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2016/05/21

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 鑑賞

 

       鑑賞

 

 藝術の鑑賞は藝術家自身と鑑賞家との協力である。云はば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身の創作を試みるのに過ぎない。この故に如何なる時代にも名聲を失はない作品は必ず種々の鑑賞を可能にする特色を具へてゐる。しかし種々の鑑賞を可能にすると云ふ意味はアナトオル・フランスの云ふやうに、何處か曖昧に出來てゐる爲、どう云ふ解釋を加へるのもたやすいと云ふ意味ではあるまい。寧ろ廬山の峯々のやうに、種々の立ち場から鑑賞され得る多面性を具へてゐるのであらう。

 

[やぶちゃん注:大正一二(一九二三)年六月号『文藝春秋』巻頭に前の「創作」及び後の「古典」「又」(「古典」の再標題の意)「幻滅した藝術家」と計五章で初出する。

 

・「アナトオル・フランスの云ふやうに」「アナトオル・フランス」は既に少し注した通り、芥川龍之介が傾倒したフランスの作家アナトール・フランス(Anatole France 一八四四年~一九二四年)のこと(本名はジャック・アナトール・フランソワ・ティボー(Jacques Anatole François Thibault)。セーヌ河畔の古本屋の息子として生まれ、若年から古書を通じて古典の世界に、また、河畔からのパリ風景を通じて古都の美に眼を開いていった。高踏派詩人ルコント・ド・リール(本名シャルル=マリ=ルネ・ルコント・ド・リール Charles-Marie-René Leconte de Lisle 一八一八年~一八九四年)の知遇を得て、高踏派の詩人として「黄金詩集」(Les Poèmes dorés (1873))を発表するが、やがて関心は小説の方に向いていく。小説家としての名声が高まったのは、「シルベストル・ボナールの罪」(Le Crime de Sylvestre Bonnard, membre de l’Institut (1881))によってである。続いて「バルタザール》(Balthasar (1889):英語からの重訳ながら、初期の龍之介に翻訳がある)・「タイス」(Thaïs(1890))・「鳥料理レーヌ・ペドーク亭」(La Rôtisserie de la reine Pédauque (1893))などが、懐疑主義と厭世主義を典雅な教養で包んだ独特な味わいによって好評を博した。彼はまた『ル・タン』誌の文芸時評を担当し、ブリュンティエール流の〈独断批評〉に対立する〈印象批評〉を世にひろめた。こうして一八九六年にアカデミー・フランセーズ会員に選ばれるが、ドレフュス事件に際してはゾラらのドレフュス擁護派に組した。これを契機として「ジェローム・コアニャール氏の意見」(Les Opinions de Jérôme Coignard (1893))・「赤い百合」(Le Lys rouge (1894))の作家は、徐々に政治や社会への関心を深め、四部作長編小説「現代史」(Histoire contemporaine (18971901))を発表、さらには社会主義へと傾斜していく。しかし、小説「神々は渇く」(Les Dieux ont soif (1912))にもみられるように、革命家の狂信もまた彼の排するところであった。一九二一年のノーベル文学賞を受けた彼は、その微温的な教養主義のゆえに、後にブルトンらの新世代の前衛たちの激しい攻撃の的となった(以上は平凡社の「世界大百科事典」の若林真氏の記載をもとに、一部に原題などを挿入した)。ここで龍之介が言っているのはまさに本「侏儒の言葉」が確信犯でインスパイアしたところのアフォリズム集「エピクロスの園」(Le Jardin d'Épicure1895)の中の一章を指す。これは私の所持する一九七四年岩波文庫刊大塚幸男訳のそれでは「傑作」と標題される(前に述べた通り、原典には実は標題はない)一章と思われ、そこでフランスは『人は何らかの幻想なくしては感嘆しない』と規定し、さすれば『一つの傑作を理解する』ということはとりもなおさず、『その傑作を自己の裡』(うち)『おいて新たに創造すること』に他ならないとする。さらに『同一の作品もそれを眺める人々次第で、人々の魂の中に多種多様に映る。人間の各世代は古い巨匠たちの作品を前にして何かの新しい感動を探すものなのである。最もめぐまれた観客は、何らかの幸いな』意味の解(と)り違い『という代償を払って、最も甘美な最も強い感動をおぼえる人である』。されば人類が情熱的に愛着を感じる芸術作品や詩作品は、そのいくつかの部分が晦渋(かいじゅう)でいろいろに異なった解釈ができるものだけであると見てよい。』(大塚訳。下線を引いた「意味の解(と)り違い」の箇所は、底本では「と」が「解」のルビでそれ以外の箇所には傍点「ヽ」が振られてある)とある部分を指すように思われる(新潮文庫の神田由美子氏も私と同じ大塚訳の後半部分を引いておられる)。これは龍之介が疑義を出して否定している「何處か曖昧に出來てゐる爲、どう云ふ解釋を加へるのもたやすいと云ふ意味」に一致するからである。ただ、岩波新全集の山田俊治氏の注は「エピクロスの園」の一節として、『「人間といふものは、美術或いは文芸の作品にして、それに幾らか朦朧としたところがあり、多様な解釈をあたへ得る余地があるものでなければ、情熱的には殆ど惹きつけられないのである」(草野貞之訳)』と引いており、かなり異なる。しかし、その言っているところの核心は一致しており、同じ箇所の訳と思われる(管見したが、大塚訳の他の箇所にはこのような部分は見当たらない)。

・「廬山」「ろざん」。現在の中華人民共和国の江西省九江市南部にある名山。峰々が形成する風景の雄大にして奇絶、峻嶮にして秀麗なさまで古くから知られ、ここが天候や観る場所によって多種多様な美観を呈するとされることに擬えたのである。]

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