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2016/06/26

サイト「鬼火」開設11周年記念 芥川龍之介「奉教人の死」(自筆原稿復元版)

芥川龍之介「奉教人の死」(自筆原稿復元版)

 

[やぶちゃん注:底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像を視認した。これは朱の校正記号が入った決定稿であり、岩波旧全集の「後記」の初出についての異同記載とかなりよく一致することから、大正七(一九一八)年九月一日発行『三田文学』初出版の原稿(決定稿であるが、ゲラ刷りで手が加えられている可能性が高い)と考えてよく、旧全集が引用する過去の普及版全集の「月報」第四号所収の「第二卷校正覺書」に『南部修太郎氏所藏の「奉教人の死」の原稿を拜借させていただけましたので、大いに參考えになりました。』とある『南部修太郎氏所藏の「奉教人の死」の原稿』と同一のものではないかと推定される。使用原稿用紙は一行字数二十字十行で、左方罫外下部に『十ノ廿 松屋製』とあるもので、全四十八枚。欠損部はない。

 なお、旧全集後記は初出との校合は行っているが、この決定稿との校合をしているわけではない

 私は既に、

岩波旧全集版準拠   「奉教人の死」

作品集『傀儡師』版準拠「奉教人の死」(上記との私の校異注記を附記)

及び、芥川龍之介が典拠とした(龍之介は実は、『『奉教人の死』の方は、日本の聖教徒の逸事を仕組んだものであるが、全然自分の想像の作品である』と明言し、『『奉教人の死』を發表した時には面白い話があつた。あれを發表したところ、隨分いろいろな批評をかいた手紙が舞ひ込んで來た。中には、その種本にした、切支丹宗徒の手になつた、ほんものゝ原本を藏してゐると感違ひをした人が、五百圓の手附金を送つて、買入れ方を申込んだ人があつた。氣毒でもあつたが可笑しくもあつた』などと書き(「風變りな作品二點に就て」(大正一五(一九二六)年一月『文章往來』)。リンク先も私の電子テクスト)、書簡(昭和二(一九二七)年二月二十六日附秦豐吉宛書簡(岩波旧全集書簡番号一五七七)の二伸では『日本版「れげんだ・あうれあ」は今から七八年前に出てゐる。但し僕の頭でね、一笑』などと平然と嘘をついているが)、

斯定筌( Michael Steichen 1857-1929 )著「聖人伝」より「聖マリナ」

を電子化している。

 復元に際しては、当該原稿用紙の一行字数二十字に合わせて基本、改行とした。但し、芥川龍之介は鈎括弧を一マスに書かずにマスの角に打つ癖があり、また以下に示す通り、抹消と書き換えを再現しているため、結果、実際の復元テキストでは一行字数は一定しない。

 原稿用紙改頁に【 】で原稿左上罫外に書かれたアラビア数字の原稿頁番号を打って改行した。

 ルビはブログ版では( )同ポイントで示した。なお、龍之介自身が割注として本文同ポイントで示した部分がやはり( )で存在するが、特に判読に迷う箇所はないと思われる。これによって当時の芥川龍之介が原稿にどれほどのルビを振っていたかがよく判る。実はそれ以外の殆どのルビは校正工が自分勝手に振っていたのである。これはあまりよく知られているとは思われないので、特に明記しておく。最初の全集編集の際、堀辰雄が原則、ルビなしとするべきだと主張した(結局、通らなかった)のはそうした当時の出版事情があったからである。

 抹消は抹消線で示し、脇への書き換え及び吹き出し等によるマス外からの挿入は〔 〕で示した。添えの書き換えが二度(或いはそれ以上)に亙るものは、『〔がかり→ずり〕』のように示した。

 抹消し忘れと思われるものは龍之介に好意的に取消線を延ばしたが、衍字(「こひささん」など)はそのままに復元した。歴史的仮名遣の誤りもママである。

 判読不能字(龍之介の抹消は一字の場合にはぐるぐると執拗に潰すことが多いために判読が出来ないものが多い)は「■」で示した。私がほぼ確実と推定し得たもののみを示し、判読候補が複数あり、確定し辛いと判断したものは概ね判読不能で示した。なお「」としたのは空白を入れる指示を取り消したものと推定している箇所である。

 朱で入っている校正記号は原則、無視した。

 漢字は龍之介が使用しているものに近いものを選んだので略字と正字が混在している。判断に迷った字は正字で示した。

 なお、現行との重大な異同点は主人公「ろおれんぞ」が一貫して「ろおらん」である点で、これは読んでいて相当に印象が異なる。他にも、現行では『「さんた・るちや」と申す「えけれしや」』という教会の固有名がなく、一貫して教会の一般名詞「えけれしや」で通されている点、主人公に懸想する娘の当初の設定を鍛冶屋としていたことが抹消・書き換えで判明する(執筆途中で変更を行ったらしく、原稿ナンバー【19】ではそのまま「傘張」と出る)。また、龍之介が仮想的に再現しようとした当時の独特の語り口の表現に、かなり苦労している様子が抹消や書き換え・挿入ではよく伝わってくるように私には思われる。この私の原稿復元版はそうした箇所を見るだけでもかなり興味深いものと思う。これらについては、別立ての『芥川龍之介「奉教人の死」自筆原稿やぶちゃん注 附・岩波旧全集版との比較』(本テクストと同時公開)で細述した。

