芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 革命
革命
革命の上に革命を加へよ。然らば我等は今日よりも合理的に娑婆苦を嘗むることを得べし。
[やぶちゃん注:・「革命の上に革命を加へよ」これは恐らく、革命家レフ・ダヴィードヴィチ・トロツキー(Лев Давидович Троцкий ラテン文字転写:Lev Davidovich Trotsky 一八七九年~一九四〇年)が提唱した永続革命論(一九〇五年から一九〇六年頃に定式化)を念頭においた謂いとは読める。現在、直接にトロツキーの名を記した龍之介の文章はないが、例えば、芥川龍之介の盟友であった宇野浩二による渾身の大作「芥川龍之介」(昭和二十六(一九五一)年九月~同二十七(一九五二)年十一月『文学界』初出後、大幅に手を加えて同二十八年五月に文藝春秋新社から刊行)には(引用は私の電子テクスト『宇野浩二「芥川龍之介」下巻(十五)~(二十三) 附やぶちゃん注』より。下線やぶちゃん)、
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私のような者でも、一方では、ボオドレエル、ヴェルレエヌ、ランボオ、その他のいわゆる頽廃派の詩人たちの詩を読みながら、他方では、いま述べたように、ウィリアム・モリスの小説(さきに書いた、『ニュウズ・フロム・ノオウェア』のほかに、これも、社会主義の宣伝のために書いたような『ジョン・ボオルの夢』という小説など)や、クロボトキンの、『ロシア文学の理想と現実』[これは伊東整の名訳がある]は、もとより『一革命家の思い出』、その他や、芥川が読んだと云うリイプクネヒトの、『追憶録』と、『新世界への洞察』や、それに類する本を、無方針に、手当り次第に、読んだ。まったく『手当てあたり次第』であって、凡そ『好学心』などというものではなかった。
つまり、私のような語学のできない者でもそうであるから、語学の方でも秀才であった芥川は、おなじ『手当り次第』でも、このはかに、レエニン、トロツキイ、カウツキイ、その他のものをも読んでいたにちがいないのである。私が、或る時、このような話が出た時、「君きみ、カウツキイの『トマス・モオアと彼のユウトピア』はおもしろいね、」と云うと、芥川は、言下に、「カウツキイが息子と共著で出した、マルクスの『資本論』の英訳があるが、ごれは、通俗に書いてあるから、僕らにもわかりいいよ、」と云いはなった。(余話であるが、私は、その時分よりずっと後に、いま名を上げた人の中では、レエニンの『トルストイ論』とトロツキイの『文学と革命』を読んで、拾い物をしたような喜びを感じた。)
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と記している。後者の部分は宇野自身の経験談であるが、彼もトロツキイの名著「文学と革命」に感銘しているのは興味深く、龍之介の旧蔵書には「文学と革命」は含まれていないものの、既に読んでいた可能性は高いと言える。実際、ここに注するのに参照した、二〇〇三年翰林書房刊「芥川龍之介新辞典」の志田昇氏の「トロツキー」の項の解説には、『晩年の文章には明らかにトロツキーを読んでいた形跡がうかがわれる』として、「文藝的な、餘りに文藝的な」の「二十七 プロレタリア文藝」の論展開を二例、挙げておられ(リンク先は私の芥川龍之介「文藝的な、餘りに文藝的な(やぶちゃん恣意的時系列補正完全版)」)、また、同作の「十 厭世主義」の中の一節、『僕も亦、――僕は或は便宜上のコムミユニストか何かに變るかも知れない』という箇所を指摘され、『この「便宜上のコムミユニスト」とはトロツキーの言う「革命の芸術的同伴者」を芥川流に表現したものと思われる』と述べておられる。シュールレアリストらとも密接な関係を持った、革命家の中ではすこぶる芸術にシンパシーを持っていたトロツキーに、龍之介が関心を持っていたと考えることはごく自然である。
但し、このアフォリズムは、革命の永続を讃美したアフォリズムなんぞでは、無論、ない。
――革命の上に革命を加へよ。然らば我等は今日よりも合理的に娑婆苦を嘗むることを得べし。
私の解釈は、こうだ。
――『革命の上にさらに革命を!』と革命家は言ふ。さても革命の上にさらに革命を加へるが好(よ)い。さうすれば革命は燎原の火の如くなつて地球上を總て蔽ひ盡すであらう。然らば我我は今日よりも遙かに合理的な娑婆苦――それは或いは「權利」と稱され「義務」とも呼ばはるるであらう――としてそれらを有難くも拜して嘗めねばならぬことを得ることになるであらう。
不条理で訳の分からぬ或いは不当で許し難い旧来の「娑婆苦」を嘗めることを諦めてい生きること、それを不満に思って生きること――よりも――「今日よりも合理的」な「娑婆苦を嘗」める「こと」は遙かに堪え難く、苦痛である。しかもそれは論理的に正当化された「娑婆苦」であり、死以外にそこから脱する道はないのだから。おや? さすればこそまさにそれは、極楽往生せぬ限り、消え失せることのない仏道上の「娑婆苦」そのものではないか?]
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