芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) ストリントベリイ(二章)
ストリントベリイ
彼は何でも知つてゐた。しかも彼の知つてゐたことを何でも無遠慮にさらけ出した。何でも無遠慮に、――いや、彼も亦我我のやうに多少の打算はしてゐたであらう。
又
ストリントベリイは「傳説」の中に死は苦痛か否かと云ふ實驗をしたことを語つてゐる。しかしかう云ふ實驗は遊戲的に出來るものではない。彼も亦「死にたいと思ひながら、しかも死ねなかつた」一人である。
[やぶちゃん注:前章「二つの悲劇」の注も参照のこと。芥川龍之介は「河童」の大寺院のシークエンスで、近代教の第一の聖徒として、ストリンドベリを挙げている。以下はそれを説明する長老の台詞である。
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「これは我々の聖徒(せいと)の一人、――あらゆるものに反逆した聖徒ストリントベリイです。この聖徒はさんざん苦しんだ揚句、スウエデンボルグの哲學の爲に救はれたやうに言はれてゐます。が、實は救はれなかつたのです。この聖徒は唯我々のやうに生活教を信じてゐました。――と云ふよりも信じる外はなかつたのでせう。この聖徒の我々に殘した『傳説』と云ふ本を讀んで御覽なさい。この聖徒も自殺未遂者だつたことは聖徒自身告白してゐます。」
僕はちよつと憂欝(いううつ)になり、次の龕へ目をやりました。
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因みに、二番目の聖徒はニーチェ、三番目が先に出した通り、トルストイである。なお、河童の国の聖人となるには自殺してはいけないという絶対原理(自殺未遂は問題なく、寧ろ、自殺願望を持ちながら死ねなかった人間、龍之介に言わせれば、似非厭世主義者の群れなのである。言い添えておくと、第四聖徒は国木田独歩、五番目がワーグナー、六番目はゴーギャンである。その後もまだ有象無象並んでいるのだが、以下は語られないのは「後のこと知りたや」である……
時に、龍之介よ! お前(めえ)さん、江戸っ子だろ? 「彼も亦我我のやうに多少の打算はしてゐたであらう」なんて、まどろっこしい謂い方は、しなさんなぃ! 「彼も亦私のやうに多少の打算はしてゐた」で、げしょう!
・「傳説」(Legender)について新潮文庫の神田由美子氏の注は、ストリンドベリが『妻子と別れ』、凄まじい『貧困と孤独の中で狂気の』淵を『さまよい、地獄に堕(お)ちていた自身の姿を、主にパリの街頭を舞台として日記風に書いた自伝体小説。一八九〇年から九七年にかけて発表された』とある。芥川龍之介のストリンドベリへの熱狂的(言わせて貰おうなら多分に病的とも言える)な偏愛は、「愛讀書の印象」(大正九(一九二〇)年八月『文章倶樂部』)の中で(底本は岩波旧全集。下線は底本では傍点「ヽ」、下線太字は「△」傍点)、
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中學を卒業してから色んな本を讀んだけれども、特に愛読した本といふものはないが、概して云ふと、ワイルドとかゴーチエとかいふやうな絢爛とした小説が好きであつた。それは僕の気氣質からも來てゐるであらうけれども、一つは慥かに日本の自然主義的な小説に厭きた反動であらうと思ふ。ところが、高等學校を卒業する前後から、どういふものか趣味や物の見方に大きな曲折が起つて、前に言つたワイルドとかゴーチエとかといふ作家のものがひどくいやになつた。ストリンドベルクなどに傾倒したのはこの頃である。その時分の僕の心持からいふと、ミケエロ・アンヂエロ風な力を持つてゐない藝術はすべて瓦礫のやうに感じられた。これは當時讀んだ「ジヤンクリストフ」などの影響であつたらうと思ふ。
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と述べているから、二十前後に憑りつかれたものと見える。
より詳しい叙述は、前にも注したものであるが、「あの頃の自分の事」の初出(大正八(一九一九)年一月『中央公論』。但し、これを含む第二章(第六章とともに)は何故か、翌年一月に刊行された第四作品集「影燈籠」では丸ごと削除されている)にも出ている。そこでは(以下、岩波旧全集より引く)龍之介は感服した作家としては「何よりも先ストリントベルグだつた」とし、彼には、
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まるで近代精神のプリズムを見るやうない心もちがした。彼の作品には人間のあらゆる心理が、あらゆる微妙な色調の變化を含んだ七色に分解されてゐた。いや、「インフエルノ」や「レゲンデン」になると、怪しげな紫外光線さへ歷々としてそこに捕へられてゐた。「令孃ジュリア」「グスタフス・アドルフス」「白鳥姫」「ダマスクスへ」――かう並べて見ただけでも、これが皆同一人の手になつたとは思はれない程、極端に懸け離れたものばかりである。[やぶちゃん注:中略。]「マイステル・オラアフ」が現れて以來、我々は世界の至る所にストリントベルグの影がさすのを見た。しかもそれは獨り人間の上ばかりじぢやない。彼は獸も書いた。鳥も書いた。魚も書いた。昆蟲も書いた。更に一步を進めては、日の光を吸つてゐる草花や風に吹かれてゐる樹木も書いた。實際彼は当時の自分にとつて、丁度魂のあるノアの箱船が蜃氣樓よりも大仕掛に空を塞いで漂つているやうな感があつた。さうしてかう云ふ以上に彼の作品を喋々するのは、僭越のやうな氣が今でもする。又喋々した所で、到底あの素ばらしい箱船が髣髴出來るものぢやあない。出來たと思つたら、それは僅に船腹の板をとめてゐる釘の一本位なものだらう(序に云ふが、ストリンドベルグの「靑い本」の中に、彼は内村鑑三氏の「余は何にして基督教徒たりしか」を讀んだと云ふ事が書いてある。はつきりは覺えてゐないが、そこには何でもあの樂天的な日本人でさへ、神を求めるのにはこれ程苦しんでゐるかとか何とか註がついてゐた。尤も彼に比べれば、樂天的なのは獨り日本人に限つた事ぢやない。)