 なお、本電子テクストは私のサイト「鬼火」開設の11周年記念としてブログにアップすることとした。【2016年6月26日 藪野直史】]

 

 

【1】

 

 奉教人の死

 

 芥川 龍之介

 

 たとひ三百才の齡を保ち、樂〔し〕み身に余る

と云ふとも、未來永々の果しなき樂〔し〕みに比ぶ

れば、夢幻の如し。 慶長訳 Guia do Pecador

 

 善の道に立ち入りたらん人は、御教にこも

【2】

る不可思議の甘味■〔味を〕覺ゆべし。 慶長訳 Imita-

tione Christi

     一

 去んぬる頃〔去んぬる頃〕、日本長崎の〔或〕「えけれしや」(寺院)

に、「ろおらん」と申すこの国の少年がござつた。

これは或年御降誕の祭の夜、その「えけれしや」

の戸口→に〕、餓〔え〕 〔疲〕れてうち伏して居つた

を参詣の奉教人衆が介抱し、それより伴

天連の憐みにて、寺中に養はれる事となつ

たげ〔で〕ござるが、何故か〔何故か〕その身の素性〔を問へ〕ば、ひ〔たと〕包んで

【3】

故郷は「はらいそ」(天國)父の名は「でうす」

(天主)などと、何時(いつ)も事もなげな笑に紛ら〔い〕て、とん

とまことを〔は〕明した事もござ〔〕ない。なれど親の

より〔から〕「ぜんちよ」(異教徒)の輩でござら〔あら〕なんだ事

だけは、手くびにかけた靑玉(あをだま)の「こんたつ」(

珠)を見ても、知れたと申す。されば伴天連は

じめ、多くの「いるまん」衆(法兄弟)も、よも怪し

いものではござるまいと〔、〕〔おぼ〕されて、〔ねんごろに〕扶〔持〕して

く程に〔かれたが〕、その信心の堅固なは、幼いにも似ず「すぺ

りおれす」(長老衆)が舌を捲くばかりであつたに由つて〔れば〕、

【4】

一同も「ろおらん」は天童の生れがはりであらう

ずなど申し、いづくの〔生〕れ、たれの子と

も知れぬものを〔、無下に〕めでいつくしんで居つたげで

ござる。

 〔し〕て〔又〕この「〔ろ〕おらん」〔は〕、天童の生れかはりと

云はれても僞ない程〔顏かたち〔が〕玉のやうに淸らかであつたに〕、声ざまも女のやうに優

しかつたれば、一し〔ほ〕人々のあはれ〔み〕を惹いた

のでござらう。中でもこの国の「いるまん」に「し

めおん」と申したは、「ろおらん」を弟のやうにも

てなし、「えけれしや」の出入りにも、必仲よう

【5】

手を組み合せて居つた。この「しめおん」は、元

さる大名に仕へた、槍一すぢの家がらなもの

ぢや。されば身のたけも拔群なに、性得の剛

力〔であ〕つたに由つて、伴天連が「ぜんちよ」ばらの

石瓦にうたるるを■助け申し〔、防いで進ぜ〕た事も、一度二

度の沙汰ではごさない。それが「ろおらん」と睦

じうするさまは、とんと荒鷲に〔鳩に〕なづむ荒鷲の

やうであつたとも申さうか。或は「ればのん」の

檜に、葡萄(えび)かづらが纏ひついて、花咲いたや

うででもござつた〔あつたとも申〕さうず。

【6】

 さる程〔に〕三年あまりの年月は、流るるやう

にすぎたに〔由〕つて、「ろおらん」はやがて元服も

すべき時節となつた。したがその頃怪しげな

噂が傳〔は〕つたと申すは「えけれしや」から遠か

らぬ町方の鍛冶〔傘張〕の娘が、「ろおらん」と親しうす

