芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 服裝
服裝
少くとも女人の服裝は女人自身の一部である。啓吉の誘惑に陷らなかつたのは勿論道念にも依つたのであらう。が、彼を誘惑した女人は啓吉の妻の借着をしてゐる。もし借着をしてゐなかつたとすれば、啓吉もさほど樂々とは誘惑の外に出られなかつたかも知れない。
註 菊池寛氏の「啓吉の誘惑」を見よ。
[やぶちゃん注:大正一三(一九二四)年八月号『文藝春秋』巻頭に前の「民衆」(三章)「チエホフの言葉」と、後の「處女崇拜」(三章)「禮法」とともに全九章で初出する。それにしても如何にもな宣伝広告アフォリズムである。これは『文藝春秋』の巻頭言の一節である。『文藝春秋』の刊行者(同社創業と同時に私費で創刊)は芥川龍之介の盟友菊池寛である。これを読んだら、有意な読者は、頗る次元の低い興味から、その菊池の小説を読まずにはいられなくなるという寸法である。以下の私の最初の注も参照のこと。
・「啓吉の誘惑に陷らなかつた」『菊池寛氏の「啓吉の誘惑」』この二年前の大正一〇(一九二一)『新潮』に初出した菊池寛の小説。彼は同一の主人公啓吉(筆者自身の分身)を配した小説を多作、「啓吉物」と呼ばれ、まさにこの年大正十三年二月にこの「啓吉の誘惑」も所収する啓吉物の一括単行本「啓吉物語」が玄文社よし刊行されている。リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの現物。総て画像で読める。岩波新全集の山田俊治氏の注によれば、『啓吉は、愛読者と称する住込みの女中を浅草オペラに誘い、妻の着物を着せて出掛ける。劇場で彼女に欲望を抱くが、妻の借着に戒められて何事もなく帰宅する。しかし、後で彼女が高等淫売だったことを知り、自分の態度を滑稽に思うとともに、正しいことをしたとも思い直すという内容』とある。かく知ってしまうと、おそよ龍之介に、見よ、と言われても一向見る気の起こらぬ内容である。
・「誘惑の外」「外」は「そと」。「誘惑の外に出」るで、誘惑を受けずに辛くも離れることを指す。]
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