和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 全蠍
全蠍 主簿蟲
蠆尾蟲
ツヱン ヒヱツ 【佐曽利】
[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「祁」。]
本綱其形如水黽八足而長尾有節色青螫人有毒雄者
若螫人痛止在一處用井泥傅之雌者痛牽諸處用瓦溝
下泥傅之皆可也蠍子多負於背子色白纔如稻粒
又云被蠍螫者以木椀合之神効
蠍青州山中石下有之江南舊無蠍唐開元初以來往往
有之産東方色青足厥陰經藥小兒驚風尤不可闕今多
以鹽泥貯之入藥有全用者謂之全蠍有用尾者謂之蠍
稍去足焙用
△按倭無蠍此蟲雖有治驚癇之功而常螫人之害甚大
焉然則無亦可也 本朝得中和之氣故諸毒藥亦不
猛烈也
五雜組云相傳爲蠍螫者忍痛問人曰吾爲蠍螫奈何答
曰尋癒矣便則豁然若叫號則愈痛一晝夜始止蠍雙尾
者殺人
[やぶちゃん字注:一部の「蠍」の字は「歇」の下に「虫」であるが、字義上の差異はないと判断して「蠍」で統一した。]
*
ぜんかつ 蛜※〔(いき)〕 杜白〔(とはく)〕
全蠍 主簿蟲〔(しゆんぼちゆう)〕
蠆尾蟲〔(たいびちゆう)〕
ツヱン ヒヱツ 【佐曽利。】
[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「祁」。]
「本綱」、其の形、水黽〔(あめんぼ)〕のごとく、八足にて長き尾、節、有り。色、青し。人を螫す。毒、有り。雄なる者、若〔(も)〕し人を螫せば、痛み、止〔(た)〕だ一處に在り。井の泥を用ひて之れを傅〔(つ)〕く。雌なる者、痛み、諸處に牽く。瓦溝の下の泥を用ひて之れに傅けて、皆、可なり。蠍の子、多く背に負ふ。子の色、白くして纔かに稻粒(いなつぶ)のごとし。
又、云ふ、蠍に螫され〔た〕る者、木〔の〕椀を以て之れに合はす。神効〔あり〕。
蠍は青州の山中、石の下に之れ有り。江南は舊(もと)、蠍、無し。唐の開元の初めより以來、往往〔にして〕之れ有り。東方に産〔するは〕、色、青く、足の厥陰經〔(けついんけい)〕の藥、小兒の驚風〔(きやうふう)に〕尤も闕〔(か)〕くべからず。今、多く鹽泥を以て之れを貯ふ。藥に入るるに、全く〔なるを〕用ふる者、有り。之れを「全蠍〔(ぜんかつ)〕」と謂ふ。尾を用ふること有り。之「蠍稍〔(かつしやう)〕」と謂ふ。足を去りて焙〔(あぶ)〕り用ふ。
△按ずるに、倭に、蠍、無し。此の蟲、驚癇〔(きやうかん)〕を治するの功有りと雖も、常に人を螫すの害、甚だ大なり。然〔(さ)す〕る時ば、則ち、無きも亦、可なり。 本朝は中和の氣を得る故、諸毒藥〔も〕亦、猛烈ならざるなり。
「五雜組」に云ふ、『相ひ傳ふ、蠍の爲〔(ため)〕、螫(さ)ゝるゝ者、痛みを忍(こら)へて人に問ひて曰く、「吾、蠍の爲めに螫れたり。奈何〔(いかん)〕せん。」。答へて曰く、「尋(つい)で癒(い)へん。」と。便〔(すなは)〕ち則〔ち〕、豁然〔(くわつぜん)〕たり。若〔(も)〕し、叫(わめ)き號(さけ)ぶ時は、則ち愈(いよいよ)、痛む。一晝夜にして始めて止む。』〔と〕。『蠍、雙尾〔(さうび)〕なる者、人を殺す。』〔と〕。
[やぶちゃん注:これは、
節足動物門鋏角亜門蛛形(クモ)綱サソリ目 Scorpiones
に属するサソリ類を指す(サソリ目は Pseudochactoidea 上科・キョクトウサソリ上科 Buthoidea・Chaeriloidea 上科・Chactoidea 上科・Iuroidea 上科・コガネサソリ上科Scorpionoidea の六上科に分かれる)。
但し、良安は日本に蠍はいないと言っているが、厳密にはこれは誤りであって、以下に見る通り、当時の日本にも
キョクトウサソリ上科キョクトウサソリ科Isometrus
属マダラサソリ Isometrus maculatus