ると云ふ事ぢや。この鍛冶〔傘張の翁〕も天主の御教を奉

ずる人故、娘ともども「えけれしや」へは參る慣で

あつたに、御祈(おんいのり)の暇(ひま〔いとま〕)にも〔、〕娘は爐をさ

た「ろおらん」の姿から、眼を離したと申す事

がござない。まして「えけれしや」〔への〕出入り

【7】

は、必髮かたちを美しうして、「ろおらん」のゐ

る方へ眼づかひをするが定(じやう)であつた。されば

〔お〕のづと〔奉〕教人衆の人目にも止り、娘が行き

ずりがかり→ずり〕に「ろおらん」の足を踏んだと云ひ出すも

のもあれば、二人が艷書をとりかはすをしか

と見とどけたと申すものも〔、〕「いるまん」衆の中

出て來たげでござる。

 由つて伴天連にも、すて置かれず思(おぼ)された

のでござらう。或日「ろおらん」を召されて、〔白ひげを嚙みながら、

「その方、 鍛冶〔傘張〕の娘と兎角の噂ある由を聞い

【8】

たが、よも〔や〕まことではあるまい。どうぢや」と

もの優しう尋ねられた。したが「ろおらん」は、

唯憂はしげに頭(かしら)を振つて、「そのやうな事は一

向に存じませやう〔に→も〕ござら→よう筈もござら〕ぬ」と、涙聲に繰返すばかり故、

伴天達もさすがに我を折られて、日頃の信心〔年配と云ひ、〕

と云ひ、日頃〕の信心と云ひ、かうまで申すものに

偽はあるまいと思(おぼ)されたげでござる。

 さて一應伴天連の疑は晴れてぢやが、「えけれしや」へ

參る人々の間では、容易にとかうの沙汰が絶

えさうもござない。されば兄弟同樣にして居

【9】

つた「しめおん」の気がかりは、〔又〕人一倍ぢや。

始はかやうな淫な事を〔、ものものしう〕詮義立てするが、お

のれにも恥しうて、「ろおらん」の顏さへ〔うちつけに尋ねよ〕うは元

より、「ろおらん」の顏さへまともには〔さかとは〕見ら

ぬ程であつたが、或時「えけれしや」の後〔の〕庭

で、「ろおらん」が薔薇〔へ宛て〕た娘の艷書を拾うたに由

つて、〔人〕氣ない部屋にゐたを幸、「ろおらん」の

前にその文をつきつけて、嚇しつ賺しつ、さ

まざまに問ひただ〔い〕た。なれど「ろおらん」は〔唯、〕美

しい顏を赤〔ら〕めたまでで、〔て、〕「娘は私に心を寄せま

【10】

したげでござれど、私は文を貰うたばか〔り〕

、とんと口を利(き)いた事もござらぬ」と申す。

したが〔なれど〕世間のそしりもある事でござれば、「し

めおん」は猶も押して、問ひ詰つたに、「ろおら

ん」はわびしげな眼で、ぢつと相手を見つめた

と思へば、「私〔は〕お主(ぬし)にさへ、譃をつきさう〔な〕

人間に見えるさうな」と、咎めるやうに云ひ

放つて、〔燕(つばくら)のやうに〔その儘〕→とんと燕(つばくら)か何ぞのやうに、その儘〕つと部屋〔を〕出つて行つてしまうた〔。〕

云ふ事ぢや。かう云はれて見れば、「しめおん」も

自分〔己〕の疑深かつたのが恥しうもなつたに

【11】

由つて、悄々(すごすご)その塲を去らうとしたに、いき

なり駈け〔こん〕で來たは、少年の「ろおらん」ぢや。

それが飛びつくやうに「しめおん」の頸を抱いて

くと、喘ぐやうに「私が悪かつた。許して下

されい」と〔、〕囁いて、こなたが一言も答へぬ間(ま)

