芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 唯物史觀
唯物史觀
若し如何なる小説家もマルクスの唯物史觀に立脚した人生を寫さなければならぬならば、同樣に又如何なる詩人もコペルニクスの地動説に立脚した日月山川を歌はなければならぬ。が、「太陽は西に沈み」と言ふ代りに「地球は何度何分𢌞轉し」と言ふのは必しも常に優美ではあるまい。
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年七月号『文藝春秋』巻頭に、前の「自由」(四章)「言行一致」と、後の「藝術至上主義者」「唯物史觀」「支那」(二章)と合わせて全十章で初出する。
・「唯物史觀」「史的唯物論」(ドイツ語:historischer Materialismus)のこと。「歴史的唯物論」とも訳す。マルクス主義の歴史観で、歴史発展の原動力は人間の意識・観念にはなく、社会の物質的な生産にあり、生産過程に於ける人間相互の諸関係は生産力との関係で弁証法的に発展すると考える立場。この物質的な生産の諸条件が全社会経済構成を規定すると同時に、宗教・哲学・芸術などの精神構造をも究極的に決定するとされる。以上は三省堂「大辞林」の記載であるが、中経出版の「世界宗教用語大事典」は以下。『マルクス主義の歴史観。史的唯物論。物質的・経済的生活関係を以て歴史的発展の究極の原動力と考える立場。神が人間をつくったのではなく、人間が神をつくったことを明らかにする』とあり、ここに注するなら後者の方が達意的でよろしい。
・「日月山川」「じつげつさんせん」。
・「何分」「なんふん」。何でこんな注をつけるかって? 筑摩全集類聚版はこれに「ぶ」とルビを振ってるからさ。これは角度単位(一度の六十分の一)だろ。]
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