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2016/05/18

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 修身

 

       修身

 

 道德は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。

         *

 道德の與へたる恩惠は時間と勞力との節約である。道德の與へる損害は完全なる良心の麻痺である。

         *

 妄に道德に反するものは經濟の念に乏しいものである。妄に道德に屈するものは臆病ものか怠けものである。

         *

 我我を支配する道德は資本主義に毒された封建時代の道德である。我我は殆ど損害の外に、何の恩惠にも浴してゐない。

         *

 強者は道德を蹂躙するであらう。弱者は又道德に愛撫されるであらう。道德の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。

         *

 道德は常に古着である。

         *

 良心は我我の口髭のやうに年齡と共に生ずるものではない。我我は良心を得る爲にも若干の訓練を要するのである。

         *

 一國民の九割強は一生良心を持たぬものである。

         *

 我我の悲劇は年少の爲、或は訓練の足りない爲、まだ良心を捉へ得ぬ前に、破廉恥漢の非難を受けることである。

 我我の喜劇は年少の爲、或は訓練の足りない爲、破廉恥漢の非難を受けた後に、やつと良心を捉へることである。

         *

 良心とは嚴肅なる趣味である。

         *

 良心は道德を造るかも知れぬ。しかし道德は未だ甞て、良心の良の字も造つたことはない。

         *

 良心もあらゆる趣味のやうに、病的なる愛好者を持つてゐる。さう云ふ愛好者は十中八九、聰明なる貴族か富豪かである。

 

[やぶちゃん注:初出は大正一二(一九二三)年三月号『文藝春秋』巻頭。標題は「修身」であるが、龍之介は本篇本文の中でこの語を一度も用いていない(どころか、私の『「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版)』全篇、他にこの「修身」という語は用いられていない。「修身」(しうしん(しゅうしん))という語は、四書五経の一つである「大學」の冒頭「經(けい)一章」は以下で始まる(最後の部分は伝本によって異なるが、私の理解出来るそれを採った。下線やぶちゃん)。

原文

大學之道、在明明德、在親民、在止於至善。知止而后有定、定而后能靜、靜而后能安、安而后能慮、慮而后能得。物有本末、事有終始、知所先後、則近道矣。

古之欲明明德於天下者、先治其國。欲治其國者、先齊其家。欲齊其家者、先修其身。欲修其身者、先正其心。欲正其心者、先誠其意。欲誠其意者、先致其知。致知在格物。物格而後知至、知至而後意誠。意誠而後心正。心正而後身修、身修而後家齊、家齊而後國治、國治而後天下平。自天子以至於庶人、壹是皆以修身爲本。其本亂而末治者否矣。其所厚者薄、而其所薄者厚、未之有也。

やぶちゃんの書き下し文

大學の道は、明德を明らむに在り、民を親(あら)たにするに在り、至善に止(とど)まるに在り。止まるを知りて后(のち)、定まり、定まりて后、能く靜たり、静にして后、能く安んじ、安んじて后、能く慮(おもんぱか)り、慮りて后、能く得(う)。物に本末有り、事(こと)に終始有り。先後(せんこう)する所を知れば、則ち、道に近し。

古への明德を天下に明らめんと欲する者は、先づ、其の國を治む。其の國を治めんと欲する者は、先づ、其の家を齊(ととの)ふ。其の家を齊へんと欲する者は、先づ、其の身を修む。其の身を修めんと欲する者は、先づ、其の心を正しうす。其の心を正しうせんと欲する者は、先づ、其の意を誠(まこと)にす。其の意を誠にせんと欲する者は、先づ、其の知を致(いた)す。知を致すは、物に格(いた)るに在り。物、格(いた)りて後、知、至る。知、至りて後、意誠(いせい)たり。

意誠にして後、心、正し。心、正しうして后、身、修まり、身、修りて后、家、斉ひ、家、斉ひて后、國、治まり、国、治まりて后、天下、平らかたり。天子より以つて庶人に至るまで、壱是(いうし)に皆、身を修むるを以つて本(ほん)と爲す。其の本、亂れて末(すゑ)治まる者は否(あら)ず。其の厚くすべき所の者の薄くし、その薄くすべき所の者の厚きは、未だ之れ、有らざるなり。