に、淚に濡れた顏を隱さう為か、一散に元〔相手をつ〕

た方へ一散に〔きのけるやうに〕〔身を開い〕て、一散に又元來た方へ、

走つて往(い)んでしまうたげな〔と申す〕。されば〔そ〕の「私が

悪かつた」と云ふ〔囁いた〕のも、娘とのいたづらを隱し〔密通したの〕

ことが、悪かつたと云ふ〔の〕やら、或は「しめおん」に

【12】

〔つ〕れなうしたのが悪かつたと云ふのやら、〔一〕

んと〔円合〕點の致さ〔う〕やう〔が〕りない〔なかつた〕との事でござ

る。

 するとその後間もなう起つたのは、その〔傘〕

〔張〕の娘が孕(みごも)つたと云ふ騷ぎぢや。しかも腹の

子の父親は、「えけれしや」の「ろおらん」ぢやと、

正しう〔父〕の前で申したげでござる。されば〔傘〕

〔張〕〔の翁〕は火のやうに怒〔憤〕つて、〔早速→即刻〕伴天連のもとへ委細

を訴へに参つた。かうなるから〔上〕は「ろおらん」

も、〔かつふつ〕云ひ譯の致しやう〔が〕ござない。その日の

【13】

中に〔伴天連を始め、「えけれしや」の信徒〔「いるまん」衆〕一同の談合に由つて、

破門を申し渡される事になつた。元より破門

の沙汰がある上は、伴天連の手もと〔を〕も追ひ

拂はれる事でござれば、明日の生計(たつき)〔糊口のよすが〕に〔〕困るの

〔も〕目前 に見えて〔ぢや。〕したがかやうな罪人を、この儘

「えけれしや」に止めて置いては、御主(おんあるじ)の「ぐろ〔お〕り

や」(榮光)にも關る事ゆゑ、日頃親しう致し〔い〕た

人々も、 〔淚〕をのんで「ろおらん」を追ひ拂つた

と申す事でござる。

 その中でも哀れをとゞめたは、兄弟のやう

【14】

にして居つた「しめおん」の身の上ぢや。■■〔これ〕は

「ろおらん」が追ひ出されると云ふ悲しさより

も、「ろおらん」に欺かれたと云ふ腹立〔た〕しさが

一倍故、あのいたいけな少年が、折からの〔凩〕

空に、し〔が吹く中へ、〕しほしほと戸口を出かかつたに、〔傍から〕拳を

ふるうて、したたか〔その〕美しい顏を打つた。「ろお

らん」は〔〕剛力に打〔た〕れたに由つて、思はずそ

こへ倒れたが、やがて起〔き〕あがると、淚ぐん

だ眼で、空を仰ぎながら、『御主も許させ

へ。兄なる「しめおん」は、なす所を知ら れば〔己が仕業もわきまへぬものでござる〕』と、

【15】

わなゝく聲で祈つたげにござる〔と申す事ぢや〕。「しめおん」

もこれには気が挫けたのでござらう。暫くは

唯戸口に立つて、拳を空にふるうて居つた

〔が〕、その外の「いるまん」衆も、いろいろ〔と〕とり

〔い〕たれば、それを機会(しほ)に手を束ねて、嵐〔も〕

吹き出でようづ空のやうに、〔如く、〕凄じく顏を曇ら

せながら、悄(すごすご)「えけれしや」の門(かど)を出〔る〕「ろおら

ん」の後姿を、貪る〔やう〕に見送〔きつ〕と見送つて居つた。

その時居合はせた奉教人衆の話を〔傳へ〕聞けば、

からの〔時しも〕凩にゆらぐ日輪が、うなだれて步む

【16】

はてたなりはてたとの事ぢや。まし〔て步む「ろおらん」の頭のかなた、〕長崎の西の空に

沈まうず景色であつたに由つて、あの少年

のやさしい姿は、とんと〔一天の〕火焔の中に、立〔ち〕き

はまつたやうに見えたと申す。

 ま 〔その〕後の「ろおらん」は、「えけれしや」の内〔陣〕

に香爐をかざした昔とは打つて變つて、町は

づれの非人小屋に起き伏しする、世にも哀れ

な乞食(こつじき)であつた。ましてその前身は、「ぜんち

よ」の輩(ともがら)には穢多(えとり)のやうにさげしまるる、天

主の御教を奉ずるものぢや。されば町を行

【17】

けば、心ない童部に嘲らるるは元より、刀杖

瓦石の難にあはうづ遭うた〕事も、度々(どど)ござるげに聞

き及んだ、いや、嘗つては、長崎の町にはび

こつた、恐しい熱病にとりつかれて、七日

七夜の間、道ばたに伏しまろんでは、〔苦〕み

悶えたと申す事でござる。したが、「でうす」

無量無辺の御愛憐は、その都度「ろおらん」が一

命を救〔はせ〕給うたのみか、施物の米錢のない折

々には、山の木の実、海の魚貝など〔、〕を惠めその〕

給うて〔日の糧(かて)〕を惠ませ給ふのが常であつた。されば〔由つて〕

【18】

「ろおらん」も、朝夕の祈は「えけれしや」に在つた

昔を忘れず、手くびにかけた「こんたつ」も、靑

玉の色を變〔へ〕なかつたと申す事ぢや。いや〔なんの〕、

それのみか、夜毎に闌〔た〕けて人音も靜まる頃