が小笠原諸島に分布している。本「和漢三才図会」は正徳二(一七一二)年頃の完成であるが、小笠原諸島は文禄二(一五九三)年に深志城主(現在の長野県松本市)小笠原長時の孫小笠原貞頼が徳川家康の許しを得て出航、 八丈島の南東洋上で無人島を発見、島の品々を持ち返ってこの功績によって家康から「小笠原島」の名を賜ったと伝えられ、また正確な記録としては、延宝二(一六七四)年には江戸幕府が漂流民の報告を元に、浦(まつら)党の島谷市左衛門らに命じ、当時、長崎で建造されていた唐型船の富国寿丸(ふこくじゅまる)を派遣、 翌年の五月一日に船長島谷始め三十二名が上陸、方位測定を行なった上、鉱石・動植物など数百種を採取して同年六月十二日に下田に帰航している。この際、「此島大日本之内也」という碑も設置し、以上の調査結果は将軍幕閣に披露された。この時以降、この現在の小笠原諸島は「無人島(ぶにんじま)」と呼ばれるようになり、即ち、良安の生きた時代には「無人島(小笠原諸島)」は既にして正当な「日本」であったのである。
さらに附言すれば、現行の日本国内には沖縄県八重山諸島に、
コガネサソリ上科コガネサソリ科 Liocheles 属ヤエヤマサソリ
Liocheles australasiae
も棲息する。ウィキの「サソリ」によれば、ヤエヤマサソリは三センチメートル強の小型のサソリで、『東南アジア、オセアニア、オーストラリアなどに広く分布』する種で、『枯れ木の皮の下などに住み、シロアリなどを食べる。雄がほとんど存在せず、単為生殖で殖えるとされている。無毒とされる程毒性は弱い』とある。以下、前掲した、マダラサソリも掲げておくと、
マダラサソリ Isometrus maculatus
は六センチメートルほどの中型のサソリで、『人家の壁等に住み、毒はそれほど強くはなく、ミツバチ程度とされる。世界の熱帯地域に広く分布し、人為的に分布を広げたと思われる。日本では、沖縄の八重山諸島、宮古諸島、および小笠原諸島に分布し、時折、ホームセンターでの資材の中や、港の倉庫や、積み卸し荷の中で見つかり、パニックになる時もある』とある。
以下、ウィキの「サソリ」からサソリの概論部を引く。『命にかかわる毒を持つものはごく一部である』。少なくとも四億三千万年以上前から『存在した事が確認されており、現存する陸上生活史を持つ節足動物としては世界最古にあたる(ただし初期のサソリは水生動物であり、陸上進出自体はヤスデに後れをとった)』。『頭胸部と腹部はくびれずにつながっている。腹部は前腹部と後腹部に分かれる、後腹部は長い尾部になれ、曲げられる。その先端の尾節は少し膨らんで、曲がった毒針になっている』。『鋏角は短い鋏状、触肢は長く発達した鋏になっている。歩脚は』四対で、長さは第一対から第四対まで『どんどん長くなる。第四脚の付け根には、櫛状板と呼ばれる、整髪用の櫛の形の器官が左右』一対『ついている。腹部の腹面には各節に』一対ずつ、四対の書肺を持つ。『現生のサソリは頭胸部前方側面に』二~五対の『単眼の列(側眼)を、また頭胸部中央には上向きに露出する接近した』一対の単眼をもつ。『サソリは一見すると、その形状から陸生甲殻類と思う人も多いが、甲殻類との類縁関係は遠く、鋏角亜門クモ形類に属するので、クモ類の仲間であり、符節や脚部の構造にも、そういったクモ類との共通点が見られる。また、触肢と呼ばれるハサミの可動爪がエビやカニでは上側なのに対し、サソリでは下側であるのも特徴である。
サソリの体の構造は、様々な点で古生代前期に繁栄したウミサソリ類』(鋏角亜門カブトガニ綱 Merostomata(但し、異説有り)の広翼(ウミサソリ)目 Eurypterida の類。無論、絶滅種群である)『に似ており、特に体節の数や、全体のシルエットが似ていることから、直接の類縁関係があると言われる。しかし、これには疑問を唱える向きもある』。『現在知られている中での最大のサソリは、アフリカに生息する』サソリ目コガネサソリ科 Pandinus 属ダイオウサソリ Pandinus