ここで言う「明德」とは天賦の間本来の徳性を指す。「致す」とは十全に行き届くように心がけることであろう(実際にそうなるかどうかは次の段階である)。「意誠」は、誠意に満ちた状態、即ち、「まこと」の思いが心に満ちることであろう。「壱是」は一切に同じい。

 即ち、本来の「修身」は個人の中にもともとあるところの、即ち、ア・プリオリな真に人間的な、個人の本性が正しくゾルレン(当為)と認識しているはずところのものをひたすら求め、知によってそれを十全に支えることで、完成し、それが結果として家を国家を世界を宇宙を安んずることになるという様態を表わしていると私は認識する。本来の「修身」とは則ち、「自分の行いを正しくするようにつとめること」が、共時的に結果的に国家を正しく治めることと等価になるというのである。「大學」の述べる本質は禅的な超個人主義をメビウスの帯のように現実の政治思想と結んでいるところに面白さがあると私は思う。そこでは「修身」の起点は既にして消失しているからである。さすれば、本篇「の良心とは嚴肅なる趣味である。」というのは個人主義の原理から第十条「大學」原義に回帰するものであると言えよう。

 しかしながら、我々はこのような深遠で逆説的な哲学として龍之介の提示した「修身」という単語を捉えはしない。即ち、「修身」という括弧附きのそれは、まさに旧制小・中学校の教科目の一つとして敗戦以前に行われていた道徳教育を中心とした、大日本帝国という国家の行った国家のための道徳観念の強制注入授業を多くの人間が認識する(若い読者の場合は、「修身」を辞書で引き、その意味の中に馴染みのある「道徳」という授業名を見、それと同義と認識する点に於いて、大きな認識スタートの差異はないと私は考える)ものを確信犯で限定的に狙撃するものである。それがターゲットであることは、第四条「我我を支配する道德は資本主義に毒された封建時代の道德である。我我は殆ど損害の外に、何の恩惠にも浴してゐない。」や、第十一条「良心は道德を造るかも知れぬ。しかし道德は未だ甞て、良心の良の字も造つたことはない。によってはっきりと示されているのである。」によってはっきりと指弾されているのである。

 芥川龍之介は明らかに「修身」の授業にシンボライズされるように、国家が絶対強制してくる「道德」として「修身」、当時の教育の「修身」が強迫してくるところの「大日本帝国の日本人の良心」としての第二条にある如く「『麻痺』した『良心』に基づく良心なき修身」=「忌まわしき道德」を銀のピンセットで解剖しているのである。本篇をフラットな普遍的「修身」=「道德」の哲学的考察などと読む者はまさに龍之介の術数に嵌ったも同然、と言わねばならぬのである。さればこそ、この十二条の塊りは是非とも、脳内で綜合的に繫ぎ合わされて読まれねばならないのである(後述)。

 なお、近代史的に現代語の「修身」という語の濫觴はウィキの「修身」によれば、『明治期に、モラルサイヤンス(moral science)を修身論と翻訳したのは福澤諭吉・小幡篤次郎などの慶應義塾関係者である』。とあって、「福沢全集」巻一の「緒言」から以下のように引用されてある(一部の漢字を正字化し、一部の読みを省略し、句読点を附加した)。

   *

明治元年の事と覺ゆ。或日、小幡篤次郎氏が散步の途中、書物屋の店頭(みせさき)に一册の古本(ふるほん)を得たり。とて塾に持歸(もちかへ)りて之を見れば、米國出版ウェーランド編纂のモラルサイヤンスと題したる原書にして、表題は道徳論に相違なし。同志打寄(うちよ)り、先づ其目錄に從て、書中の此處彼處(こゝかしこ)を二三枚づゝ熟讀するに、如何(いか)にも德義一偏(いつぺん)を論じたるものにして、甚だ面白し。斯る出版書が米國にあると云へば、一日も捨置(すてお)き難し、早速、購求(こうきう)せんとて横濱の洋書店(やうしよてん)丸屋に託して、同本六十部ばかりを取寄(とりよ)せ、モラルサイヤンスの譯字(やくじ)に就ても、樣々討議し、遂に之を、修身論(しうしんろん)と譯(やく)して、直に塾の教塲(けうぢやう)に用ひたり。