となれば、この少年はひとり〔ひそかに〕町はづれの非人

小屋を脱け出(いだ)いて、月を踏んで住み馴れた「え

けれしや」へ、御主「ぜす・きりしと」の御加護を祈

りまゐらせに詣でて居つた。

 なれど同じ「えけれしや」に詣づる奉教人

も、その頃はとんと、「ろおらん」を疎んじはて

【19】

て、〔伴天連はじめ、〕誰一人憐みをかくるものもござらなん

だ。道理〔ことわり〕かな、破門の折から所行無慚の少年

と思けれ〔ひこん〕で居つたに由つて、何として夜ふけ〔毎に、〕

て、たつた独り「えけれしや」へ参るな〔程の〕、信心があ〔もの〕

らう〔ぢや〕とは知られうぞ。これも「でうす」〔千万無量の〕御計ら

なれば、→の一つ故、〕よしない儀とは申しながら、「ろおらん」

が身にとつて〔は〕、〔まことに〕いみじくも〔亦〕哀れな事でござ

つた。

 さる程に、こなたはあの傘張の娘ぢや。「ろ

おらん」が破門される間もなく、月も滿た

【20】

ず男の子を産み落いたが、さすがにかたくな

〔しい〕父の翁も、初孫の顏は憎からず思うたので

ござらう、娘ともども大切に介抱して、自ら

抱きもしかかへもし、時にはもてあそびの人

形などをとらせたと申す事でござる。〔翁〕は元

よりさもあらうずなれど、ことに稀有なは「い

るまん」の「しめおん」ぢや。あの「じやぼ」(悪魔)をも

挫がうず大男が、娘に子が産まれるや否や、

暇ある毎に傘張の翁を訪れて、かたくなし〔無骨な腕(かひな)に幼〕

子を抱き上げては、にがにがしげな顏に淚を

【21】

浮べて、弟と愛(いつく)しんだ、あえかな「ろおらん」の

優姿(やさすがた)を偲んで〔、〕〔思〕ひ慕つて居つたと申す。

唯、娘のみは、「えけれしや」を出〔で〕てこの方、絶

えて「ろおらん」が姿を見せぬのを、怨めしう歎

きわびた気色であつたれば、「しめおん」の訪れ

るのさへ、何かと快からず思ふげに見えた。

 この国の諺にも、光陰に関守なしと申す通

り、とかうする程に、一年あまりの年月は、

 やうに〔瞬くひまに〕過ぎたと思召されい。ここに思

ひもよらぬ大変が起つたと申すは、長崎の町〔一夜の中〕

【22】

に長崎の町のあらましを〔半ばを〕燒き拂つた、あの

大火事のあつた事ぢや。まことにその折の景

色の凄じさは、末期の御裁判(おんさばき)の喇叭の音が、

〔一天の〕火の光をつんざいて、鳴り渡つたかと思は

れるばかり、世にも身の毛のよだつた〔つ〕もので

あつた。〔ござつ〕た。その時、あの傘張の翁の家は、〔運〕

いにくの〔悪う〕風下だつ〔にあつ〕たに由つて、見る見る焔

に包れたが、さて親子眷族、慌てふため

て、逃げ出(いだ)いて見れば、娘が産んだ女の子の

姿が見えぬと云ふ始末ぢや。一定、一間(ひとま)どこ

【23】

ろに〔寢〕かいて置いたを、忘れてここまで逃

げのびたのであらうず。されば娘〔翁〕は狂気のや〔足ずりを〕

うに〔して〕罵りわめく。娘も亦、人に遮られずば、

火の中へも馳せ入つて、探し〔助け〕出さう氣色に見

えた。なれど風は益〻加はつて、焔の舌は天上

の星をも焦さうずたけ〔吼(たけ)〕りやうぢや。それ故火

を救ひに集つた町方の人々も、唯、あれよあ

れよと立ち騷いで、狂気のやうな娘をとり鎭

めるより外に、せん方も亦あるまじい。所へ

ひとり、多くの人を押しわけて、馳けつけ〔て〕

【24】

参つたは、「しめお〔あの「い〕るまん」の「しめおん」でござ

る。これは矢玉の下もくぐつたげな、逞しい

大丈夫でござれば、ありやうを見るより早

く、火の中火〔勇んで〕焔の中へ向うたが、あまりの火勢

に辟易致いたのでござらう。二三度煙をくぐ

つたと見る間に、背(そびら)をめぐらして、〔一散に〕逃げ出(いだ)い

た。して翁〔と〕娘と〔が〕佇んだ前へ來て、『これも

「でうす」万事にかなはせたもう〔まふ〕御計らひの一つ

ぢや。つつりと〔詮ない事と〕あきら〔めら〕れい』と申す。その時

翁の傍から、誰とも知らず、髙らかに「御主、

【25】

助け給へ」と叫ぶものがござつた。声ざまに聞

き覺えもござれば、「しめおん」忙しう〔〔首(かうべ)→頭(かうべ)〕をめぐらして〕、そ

の声の主をきつと見れば、如何〔いか〕な事、これは

紛ひもない「ろおらん」ぢや。淸らかに瘦せ細つ

た顏は、火の光に赤うかがやいて、風に乱れ

る黑髮も、肩に余るげに思うけ〔思はれ〕たが、哀れに

