芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 辯護
侏儒の言葉(遺稿)
(やぶちゃん合成完全版やぶちゃん注釈)
[やぶちゃん注:続けて、「侏儒の言葉(やぶちゃん合成完全版)」の「侏儒の言葉(遺稿)」パートの注釈の入る。これは芥川龍之介自裁(昭和二(一九二七)年七月二十四日)の凡そ二ヶ月強後の十月一日、及びその二ヶ月後の十二月一日発行の雑誌『文藝春秋』に「侏儒の言葉(遺稿)」の標題で掲載され、後に単行本「侏儒の言葉」に、生前の公開分の「侏儒の言葉」と併せて巻頭に載った(同単行本はそれに続いて、「澄江堂日記――」・「病中雜記」・「追憶」・「文藝的な、餘りに文藝的な」を併載する)。これを同単行本に併載した意図(社主にして龍之介盟友の菊池寛の意図と考えてよい)は、前項、即ち、生前の発表分の龍之介にとっての「侏儒の言葉」の最終条)の「作家」の私の注の最後の部分を読んで貰うと、概ね、御理解戴けるものと思う。
なお、同単行本「侏儒の言葉」の最後に掲げられた編者注記らしきもの(標題なし)の冒頭には以下のように書かれてある。
《引用開始》
一、「侏儒の言葉」の本文は他の著作集と同じく、雜誌「文藝春秋」の切り拔きに著者自身手を加へむものに據つた。その爲「神祕主義」他二、三のものが省かれることになつたのである。
但し、「辨護」以下の侏儒の言葉は「侏儒の言葉」の序文と共に著者が、特に書き加へた未曼
表原稿(これは此の本と同時に雜誌「文藝春秋」紙上に發表されるもの、)に據つた。
《引用終了》
以上の『辨護』の「辨」はママ(単行本の本文は「辯」となっている)。また、『「神祕主義」他二、三のものが省かれることになつた』とあるが、実際に省かれたものは「神祕主義」「或自警團員の言葉」「森鷗外」「若楓」「蟇」「鴉」全六篇に及ぶ(この削除の龍之介の推定意志については省略された各項で既に考察した)。
また、「侏儒の言葉(やぶちゃん合成完全版)」では、ここに「侏儒の言葉」を『文藝春秋』に連載時期に書かれたと推定される「侏儒の言葉」に酷似した未定稿一種と、二種の草稿を挟んであるが、この注釈版ではそれらはこの後に配することとした。]
辯護
他人を辯護するよりも自己を辯護するのは困難である。疑ふものは辯護士を見よ。
[やぶちゃん注:遺稿巻頭。芥川龍之介の晩年を考える時、これは強い実感に基づく、苦渋の言葉であることが分かる。この事実は既に注しているのであるが、龍之介の次姉ヒサは獣医葛巻義定と結婚し、義敏(既注。龍之介の甥で龍之介よく可愛がって面倒をみた。後に作家・評論家となる)をもうけるも、明治四三(一九一〇)年に両親は離婚した。ヒサはその後、弁護士西川豊と再婚するが、彼は偽証教唆で失権、昭和二(一九二七)一月には自宅の火事が彼の保険金目当ての放火と疑われ、その取調中に失踪、千葉で鉄道自殺を遂げた(この後、ヒサは元夫の義定と復縁している)。その後処理のために龍之介は奔走、疲弊した。この時の波状的な精神疲労は、微妙に彼の厭世傾向を加速させたように私は考えている。]
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