芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) つれづれ草
つれづれ草
わたしは度たびかう言はれてゐる。――「つれづれ草などは定めしお好きでしせう?」しかし不幸にも「つれづれ草」などは未嘗愛讀したことはない。正直な所を白狀すれば「つれづれ草」の名高いのもわたしには殆ど不可解である。中學程度の教科書に便利であることは認めるにもしろ。
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年五月号『文藝春秋』巻頭に、前の「兵卒」(二章)「軍事教育」「勤儉尚武」「日本人」「倭寇」と合わせて全七章で初出する。私も「徒然草」(卜部兼好著。二巻。鎌倉時代末期の元徳二(一三三〇)年から元徳三・元弘元(一三三一)年頃に纏められたとする説が主流であるが、定説はない。古文の文学史上では「枕草子」と並ぶ随筆文学の傑作とされている)は、「あだし野の露」の絶対無常観の辛気臭い表明(しかし兼好はそんなこと微塵も信じていなかったことは請け合う)と、「花は盛りに」の逆説的臍曲がり部分は読んでなかなか小気味よくは思うものの(よく高校教師時代には好んでこれらを授業した)、親しく再読したいなどとは、ゆめゆめ思わぬ。
・「未嘗」「いまだかつて」。
・「中學」旧制の中学校。ウィキの「旧制中学校」を元に記述する。昭和二二(一九四七)年の学校教育法施行より前の、日本で男子に対して中等普通教育(現在の後期中等教育)を行っていた学校の一つ。学校教育法施行後の学制改革によって新制の高等学校に移行した(構造的には現行の中学校一年から高等学校二年に相当)。中学校令(明治一九(一九八六)年勅令第十五号及び明治三二(一八九九)年勅令第二十八号)に基づいて、各道府県に少なくとも一校以上の規定で設立された。入学資格は尋常小学校(後に国民学校初等科に移行)を卒業していることであり、修業年限は五年間であったが、昭和一八(一九四三)年に制定された中等学校令(昭和一八(一九四三)年勅令第三十六号)によって四年間に短縮された(戦後、学校教育法施行前の短い期間であるが、再び五年間に戻されている)。旧制の中学校と類似した学校として、女子に対する中等教育を行った高等女学校、小学校卒業者に職業教育を行った実業学校がある(但し、これらから上級学校に進学する場合には旧制中学校よりも制限が存在した)。旧制中学校の開始時年齢は一年生が十二歳、五年生が十六歳であった。旧制中学校を経ると(中等学校令制定前は四年修了後に)、旧制高等学校・大学予科・大学専門部・高等師範学校・旧制専門学校・陸軍士官学校・海軍兵学校に進学することが出来た。また、旧制中学校二年生修了で師範学校への進学も可能であった。五年制でも四年修了(四修)で旧制高等学校及び大学予科の受験資格が与えられた。]
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