も美しい眉目のかたちは、一目見てそれと知

〔られ〕た。その「ろおらん」が、乞食の姿のまま、群

る人々の前に立つて、目もはなたず燃え

〔さか〕る家を眺めて居(を)る。と思〔う〕たのは、まことに

【26】

瞬く間〔もない程〕ぢや。一しきり焔を煽つて、恐しい風

が吹き渡つたと見れば、「ろおらん」の姿はまつ

しぐらに、早くも火の柱、火の壁、火の梁(うつばり)の

〔に〕はひつて居つた。「しめおん」は思はず遍身

に汗を流いて、空髙く十字「くるす」(十字)を描

きながら、〔己も〕「御主、助け給へ」と叫んだが、何故か

その時心の眼には、凩に落ちる日輪の光を浴

びて、「えけれしや」の門に立ちきはまつた、美

く悲しげな、「ろおらん」の姿が浮んだと

申す。

【27】

 なれどあたりに居つた奉教人衆は、「ろおら

ん」が健気な振舞に驚きながらも、破戒の昔を

忘れかねたので〔も〕ござらう。人どよめきの〔忽〕〔兎角の批判は〕風

〔に〕乘つて、人どよめ〔き〕の上を渡つて參つた。と

申すは、『さすが親子の情〔あ〕ひは爭はれぬもの

と見えた。己が身の罪を恥ぢて、このあたり

へは影も見せなんだ「ろおらん」が、今こそ一

人子の命を救はうとて、火の中へいつたぞ

よ』と、誰と〔も〕なく罵りかはしたのでござる。こ

れには翁さへ同心と覺えて、「ろおらん」の〔姿を〕眺め

【28】

てからは、心の騷ぐ怪しい心の騷ぎを隱さう

ず為か、立ちつ居つ身を悶えて、何やら愚

しい事のみを、声髙に〔ひと〕りわめいて居つ

た。ところがひとり〔なれど当の娘〕ばかりは、狂ほしく大地に

跪いて、両の手で顏をうづめながら、一心不

乱に声をしぼつて、〔祈誓を凝らして〕、身動きをする気色さへ

もござない。その空には火の粉も〔が〕、雨のやう

に降りかかる。煙も地を掃つて、面(おもて)を打つた。

したが、娘は默然と頭(かうべ)を垂れて、身も世も忘れ

た祈り三昧ぢや。

【29】

 とかうする程〔に〕、再火の前に群つた人々が、

一度にどつとどよめくかと見れば、髮をふ

り乱いた「ろおらん」が、もろ手に幼子をかい抱

いて、乱れとぶ焔の中から、天くだるやうに

姿を現〔い〕た。なれどその時、燃え盡きた梁(うつばり)の

一つが、俄に半ばから折れたのでござらう。

凄じい音と共に、一なだれの煙焔が半空(なかぞら)に迸

つたと思ふ間もなく、「ろおらん」の姿ははたと

見えずなつて、跡には唯火の柱が、珊瑚の如

くそば立つたばかりでござる。 

【30】

 あまりの凶事に心〔も〕消えて、〔「しめおん」〕をはじめ→翁〕

まで、居あはせた程の奉教人衆は、皆目の眩

む思ひがござつた。中にも娘はけたたましう

泣き叫んで、一度は〔脛〕もあらはに躍り■立つ〔立つた〕

が、やがて雷(いかづち)に打たれた人かと見えて〔のやうに〕、そ

〔まま〕大地にひれふしたと申す。さもあらばあ

れ、ひれふした娘の手には、何時かあの幼い

女の子が、半ば〔生死〕不定の姿ながら、ひしと抱か

れて居つたをいかにしようぞ。ああ、廣大無

邊なる「でうす」の御知慧、御力は、何とたたへ

【31】

奉る〔〔言(ことば)→詞(ことば)〕だに〕ござない。燃え崩れる梁(うつばり)に打たれなが

ら、「ろおらん」が必死の力をしぼつて、こなた

へ投げた幼子は、折よく娘の足もとへ、怪我

もなくまろび落ちたのでござる。

 されば娘が大地にひれ伏して、嬉し淚

に咽〔んだ〕声と共に、もろ手をさしあげて立つ

た翁の口から〔は〕、「でうす」の御慈悲をほめ奉る声

が、自らおごそかに溢れて參つた。いや、〔まさに〕溢

れようづけはひであつ〔た〕とも申さうか。それ

より先に「しめおん」は、さかまく火の嵐の

【32】

へ、「ろおらん」を救はうづ一念から、真一文字

に躍りこんだに由つて、翁の声は再気づか

はしげな、いたましい祈りの言(ことば)となつて、夜

空に髙くあがつたのでござる。これは元より

翁のみではござない。その親子を圍んだ奉教

人衆は、皆一同に声を揃へて、「御主、助

け給へ」と、泣く泣く祈りを捧げたのぢや。し

て「びるぜん・まりや」の御子、なべての人の苦し

みと悲しみとを己(おの)がものの如くに見そな

す、われらが御主「ぜす・きりしと」は、遂にこの

【33】

祈りを聞き入れ給うた。見られい。むごたら

しう燒けただれた「ろおらん」は、「しめおん」が腕(かひな)