imperator(英名:Emperor scorpion(エンペラー・スコーピオン))で最大二〇センチメートル以上にも達する世界最大のサソリで、黒色を呈し、強靭な鋏を持ち如何にも獰猛兇悪に見えるものの、実際には大人しく、毒性も低いので、最も一般的にペットとしても飼育販売されている。『歩く時は尾部を曲げて体の上の前方にのばす。餌を獲った時には、鋏で固定した餌に尾部の針を刺し、毒液を注入し、鋏角で小さくちぎって食べる』。『肉食で、昆虫などを餌にするが、時にはトカゲなどの小動物を襲う。それほど大食いではなく、絶食に耐えるものが多く、中には』一年『以上の絶食に耐えるものもある』。『主に夜行性で昼間は岩の下や土の中、何かの隙間に居る事が多い。元来活動はあまり活発ではなく、じっとして獲物が通るのを待っていたりする』。『サソリ類の配偶行動は、婚姻ダンスとして有名である。雌雄が互いの触肢、あるいは鋏角をつかみ合って、前後左右に動き、種によってはそれが数時間以上も続けられる。最終的に、雄は精包を地上に置き、そこへ雌を誘導し、雌はその精包を生殖口から取り入れることで、配偶行動は完了する』。『サソリ類は、卵胎生と胎生の種に分けられ、雌親はサソリの形の幼生を産む。生まれた幼生は雌親の体の上に登り、その背中でしばらくの時間を過ごすが、一週間か』十日ほどで『独立し、自立生活に入る』。既に示した通り、『ヤエヤマサソリは雌性産生単為生殖することが分かっているが、個体数は少ないものの雄も存在する。その他』十種ほどの『種で単為生殖が知られ』ている。『雌雄の見分け方は腹部にある櫛状板(ペクチン)が大きい方が雄であるといわれ』、『また、雌の方が体が全般的に大きく、太っているが、雄の方は雌を交尾の婚姻ダンスの際に、雌を押さえつけておくために、雌よりも鋏が大きいというのも見分け方の一つである』。『サソリの婚姻行動は相性の悪い相手であれば、お互いに刺しあってどちらか一方を殺してしまったり、雌が雄を一方的に食べてしまったりするような行動をとってしまうケースもある』。『ファーブルはその行動を観察して、サソリはカマキリやクモのように、交尾後に雌が雄を捕食してしまうと思ってしまったが、これは狭い飼育ケージ内での観察であり、野外においての交尾後の共食いは少ないのではないかといわれている』。『サソリ類は世界に多く分布しており、種数は』一千種を『超える。基本的には暖かいところに多く、熱帯地方が分布の中心ではあるが、かなり寒い地方まで分布している種もある。日本では、南西諸島に』二種が『分布するだけだが、アジア大陸では、北朝鮮、内モンゴルにまで分布がある。湿潤な気候に生息する種もあるが、砂漠に生息する種もあり、適応範囲は広い。ヨーロッパでは地中海周辺地域に生息する。人間の生活範囲に生息するものもあり、それらの生活圏内に住む住人は、かならず靴を履く前に、中にサソリが入っていないか調べると言われる。このような種は、稀に荷物に紛れて輸送されることがあり、日本でも港で発見され、大騒ぎになる事がある』。『サソリの尾の先には毒針があり、これを使って毒を注入することは一般的によく知られており、猛毒により刺されたら死ぬ場合もあるとして恐れられている。神話伝説にも猛毒を持つサソリの話はたびたび出てくる。ギリシア神話では、英雄オーリーオーンを殺してさそり座になったサソリの話が有名である。神話や逸話によりサソリの毒性は誇張された形で認知されている。実際には、ほとんどのサソリの種は大型哺乳類を殺せるほどの猛毒は持っていない。その理由はサソリは昆虫など小動物を捕食する際に毒を使う事がほとんどであり、大型動物にそれを使うのは防御反応で、大型哺乳類の殺傷性を目的とした毒素ではない。