芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 藝術
藝術
最も困難な藝術は自由に人生を送ることである。尤も「自由に」と云ふ意味は必ずしも厚顏にと云ふ意味ではない。
[やぶちゃん注:このアフォリズムは芥川龍之介が、「人生」はそれ自体が芸術の一つであり得るという見解を持っていた、ことを示唆している。条件文であるから、「最も困難な」完全な真に「自由な人生を送る」という目的を達し得る人間がいたとすれば、その人間は、たとえ市井の無名人にして、社会的に芸術家として誰にも認められておらず、何ら芸術的作物の一つも残し得なかったとしても、その真に自由な人生を送ったという一点に於いて、有象無象の愚昧な他者の遠く及びもつかぬ、「困難な藝術」としての、まことに「自由な人生を送る」という「藝術」を、成し遂げた稀有の存在となる、と言っていることになる。第二文はそれを限定する毒であるが、これは寧ろ、「自由な人生を送」ったと満足している人間どもの殆んどは、自分が厚顔無恥に生きた結果、自分だけが「自由に生きた」と思い込んでいるに過ぎない救いがたい下劣漢であるという哀れな無数の事実の方にこそ、毒は利いているように思われる。]
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