に抱かれて、早くも奉教人衆の〔火と煙との〕ただ中に、〔から、〕救

ひ出されて参つたではないか。

 なれどその夜の大変は、これのみではござ

なんだ。息も絶え絶えな「ろおらん」が、〔とりあへず〕奉教人

衆の手に舁かれて、稍離れ〔風上にあつ〕た町の廣塲辻〔あの「えけれしや」の門へ〕橫へられた時の事ぢや。それまで幼子を胸〔に〕抱

きしめて、淚にくれてゐた傘張の娘は、折か

「えけれしや」門へ出(い)でられた伴天連の〔足もと〕に跪

【34】

くと、並み居る人々の目前で、『この女子(おなご)は「ろ

おらん」樣の種ではござな〔おじや〕らぬ。まことは〔妾(わらは)が〕

なみ隣の家隣(いへどなり)の「ぜんちよ」の子との間に、妾と→密通して、〕設〔まう〕

けた娘で〔お〕じやるわいの』と、思ひもよらぬ「こ

ひさん」(懴悔)を申し出〔仕つ〕た。その思ひつめた声

ざまの震へと申し、その泣きぬれはらいた→ぬれ〕た〔双の〕眼(まなこ)のかがやきと申し、露ばかりも偽を〔この「こひさん」に〕は、露ばかりの

僞さへ、あらうとは思はれ申さぬ。道理か

な、肩を並べた奉教人衆は、天を焦がす猛火

も忘れて、息さへつかぬやうに声を呑んだ。

【35】

 娘〔が〕泣く泣く〔淚ををさめて〕、言(ことば)で申し次いだは、『妾は日

頃「ろおらん」樣を恋ひ慕うて居つたなれど、御

信心の堅固さからあまりにつれなくもてなさ

れる故、つい怨む心も出て、腹の子を「ろおら

ん」樣の種と申し偽り、妾につらかつた口惜し

さを思ひ知らさうと致いたのでお〔じ〕やる。な

れど「ろおらん」樣の御心の気高さは、妾が大罪

をも憎ませ給はいで、今宵は御身の危さをも

うち忘れ、「いんへる」(地獄)にもましてした火焔

の中から、妾娘の一命を辱くも救はせ〔給〕うた。

【36】

その御憐み、御計らひ、まことに御主「ぜす・き

りしと」の再來かとも申し■■→お〕がまれ申す。さるに

ても妾が重々の極悪を思へば、この五体は忽

「ぢやぼ」の爪にかかつて、寸々に裂かれようと

も、中々怨む所はおじやるまい。』娘は「こひさ

さん」を致いも果てず、大地に身を投げて泣き

伏した。

 ああ、〔二重(へ)三重(へ)に〕群〔つた〕奉教人衆の間から、「まるちり」(殉

教)ぢや、「まるちり」ぢやと云ふ声が〔、波のやうに〕起つたの

は、丁度この時の事でござる。「ろおらん」は

【37】

勝にも「ろおらん」は、罪人を憐む心から、御主

「ぜす・きりしと」の御行跡を踏んで、乞食にまで

身を落〔い〕た。して父とこの〔仰ぐ〕伴天連も、兄と

たのむ「しめおん」も、皆そ〔の心〕を知らなんだ。こ

れが「まるちり」でなうて、何でござらう。

 したが、當の「ろおらん」は、娘の「こひさん」を

聞きながらも、僅に二三度頷いて見せたばか

り、髮は燒け肌は焦げて、手も足も動か〔ぬ〕上

に、口をきかう気色さへも今は全く盡き〔たげ〕でござる。

娘の「こひさん」に胸を破つた翁と「しめおん」とは、その枕が

【38】

みに蹲つて、何くれ〔か〕と介抱〔を〕致〔い〕て〔置〕つたが、

「ろおらん」の息は、刻々に細〔短〕うなるばかりでご〔つて、最期も〕

ざる。〔もは〕や遠くはあるまじい。唯、眼のみは〔日頃と変〕らぬ

のは、遙に天上を仰いで居る、星のやうな

瞳〔の色〕ばかりぢや。

 〔やがて〕娘の「こひさん」を聞き■終〔ると→■〕〔に耳をすまされ〕た伴天連は、

やがて〔吹き荒ぶ〕夜風に白ひげをなびかせながら、「えけ

れしや」の門を後にして、おごそかに申された

は、「人を判裁判くもの『悔い改むるものは、幸

ぢや。何しにその幸なものを、人間の手に罰

【39】

しようぞ。これより益、「でうす」の御戒を身に

しめて、心靜に末期の御裁判の日を待つたが

よい。又「ろおらん」がわが身の行儀を〔、〕御主

ぜす・きりしと」とひとしく奉らんと嘆く人〔うづ志は、

〔こ〕の国の奉教人衆の中にあつて〔も〕、類(たぐひ)まれ〔稀〕なる

德行ぢや〔でござる〕。別して少年の身とは云ひ――』あ

あ、これは〔又〕何とした事でござらうぞ。ここま

で申された伴天連は、俄にはたと口を噤

で、あたかも「はらいそ」の光を望んだ〔やう〕に、

ぢつと足もとの「ろおらん」の姿を見守られた。

【40】

その恭しげな容子は、どうぢや。その両の手

のふるへ〕ざまも、尋常の事ではござるまい。

おう、伴天連の〔からびた〕頰の上には、とめどなく淚

が溢れ流れるぞよ。

 見られい。「しめおん」〔。〕見られい。傘張の

翁。御主「ぜす・きりしと」の御血潮よりも赤い、

光を一身に浴びて、声もなく橫はつ〔「えけれ〕