人間に対して致命的な毒を持つものも存在するが、その数は』約一千種類中、僅か二十五種と『少ない』。『日本産の種の毒性は低い。日本以外の地域に生息する種でも人命に関わるような毒性を持つものは少ない。しかし、真に危険なものも実際に存在し、サソリによる死者は世界で年間』一千人以上とも『言われる。また、人家周辺に生息する種もあり、地域によっては被害を受けやすく、南方地域では、靴を履く時に、靴を裏返してサソリがいないかどうか確かめる地域があるとされる』。『毒性の弱い種であっても、刺された結果スズメバチの場合と同様』、『アナフィラキシーショックのような症状に陥ること』があるから刺された場合には注意が必要である。『人命に関わる猛毒をもつ種類は』、
キョクトウサソリ上科キョクトウサソリ科Androctonus 属イエロー・ファットテール・スコーピオン Androctonus australis(英名 yellow Fattail scorpion:『北アフリカに分布する尾の太い中型のサソリ。強い毒を持ち、死亡例もある。近似種のAndroctonus
bicolorや、キョクトウサソリ上科キョクトウサソリ科Buthus
occitanusと共に危険な種である。ペットとしての人気は高かったが、他のキョクトウサソリ達と同様に、現在は法律により研究施設等以外での飼育は禁止されている』)
や、
キョクトウサソリ上科キョクトウサソリ科 Centruroides 属ストライプ・バーク・スコーピオン Centruroides vittatus(英名 striped bark scorpion:学名からセントルロイデス・スコーピオンとも呼ばれる四センチメートルほどの小型種で、弱々しくみえるものの、『強力な毒をもつ。フロリダにも近似種のCentruroides
gracilisが分布し、いずれも毒性が強い危険な種である』)
で、中でも最強の毒を持つのとされるのは中近東に棲息する、
キョクトウサソリ上科キョクトウサソリ科オブトサソリ Leiurus quinquestriatus 及びその近縁種(英名 Deathstalker(デスストーカー。「忍び寄る死神」ほどの謂いか):尾接の第五間接部が黒いのが特徴で、『サソリのなかで最強の毒をもつといわれる。非常に攻撃的で素早い危険なサソリ』)
『といわれている。それら強力な毒を持つサソリの多くは、キョクトウサソリ科で占められており、現在これらキョクトウサソリ科のグループは、日本への輸入が原則禁止となっている』。『漢方の生薬学においては、有名なものではトリカブト(附子)などのように、毒性を持つものが独特の効力を発揮するものとして、しばしば生薬に利用されるが、毒性を持つサソリも卒中や神経麻痺・痙攣に効果があるとされる。生薬名を「全蝎」というが、これは生きたままのサソリを食塩水で丸ごと煮てから、全体を乾燥させたものを、生薬として使用されることからこう呼ばれている』。『昆虫などをエサにするサソリだが、実はサソリ自体にも多くの天敵が存在し、それらの捕食動物相手には、毒針と鋏を振るって応戦するが、相手によっては毒に免疫を持っている場合もあり、自分より大きな動物相手には一方的に捕食されてしまうケースが多い』。サソリの天敵はイタチやジャコウネコ科(食肉目ネコ型亜目ジャコウネコ科 Viverridaeなどの肉食性哺乳類及び鳥類・爬虫類、『他に同じサソリや、肉食性の昆虫類にオオツチグモ類』(鋏角亜門蛛形(クモ)綱クモ目オオツチグモ科 Theraphosidae)『やムカデ類などにも捕食される』。『毒を持つサソリ類を好んで食べるクジャクは古代から益鳥として尊ばれ、仏教では孔雀明王として信仰対象にも取り入れられた』。『サソリは見た目がザリガニのように見えるので、堅い皮膚を持っていそうだと思われがちだが、クモ類よりは堅いとはいえ、甲虫や甲殻類に比べればそれほど堅くないために、他の多くの肉食動物の格好のエサにされてしまうようである』。