芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 強弱
強弱
強者とは敵を恐れぬ代りに友人を恐れるものである。一擊に敵を打ち倒すことには何の痛痒も感じない代りに、知らず識らず友人を傷けることには兒女に似た恐怖を感ずるものである。
弱者とは友人を恐れぬ代りに、敵を恐れるものである。この故に又至る處に架空の敵ばかり發見するものである。
[やぶちゃん注:大正一三(一九二四)年六月号『文藝春秋』(前号五月号は休刊)巻頭に前の「二宮尊德」「奴隷」(二章)「悲劇」及び後の「S・Mの智慧」の全六章で初出する。
・「痛痒」「「つうやう(つうよう)」。痛みと痒(かゆ)み。
・「弱者とは友人を恐れぬ代りに、敵を恐れるものである。この故に又至る處に架空の敵ばかり發見するものである。」我々はこのアフォリズムを読んだ際、哀しいことにそれを前の段落にフィード・バックさせない点に於いて、無意識のうちに自身を「弱者」と認めてしまっていると言える。しかし翻って、却ってこの龍之介マジックに騙されない者というのは、前段落に「強者とは敵を恐れぬ代りに友人を恐れるものである。一擊に敵を打ち倒すことには何の痛痒も感じない代りに、知らず識らず友人を傷つけることには兒女に似た恐怖を感ずるものである。この故に又至る處に架空の友ばかり發見するものである。」という附加文を見出して慄然とするであろう。自らを「強者」とする龍之介に反駁する者は、実は「架空の友」しか自分の周囲にはいないという、普段からどこかで感じているところの厳然たる事実を目の当たりにしなければならなくなり、それは大多数の無意識に「弱者」として自己を認知する大多数の読者以上に、絶望的な曠野が眼前に広がることとなるからである。]
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