た、■〔しや」〕の門に橫はつた、いみじくも美しい少年

の胸には、焦げ破れた衣のひまから、ふく〔清〕

らかな二つの乳房が、玉のやうに露れて居る

【41】

ではないか。されば〔今は〕燒けただれた面輪(おもわ)にも、

自らなやさしさは、隱れようすべ〔も〕ござない〔あるまじ〕

い。おう、「ろおらん」は女ぢや。「ろおらん」は女

ぢや。見られい。猛火を後にして、垣のやう

に佇んでゐる奉教人衆、ろおらん邪淫の戒を

破つたに由つて 「えけれしや」を逐はれた「ろお

らん」は 傘張の娘のやうな〔と同じ〕、 気髙くつつましく→眼なざしの〕あでや

かなこの国の女ぢや。

 まことにその刹那の尊い恐しさは、あたか

も「でうす」の御声が、星の光も見えぬ遠い空か

【42】

ら、傳はつて來るやうであつたと申す。〔されば〕「えけ

れしや」の前に居並んだ奉教人衆は、風に吹か

れる穗麥のやうに、誰からともなく頭を垂れ

て、悉「ろおらん」のまはりに跪いた。その中で

聞えるものは、唯、空をどよもして燃えしき

る、万丈の焔の響ばかりでござる。いや、誰

やらの啜り泣く声も聞えたが、それは傘張の

娘でござらうか。或は又自ら兄とも思うた、

あの「いるまん」の「しめおん」でござらうか。やが

てその寂寞(じやくまく)たるあたりをふるはせて、「ろおら

【43】

ん」の上に髙く手をかざしながら、伴天連の御(おん)

経(きやう)を誦せられる声が、おごそかに悲しく耳に

はひつた。してその御経の声がやんだ時、「ろ

おらん」と呼ばれた、この国のうら若い女は、

まだ暗い夜のあなたに、「はらいそ」の「ぐろおり

や」を仰ぎ見て、安らかなほゝ笑みを唇に止め

たまま、靜に息が絶えたのでござる。‥‥‥‥

 その女の一生は、この外に何一つ、知られ

なんだ申う〔げに〕聞き及んだ。したが〔なれど〕それが、何〔事〕で

ござらうぞ。なべて人の世〔の尊さ〕は、百年も一刻刹那の尊さ

【44】

何ものにも換え難い、刹那の感動に極るもの

ぢや。暗夜(やみよ)の海にも譬へようづ煩惱心の空に

一波をあげて、未出ぬ月の光を、水沫(みなわ→みなは)の中

に捕へてこそ、生きて甲斐ある命とも申さ

うづ。されば「ろおらん」が最期を知るものは、

「ろおらん」の一生を知るものでござる。ござるまいか。はござ

はござるまいか。

     二

 予が所藏に関る、長崎耶蘇會出版の一

書、題して「れげんだ・おれあ」と云ふ。

【45】

蓋し、 LEGENDA AUREA の意なり。され

ど内容は必しも、西歐の所謂「黃金傳説」ならず。

彼土の使徒聖人が言行を録すると共に、併せ

て本邦西教徒が勇猛精進の事蹟をも採録し、

以て、福音傳道の一助たらしめ〔んとせし〕ものの如し。

 体裁は上下二巻にして、美濃紙摺草体交り

平假名文にして、印刷甚しく鮮明を缺き、活

字なりや否やを明にせず。上巻の扉には、羅

〔甸〕字にて書名を橫書し、その下に漢字にて「御

出世以來千五百九十→六〕年、慶長→元〕年三月上旬

【46】

鏤刻」■也」の二行を縱書す。年代の左右には喇叭

を吹ける天使の畫像あり。技巧頗幼稚なれど

も、亦掬す可き趣致なしとせず。下巻も扉に

「五月中旬鏤刻也」の句あるを除いては、全く上

巻と異同なし。

 兩巻とも紙數は約六十頁にして、載する所

の黃金傳説は、上巻八章、下巻十章を數ふ。

その他各巻の巻首に著者不明の序文及羅甸字

を加へたる目次あり。序文は文章雅馴なら

ずして、間々欧文を直訳せる如き語法を交

【47】

へ、一見その伴天連たる西人の手になりしや

を疑はしむ。

 以上採録したる「奉教人の死」は、該「れげんだ・

おうれあ」下巻第二章に依るものにしてなり。→にして〕、恐ら

くは当時長崎の一〔西教〕寺院に起りし、事実を〔の〕、比較

的忠実なる記録〔事実の忠実なる〕記録ならんるべしと信ず。→ならんか。〕但、〔記〕

〔事〕中の大火〔なるもの〕は、「長崎港草」以下諸書に徴するも、

その年代〔有無〕を〔すら〕明にせざるを以て、事実の正確

なる年代〔に至つて〕は、全くこれを〔決〕定するを得ず。

 予は「奉教人の死」に於て、発表の必要上、多

【48】

少の筆〔文〕飾を敢てしたり。もし原文の素朴尚古〔平易雅馴〕

なる筆致にして、甚しく毀損せらるる事ある〔な〕

〔か〕らんか、予の幸甚とする所なりと云爾。

            (七・八・十二)

 

 

          芥 川 龍 之 介

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