『サソリが隠密性の強い生き物であるのも、こういった多くの天敵から逃れる手段ではないかと考えられ』ている。なお、『サソリに暗闇でブラックライトを当てると、どの種も緑色に光る。表皮にあるヒアリン層が蛍光を発するとされるが、これには少なくともβ-カルボリンが関わって』おり、『産まれたてのサソリにはヒアリン層がないが、脱皮を重ねて成長する毎に増え、発光現象が強くなる』。『液浸標本にしても、周囲にヒアリン層が溶け出して、光る』とされ、『脱皮した後の脱皮殻も光る』。この蛍光現象は『サソリの他のクモ類、さらに昆虫類と一部のヤスデ』でも見られるという。絶滅種群である『ウミサソリ類は形態的に共通点が多く、一部の種は陸に上がったと思われることもあって、これがサソリ類の直接の先祖であるとの考えがある。これには異論があるものの、サソリがクモ綱の中で最初期に分化した生物であるという事については長く信じられている。化石は古生代シルル紀まで遡る。中生代までのものは水中生活のものがあったと考えられる。 この類に見られる卵胎生や胎生は陸上生活への適応と見られる』とある。なお、本項目名を「全蠍」とするのはおかしい。これは本文でも述べている通り、一匹まるまるを生薬とした際の「生薬名」だからである。ここは「蠍」だけが正しい。
・「蛜※〔(いき)〕」読みは東洋文庫版現代語訳を参照した。
・「主簿蟲〔(しゆんぼちゆう)〕」「本草綱目」には、
*
時珍曰、按「唐史」云、劍南本無蠍、有主簿將至、遂呼爲主簿蟲。又、張揖「廣雅」云、杜伯、蠍也。陸璣「詩疏」云、蠆一名杜伯、幽州人謂之蠍。觀此、則主簿乃杜伯之訛、而後人遂附會爲蠆。
*
とある。これは本文にも出るが、「唐史」によると、剣南(これは現在の四川省北部の剣門山脈以南の地で、本文の「江南」は長江南岸地域であるから、ずっと西にずれる)にはもともと蠍は棲息しなかったが、とある主簿(中央及び郡県の属官で帳簿を管理し、庶務を統轄した官職)が生きた蠍をその地にもたらして繁殖させた(させてしまった)ことによる呼び名とするのであるが、時珍はそれに対して、これは蠍の別名である「杜伯」(本文の「杜白」)という名が訛って「主簿」と誤って漢字が当てられたに過ぎぬ牽強付会だと一蹴しているのである。
・「蠆」の字は本書で今までも刺す虫に盛んに用いられてきているが、元はサソリの形状を指す象形文字的な形声字である。
・「水黽〔(あめんぼ)〕」音なら「すいばう(すいぼう)」。東洋文庫版現代語訳は「黽」に『かえる』とルビするが(単漢字では確かに蛙を指す)、採らない。現代中国語でも半翅(カメムシ)目異翅(カメムシ)亜目アメンボ下目アメンボ上科アメンボ科 Gerridae をかく表記し、実際にサソリはカエルよりもアメンボに似ているからである。
・「佐曽利」和名の「さそり」は、荒俣宏氏の「世界大博物図鑑 1 蟲類」の「サソリ」によれば、膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目アナバチ科ジガバチ(似我蜂)亜科ジガバチ族 Ammophilini に属する『ジガバチの古名』とあり、『人を刺す習性から流用されたものか』と推定されておられる。ジガバチ類は積極的に人を刺すこと(人に対する攻撃習性)はないが、ネットを検索すると刺された記載がある。
・「井の泥」井戸の底に溜まる泥。
・「傅〔(つ)〕く」塗りつける。
・「諸處に牽く」刺された部位から広く全身に広がる、という謂いであろう。
・「瓦溝の下の泥」屋根瓦の端の雨樋のような箇所に溜まった泥の謂いであろう。「本草綱目」には『瓦屋溝下泥』とある。
