一日は⋯⋯ 立原道造
Ⅲ 一日は……
Ⅰ
搖られながら あかりが消えて行くと
鷗(かもめ)のやうに眼をさます
朝 眞珠色の空氣から
よい詩が生れる
Ⅱ
天氣のよい日 機嫌よく笑つてゐる
机の上を片づけてものを書いたり
ときどき眼をあげ うつとりと
窓のところに 空を見てゐる
壁によりかかつて いつまでも
おまへを考へることがある
そらまめのにほひのする田舍など
Ⅲ
貧乏な天使が小鳥に變裝する
枝に來て それはうたふ
わざとたのしい唄を
すると庭がだまされて小さな薔薇(ばら)の花をつける
Ⅳ
ちつぽけな一日 失はれた子たち
あて名のない手紙 ひとりぼつちのマドリガル
虹にのぼれない海の鳥 消えた土曜日
Ⅴ
北向きの窓に 午(ひる)すぎて
ものがなしい光のなかで
僕の詩は 凋れてしまふ
すると あかりにそれを焚き
夜 その下で本をよむ
Ⅵ
しづかに靄(もや)がおりたといひ
眼を見あつてゐる――
花がにほつてゐるやうだ
時計がうたつてゐるやうだ
きつと誰かが歸つて來る
誰かが旅から歸つて來る
Ⅶ
もしもおまへが そのとき
なにかばかげたことをしたら
僕はどうしたらいいだらう
もしもおまへが……
そんなことをぼんやり考へてゐたら
僕はどうしたばかだらう
Ⅷ
あかりを消してそつと眼をとぢてゐた
お聞き――
僕の身體の奧で羽ばたいてゐるものがゐた
或る夜 それは窓に月を目あてに
たうとう長い旅に出た……
いま羽ばたいてゐるのは
あれは あれはうそなのだよ
Ⅸ
眠りのなかで迷はぬやうに 僕よ
眠りにすぢをつけ 小徑を だれと行かう
[やぶちゃん注:底本の一九八八年岩波文庫刊「立原道造詩集」(杉浦明平編)の、風信子(ヒヤシンス)叢書第三篇の「田舎歌」群の掉尾の詩篇。但し、これは生前の立原道造が出したものではなく、彼の遺したメモによって角川書店第三次「立原道造全集」上梓の際に、同題賛辞全集委員会によって編成されたものである。しかし、杉浦氏の解説によれば、この「田舎歌」ⅠからⅢ(Ⅰ・Ⅱは後述するように私は電子化済み)を纏めた『これを第三篇とするプランは立原』自身『によって破棄された疑いがあり、内容は一九三四年』(昭和九年)『の作品から成る』とある(下線やぶちゃん)。
Ⅳの「マドリガル」は(英語:madrigal)イタリアのマドリガーレ(madrigale:古くは、十四世紀のイタリアで栄えた詩形式及びこれに基づく多声楽曲であるが、これは直に廃れ、後にそれらとは全く無関係に同名称で十五世紀から十六世紀にかけてイタリアで発展した、主として無伴奏の重唱による芸術的な多声歌曲をも指すようになった。後者は「ルネサンス・マドリガーレ」とも呼ぶ)、及び、その影響を受けてエリザベス朝(一五五八年~一六〇三年)のイギリスその他の国で成立した歌曲の総称。ここはルネサンス・マドリガーレ及び最後のものを指すと考えてよい。ウィキの「マドリガーレ」によれば、『詩節が無く』、『リフレインも無い自由詩を用い、テキストの抑揚に併せてメロディーが作られた。感情表現を豊かにするためにポリフォニーやモテットの様式、模倣対位法、半音階法、二重合唱法などあらゆる音楽形式が採られ、多くの作曲家が作品を作った』。十七世紀に入ると、『カンタータに取って代わられたが、その後も幾人かの作曲家がこの形式の作品を残している』とし、「イングリッシュ・マドリガル」は『エリザベス朝イングランドの宮廷作曲家達によって、イタリアの形式を真似て作られたが、イタリア』のそれほどには『複雑で無く』、『和声を主体にした曲が多い』とある。
Ⅴの「凋れて」は老婆心乍ら、「しほれる(しおれる)」と読む。
なお、私は既にここに示された「田舎歌」群のⅠとⅡに相当するものは、
村ぐらし(ここでの底本では『Ⅰ』とローマ数字が頭に振られてあるものとほぼ相同)
【字配りとルビの有無を除くと、有意な異同は以下の二箇所。
●第六パート一行目
『晝だからよく見えた 街道が』(昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」)
↓(助詞「が」が「を」)
『晝だからよく見えた 街道を』(一九八八年岩波文庫刊杉浦明平編「立原道造詩集」)
●第七パート第二文(これは編者による読みの異なりと思われ、これは杉浦明平氏の読みを私は支持したい)
『遠眼鏡(えんがんきやう)』(中村版)
↓(ルビ違い)
『遠眼鏡(とほめがね)』(杉浦版)】
*
詩は (ここでの底本では『Ⅱ』とローマ数字が頭に振られてあるものとほぼ相同)
【字配りと踊り字とルビの有無を除くと、有意な異同は以下の二箇所。
●第十パート二行目
『落葉を踏みながら、暮れやすい一日を。』(中村版)
↓(読点なし。このパートは二行構成で一行目には読点が使用されている)
『落葉を踏みながら 暮れやすい一日を。』(杉浦版)
以上は、総て、本ブログで電子化注してある。私は冒頭で太字及び下線で示した部分に鑑み、これらを纏めて一括して示すこと(岩波文庫版のように)には、やや疑義を感ずる。読者が現行の番号に従ってⅠ・Ⅱ・Ⅲと順に読むことは無論、あってよく、そこでは確かに相応な一つの道造の意識の流れを感じ取ることはでき、それについて違和感は感じないものの、道造自身がこの構成企画を破棄した可能性がある以上、底本のように連作として読まれることを道造は実は望んでいない可能性があることを意味すると考えるからである。
【2026年3月25日修正・追記】今回、国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集」「第一卷 詩集I」の当該詩篇で校正したところ、表題下のリーダが「‥‥」であったのが「……」であり、他に恣意的正字化をし残した四字があったので、正した。なお、そこにはルビは一切ない。通常なら、カットするところだが、道造の親友であった杉浦氏のなされたものであり、孰れも問題ないと判断でき、何より、道造も笑って許すだろうと考え、そのまま残した。また、前の注記中の中村版と杉浦版の比較の最後に、誤ったものが一つがあったので、削除した。]