   *

 短章十二篇を一つの標題の中に詰め込んだこの形式のアフォリズムは「侏儒の言葉」の中では例を見ない特異点であることに気づかねばならぬ(後に「侏儒の言葉」を意図的に模した単発のものでは同様の形式を持つものはあるにはある)。龍之介にはこの時まだ、こうしたミクロとマクロを自在に行き交って相互変換の言説(ディスクール)に遊ぶ余裕が未だあったことを示していると私は考えるからである。後期以降の「侏儒の言葉」なら、これらは短章連続の「私」のように「又」で神経症的に繋げられつつ、しかも途中(十二篇全部を「又」にするのは、とても龍之介のダンディズムから考えられぬのは言うまでもない)適宜、別な標題に変えられてしまい、さらに「又」とされ、しかもいくつかはすかれて除去されてしまったに相違なく、そうだったすると、龍之介のこの強いアイロニーのメッセージ性は半減してしまっていたとも言えるのである。

 

・「左側通行」諸本を見ると、ここに何の注も示していないものを多く見かける(以前に曳いた新潮文庫の神田氏は正しくちゃんと注している)。ここは人の「修身」「道德」について述べているのであるから、これが――自動車等の現行の車道に於ける「左側通行」であろうはずがない――のである。この当時まで日本では相当古くから(少なくとも武士が台頭する平安末から鎌倉時代までは確実に遡れると私は考えている。鎌倉時代のそれを明記する記載例は、私の「北條九代記 卷之八 伊具入道射殺さる 付 諏訪刑部入道斬罪」を参照されたい)――人は左側通行が定められていた――のである(これは武士が左腰に刀を差していたことから、自然、相互に左側を通行する習慣が行われ、それが武士以下の階層にも遠慮として普及していたと考えられる。右側を行った場合、相手からすれ違いざま、不意に攻撃をかけられた場合、刀を差した左側から攻撃を受けることになり初動体勢が劣勢となり、そうでなくても狭い道では互いの刀の鞘が触れ合って無駄な諍いともなるからである)現在のように安全性を配慮した人と車の対面交通制度(車が左側通行で人は右側通行)となったのは昭和二五(一九五〇)年頃からで、それまでは人も車も左側通行であったのである。私でさえそうし記憶を持たない(私は昭和三二(一九五七)年生まれである)である。何の注釈もここに附けない編者というのは、これを車の「左側通行」ととんでもない勘違いをしているか(しかし学者先生にはそんな馬鹿はいないだろう)、そう誤読しても大した問題はないと考えているかのであろう。しかしだとすると、そうした一般読者を馬鹿にした編者は、編者、いやさ、学者の風上にも置けない救いようのない凡愚であり、研究者という看板を下ろすべきと斬り捨てておくものである。

 

・「妄に」「みだりに」。「濫りに」とも書く。形容動詞「みだりだ」の連用形が副詞化したもの。無闇矢鱈(むやみやたら)。これと言った理由もなく矢鱈に。筋が立っていない。出鱈目なさま。

・「蹂躙」「じうりん(じゅうりん)」。踏(ふ)み躙(にじ)ること。暴力的に侵犯すること。「蹂」は、踏む・足で踏みつけるの意で、「躙」は。押しつけて擦り動かすの意。

・「九割強」「強」とするところに数値推定のリアリズムを出そうとしていることに着目されたい。これはまさに芥川龍之介の肌身に感じていたものであったからこそ「強」なのである。これはまさに彼の家庭や身内や私的関係者にも感じていた実感だということである。龍之介を考える時、「強」の一字をさえ、我々は疎かにしてはならぬのである、と私は思う。

・「破廉恥漢の非難を受ける」自分が「破廉恥漢」という「非難を受ける」の謂いである。

・「良心もあらゆる趣味のやうに、病的なる愛好者を持つてゐる。さう云ふ愛好者は十中八九、聰明なる貴族か富豪かである」誤読してはいけない。「聰明なる貴族か富豪」は悍ましい「良心」の「病的なる愛好者」なのであって、「良心」の真の理解者である訳ではない。念のため。]

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