・「蠍の子、多く背に負ふ。子の色、白くして纔かに稻粒(いなつぶ)のごとし」子を背負って保育することはウィキにも載っていたが、私はとある海外の自然ドキュメンタリーでサソリの保育を親しく見たことがあるのであるが、その小さな子の量は半端なく多く、しかもサソリは極度の近眼であるため、母サソリから降りて、眼前をうろついている子が当の母に餌として捕食されてしまう場面をつぶさに観察した。何か、哀しい気がした。
・「木〔の〕椀を以て之れに合はす」木製のお椀をそこにぴったりとくっつける。これは毒の吸引具ということであれば腑に落ちる。
・「青州」現在の山東省・遼寧省の旧広域地方名。
・「唐の開元の初め」開元元年はユリウス暦七一三年。開元は二十九年まで。この頃は玄宗の治世の前半で「開元の治」と呼ばれる善政が敷かれ、唐の絶頂期と評価される時期である。
・「厥陰經〔(けついんけい)〕」古代中国の医学に於ける十二経絡(人体の中の気血栄衛(気や血や水などといった生きるために必要なもの。現代の代謝物質に相当)の「通り道」として考えられた導管。「経」脈は縦の脈、「絡」脈は横の脈の意)の一つ。この場合は足を流れるとする厥陰肝経(肝臓と胆嚢及び目の周囲を掌る)の不全を指すから、「厥陰病」と考えてよいか。ウィキの「厥陰病」によれば、後漢末から三国時代にかけて張仲景が編纂した知られた医学書「傷寒論」によれば、『「厥陰の病たる、気上がって心を撞き、心中疼熱し、飢えて食を欲せず、食すれば則ち吐しこれを下せば利止まず」といわれ上気して顔色は一見赤みがかっているが、下半身は冷え、咽が渇き、胸が熱く、疼み、空腹だが飲食できない。多くはやがて死に至る』とある重病である。
・「小兒の驚風」小児が「ひきつけ」を起こす病気の称。現在の癲癇(てんかん)症や髄膜炎の類に相当する。後の「驚癇」も同じい。
・「闕〔(か)〕く」欠く。
・「鹽泥」強い塩分を持った泥のことであろう。塩湖の湖底や海浜の泥か。
・「蠍稍〔(かつしやう)〕」「稍」は僅か・少しの意。
・「足を去りて」脚部を総て取り去って。
・「然〔(さ)す〕る時ば」さすれば。
・「中和の氣」陰陽(或いは天地)の気が程よく調和がとれている、中庸の気風に満ちている、というのである。良安の精神上の日本観が窺えるところである。
・「五雜組」明の謝肇淛(しゃちょうせい)の十六巻からなる随筆集であるが、殆んど百科全書的内容を持ち、日本では江戸時代に愛読された。書名は五色の糸で撚(よ)った組紐のこと。以下は同書の「卷九」に、
*
京師多蠍、近來不甚復見、惟山東平、陰陽谷等處最多。過其蟄時、發巨石下、動得數鬥。小民亦有取以爲膳者。相傳爲蠍螫者忍痛問人曰「吾爲蠍螫、奈何。」、答曰、「尋愈矣。」。便即豁然。若叫號、則愈痛、一晝夜始止。關中有天茄可治蠍毒。余在齊固安、劉君養浩爲郡丞、傳一膏藥方、傅之痛立止、屢試、神效。
蠍雙尾者殺人。余初捕得蠍、輒斬其尾、縱之、後以語人。一客曰、「若斷尾復出、即成雙尾、害不淺矣。」。後乃神之。
*
に基づく。
・「尋(つい)で癒(い)へん」次第に良くなるに違いない。東洋文庫現代語訳では『時間がたてば癒(い)えるでしょう』とある。
・「豁然」心の迷いや疑いが消えるさま。東洋文庫現代語訳ではここを『そこで痛みをこらえていた人も心が軽くなった』とある。これは一種の精神的な強いショック状態を緩和する有効な心理的助言と読める。答えた人物は、その人が刺された蠍の種を見極めており、その毒の程度を知っていたのに違いない。
・「叫(わめ)き號(さけ)ぶ時は、則ち愈(いよいよ)、痛む」代謝が盛んになってしまい、毒が周るはずのない部位にまで代謝してしまうことを言っており、医学的には正しい部類に属する評釈である(毒の抽出と体部の間歇的緊迫及び解毒剤や緩和剤の投与を併用させた上でではある)。
・「雙尾〔(さうび)〕なる者」種としてはいない。畸形としていたとしても成虫になれるとは私には思われない。]
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