の要請するところに従って、「侏儒の言葉」の断章の間につながりを求め、幾すじにも枝分かれしている蔓草の枝の1本1本を引き出してその全体像を確かめることははたして可能であろうか。有効であろうか。少なくとも尋常な読み方では「序」の期待に応えることはできそうにない』と述べておられる。ここで鳥居氏が言っている遺稿「侏儒の言葉」の末尾というのは、昭和二(一九二七)年十二月一日発行の『文藝春秋』に「侏儒の言葉(遺稿)」の掉尾として初出する、

   *

       或夜の感想

 眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違ひあるまい。 (昭和改元の第二日)

   *

のクレジットを指す(これは五日後に刊行された上記単行本にも収録されている)。

 この「序」執筆時期の推定は私もその通りであると思し、鳥居氏の、このまさに厄介な本篇への見解も一応、芥川龍之介が仕掛けた「侏儒の言葉」という存在の多層性と逆説性を確かに言い得てはいるように思われる(なお、同項で鳥居氏は最初に『文藝春秋』に掲載された「侏儒の言葉」を『一 昔』としておられるが、これは「一 星」の誤植と思われる(「侏儒の言葉」の中に「昔」という小見出しの条は存在しない。なお、かく、初出では「一」と通し番号を振って標題とされていたことが判る。このことは旧全集後記には記されていないので特に記しおくこととする)。

 

・「侏儒」本篇総標題のそれは和訓では「ひきひと/ひきびと/ひきうど」(漢字表記「低人」「矬」)などと読み、①通常の人よりも著しく背がより低い人を指す(これらの訓の方はすでに本邦でも上代に用例がある)語で、所謂、差別的な謂いでの「小人(こびと)」、矮小奇形疾患としてのそれや、伝承や昔話に出る妖怪「一寸法師」を指すが、他に、②主に中国の古代の劇(主に滑稽な戯曲)に於いて、そうした実際の奇形疾患を持った者が所謂、道化として芝居の重要な役を担ったところから「俳優・役者」の意味を持つ(他に大修館書店「廣漢和辭典」に拠れば、③「棟木を支えるために梁の上に立てる短い「うだつ」の意や、④蜘蛛の意も持つ)。さらに本邦では、そうした差別的内実から転じて、⑤「見識のない愚かな人間」を罵って言う蔑称としても用いられた(この意は「廣漢和辭典」には載らない)。龍之介は自嘲的に最後の⑤「見識のない愚かな人間」という意味で用いていると考えられるが、平成七(一九九五)年新潮文庫刊「侏儒の言葉・西方の人」の神田由美子氏の注解では、『筆者の様々な思想の変化を示すという内容から、』私が②に出した「俳優・役者」『の意味合も含ませている』と述べておられ、これは芥川龍之介という一種「トリック・スター」とも言える存在から私は大いに首肯出来る見解と考えている

・「思想」例えば、本「侏儒の言葉」には芥川龍之介の言う「思想」というキー・ワードを解き明かし得る幾つかの断章があるにはある。例えば、

   *

       危險思想

 危險思想とは常識を實行に移さうとする思想である。

   *

       機智

 機智とは三段論法を缺いた思想であり、彼等の所謂「思想」とは思想を缺いた三段論法である。

   *

       自由思想家

 自由思想家の弱點は自由思想家であることである。彼は到底狂信者のやうに獰猛に戰ふことは出來ない。

   *

       「いろは」短歌

 我我の生活に缺くべからざる思想は或は「いろは」短歌に盡きてゐるかも知れない。

   *

これらはおいおい考察せざるを得ないものであり、ここでは掲げるにとどめおくこととする。

・「一本の草よりも一すぢの蔓草」これは意味深長である。単体として地面に生えている種から伸びた「一本」きり「の草」、立ち枯れてしまうかも知れぬ「一本の草」ではない。触手のように隙間に巧妙に入り込み、凡そ思いもよらないところから、その姿を覗かせて蔓延(はびこ)る「一すぢの蔓草」の先であり、まさに「しかもその蔓草は」枯れちまったと思わせながら、突如、驚くべき時と場所に「幾すぢも蔓を伸ばして」出現し、己れの存在を顕現させて甦ってくるように見「るかも知れない」「蔓草」なのである。而して私はこの「序」のこの箇所は、「侏儒の言葉」(遺稿)の先に示した掉尾の一つ前にある、「民衆」の三番目(標題は「又」であるが正文に換え、末尾の『(同上)』も正文とした)、

   *

       民衆

 わたしは勿論失敗だつた。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであらう。一本の木の枯れることは極めて區々たる問題に過ぎない。無數の種子を宿してゐる、大きい地面が存在する限りは。 (昭和改元の第一日)

   *

と美事に響き合うように書かれていることに気づくのである。]

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