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と絶賛している。「レゲンデン」が「伝説」である。さらにまた、龍之介の「齒車」の「三 夜」の冒頭にも、この小説は登場している(下線やぶちゃん。なお、本文に出る「黃」色は「齒車」の中の不吉にして狂的な主調色である)。
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僕は丸善の二階の書棚にストリントベルグの「傳説」を見つけ、二三頁づつ目を通した。それは僕の經驗と大差のないことを書いたものだつた。のみならず黃いろい表紙をしてゐた。僕は「傳説」を書棚へ戾し、今度は殆ど手當り次第に厚い本を一册引きずり出した。しかしこの本も插し畫の一枚に僕等人間と變りのない、目鼻のある齒車ばかり並べてゐた。(それは或獨逸人の集めた精神病者の畫集だつた。)僕はいつか憂欝の中に反抗的精神の起るのを感じ、やぶれかぶれになつた賭博狂(とばくきやう)のやうにいろいろの本を開いて行つた。が、なぜかどの本も必ず文章か插し畫かの中に多少の針(はり)を隱してゐた。どの本も?――僕は何度も讀み返した「マダム・ボヴァリイ」を手にとつた時さへ、畢竟僕自身も中産階級のムツシウ・ボヴァリイに外ならないのを感じた。………
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さて、ここにストックホルム大学助教授であるマッツ・アーネ・カールソン(Mats Arne KARLSSON)氏の「僕はこの暗号を不気味に思ひ… 芥川龍之介『歯車』、ストリンドベリ、そして狂気」(“I Felt
Something Ominous about This Coincidence...” Ryunosuke Akutagawa’s “Cogwheels,”
Strindberg and Insanity )という非常に興味深い日本語論文がある。そこでは主に芥川龍之介のストリンドベリ受容の中でも「伝説」に先行する自伝的小説「地獄」(Inferno 一八九七年)(なお、「地獄」という言葉はやはり「齒車」の通奏低音であり、それは可聴域を越えて作品全体を包み込んでいると言ってよい)を問題とされたものであり、この「傳説」の注としてその概要を語ることはやや憚られるものの、第「5」章で、『芥川の場合においては、彼がストリンドベリを読む場合に多少とも、そこに書かれていることをそのままストリンドベリ自身の体験と信じこみ、フィクションの主人公とその作家その人を混同していたであろうと信じる理由があります』と前置きされた上で、前の「二つの悲劇」とこの「ストリントベリイ」二章を纏めて引かれ(注記号を省略した)、
《引用開始》
芥川はここで明らかにストリンドベリの自叙伝的小説、すなわち『伝説』の外に『痴人の懺悔』、『女中の子』、『地獄』を引き合いに出しています。もちろんこれらの作品はある程度までストリンドベリの人生の出来事に基づいています。そしてもちろん芥川はストリンドベリの告白に打算の要素も混ざっていると注意を払っているのです。しかしそれにもかかわらず、芥川は基本的に、虚構として書かれた叙述を実際の体験というふうに読んでいるようです。例えば、ストリンドベリが「死の実験」を実際行なったかどうかは、知る由もないはずです。
芥川自身はこういったことについてあまり気にしてはいなかったのではないかということを述べておくべきかと思います。そのことは「『私』小説論小見」に示されています。その中で芥川はつぎのように断言します。作者は結局、自分の心の中に既に存在していたことだけを表現できると。例えばもし、ある作家が私小説の主人公について自分自身は持っていない(親)孝行の美徳の性格を与えれば、道徳的にいえば、作家は嘘をついていると言うのは当たっているかもしれません。しかし、「こう言う主人公を具えた或『私』小説はまだ表現されない前に既に彼の心の中に存在していたのでありますから、彼は嘘つきどころではない」ということになります。「唯、内部にあったものを外部へ出して見せただけであります」と。この意味において芥川は私小説家にカルトブランシュ(白紙委任状)を与えたと言えるでしょう。それでも、芥川も含めて当時の読者は、ストリンドベリという作家は「冷酷な懺悔」を自分のトレードマークにしたり、自分の生活や危機を小説の材料を得るために演出したりした作家だと認めていなかったのは事実なのです。つまり彼は計画的に狂気を装うことによって自分の周囲を操ったわけです。という訳で、芥川が私小説家にカルトブランシュを与えたときに、かれはおそらくストリンドベリのような、狂気を装いそれを材料に作品を書くといったような作家を想定してはいなかったはずです。これはあくまでも、私小説と誠実さとの関係の議論に関する私の分析にすぎないのですが。いうまでもなく、何を書くかは作家のみに委ねられているのですから。
《引用終了》
と述べておられるのだけは引いておきたい。カールソン氏は同論文で最後に、「歯車」は『ストリンドベリ風に書かれた芥川の自画像に外』ならないと断言され、龍之介がストリンドベリの諸作を一方的に自伝的なるものとして理解し読み下し、それと自己写像を照らし合わせた結果として、激しく共感し感動するという読書体験を経、それを自家薬籠中のものとして生み出したのが「齒車」であった、ストリンドベリなしに「齒車」は生まれなかった、とで断じておられる。私は非常に強く惹かれた。是非、お読みあれかし!]
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